第11話 2020年の夏

 降り注ぐ灼熱。


ジージーと耳を劈く蝉の声は、否応なしに真夏にいることを感じさせる。


眉間に皺を寄せ、強い日差しから眼を庇う一念。


老紳士も同じく眉間に皺を寄せるが、こちらは用意周到にふところからレイバンのサングラスを取り出しサッと視界に被せる。


まるであの団長を思わせる、ティアードロップのサングラス。


本人はその団長を意識してか、なんだかスカしている様子。


一念はそれを目にすると、ぷっ!と吹き出しそうになり、目線をわずかに逸らして緩む口元を手で覆い、え?なに?あのスカした顔。と疑問を抱いた。


「どうだ。何かわかったか。」


口調までも、あの団長に寄せてきた老紳士。


一念はもう勘弁してほしいと思いながらも、


「いや・・・どうだろう・・・。」と、肩を震わせている。


「そうか。じゃぁ〇×△קΠ・・・。」


きっとあの団長を意識してのことなのだろうけど、最後のほうは何を言っているか全く聞き取れない老紳士のセリフ。


一念は思わず「はあ⁈」と、大きな声で聞き返してしまった。


「いや、聞き取れませんから!全然聞こえない!最後のほうなに言ってるか全くわからない!」


そこまで強く言わなくても・・・と、思うほど、一念の口調はキツイ当たり。


老紳士、意気消沈してサングラスを外してしまう。


「いや、外さなくてもいいですから。」と、強く言い過ぎた自分に後悔し、サングラスを仕舞う老紳士の手を止めに入る一念。


「最後までちゃんと喋ってくれればそれでいいですから。」と、仕舞うその手からサングラスを奪い、老紳士に再び掛け直そうとする。


しかしそれを両手で庇い、「いいの、いいの。やめて。」と、拒む老紳士。


紳士の話しでは、かけるとどうしてもあの団長を意識してしまい、無意識のうちに寄せていってしまうと言う。


 この人って、案外テレビっ子なんだな・・・。


紳士の新たな一面を見つけてしまった一念。


そもそも寄せてるあの団長だって、もっとハッキリとセリフ喋るわ!と、小さい声で突っ込む。


「さ!どうかね?一念君。」


今までのくだりを、まるで無かったかのように、ガラッとキャラを変えて尋ねてくる老紳士。


一念、そんな急にキャラ変えて聞かれても・・・と、戸惑いながらも辺りを見回す。


改めて見ると、周囲にはマスクをした子供たちがちらほらと、思い思いに元気に駆けずり回っている。


ここが、2020年以降の夏であることは、確かなようだ。


「行ってみましょう!」


今度こそ!という思いを胸に、一念はその一歩を踏み出した。


公園通りを北に向かい二本目の十字路を左に曲がる一念。


曲がってすぐに見える、二件目の我が家の軒先。


その駐車場からは、いつものように愛車がちょこっと鼻先を見せていた。


 今度こそ、間違いないかもしれない。


このチリチリとした夏の暑さにも、どことなく身に覚えがある一念。


建ち並ぶ家々の間から覗く、抜けるような青空と入道雲。


視界の端を流れていく、何度も自分で塗り直した塀。


無意識のうちに、一念は小走りで我が家に駆け寄っていた。


一歩、また一歩と近づくたびに、一念の期待は確信へと変わっていく。


今度こそはと期待に胸を膨らませる一念。


駆け寄り門に手をかけたその時、視界に広がる違和感に、一念の動きはピタリと止まった。


「あれ?・・・。」


 何かが足りない・・・。


門から我が家の玄関が、やけにすっきりと見通せている。


「そうだ!」


いつも門の向こうからこちらを見下ろしている、コニファーの樹がいない!


一念は慌てて門を押し開いた。


しかし、門の向こうで何かがぶつかりそれ以上先へは押し開けない。


覗いてみると、そこには無残にも根元からへし折られたコニファーの亡骸が横たわっていた。


「な!誰がこんなことを!」


体重をかけ、無理やり門を押し開いて中に入る一念。


その目に飛び込んできた光景に、一念は更に驚く!


「なんだよこれ!」


そこには、ひしゃげた脚立が押し倒されたコニファーに重なり、その下の土間は赤黒く染まって血塗られていた!


まるで殺人事件でも起きたかのような、目を覆いたくなる残酷な惨状。


すると、その衝撃的な光景のショックからか、一念の脳裏に再び新たな記憶が呼び覚まされた。


青ざめて、力なく崩れ落ちる一念。


頭蓋骨がきしむような痛みが走る頭を抱え、その場に蹲って膝を着く。


「おい!どうした!」


後から追い付き、同じくこの惨状を目にして驚愕する老紳士。


紳士はその前で蹲る一念を見つけ「大丈夫か!」と背後から抱きかかえ声をかけた。


「だ、大丈夫です。」


軽く片手を上げ、老紳士に支え挙げられながら立ち上がる一念。


ふらつく頭部を抱え、また一つ、記憶が蘇ったことを老紳士に告げた。


「まことか!」

「はい・・・・・・この惨状は、僕の仕業です・・・。」


一念が言うには、この土間を赤黒く染めているのは自分の血で、自分はここで外灯の球を取り替えようとして感電し、脚立から落ちて頭を打ったのだと言う。


土間を見詰め、物思いにふける一念。


 帰って来れた。僕はやっと、帰って来れた。待ち望んでいた僕の世界に僕の家に、僕はやっと帰って来れた。


これまでの老紳士との珍道中を思い返し、瞳にうっすらと涙が浮かんでくる一念。


「ありがとうございます。」と、老紳士に向き直り、礼を言った。


「やっとここまで帰って来れた。あなたのおかげです。」


そう言って、老紳士に右手を差し出した一念。


しかし老紳士は、浮かない顔で一念の右手を見つめたまま、じっとしていた。


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