第10話 我が家へ―②


 ザーザーと降りつける雨が、冷え切った一念の体に容赦なく叩きつける。


時の扉を超えた世界は、どしゃ降りの雨だった。


「・・・・・・・・・・。」

「お前もついとらんのう!」


連れてきたのは、ジジイあんただ!


無言のまま、滝行の様な洗礼を受け続ける一念。


しかし、先にいた世界よりも気温がだいぶ暖かいせいか、滝行というよりかはぬるめのシャワーを浴びているようで、冷え切った体の一念にはむしろ心地良かった。


「さ!行って来い!行って確かめて来い!」


びしょびしょの一念の背中を、勢いよく押す老紳士。


老齢とは思えないあまりの力強さに、一念は手前につんのめりそうになりながら、門に手をかけ体を支える。


顔を上げ、ふと見上げると目の前には懐かしいコニファーの樹。


まるで一念の帰りを待ちわびていたかのように「おかえり。ご主人」と、その立ち姿は一念を出迎えてくれているようだった。


 帰ってきた!僕はやっとこの場所に、僕の我が家に帰ってこれた!


内から湧き上がる根拠のない希望。


振り向くと、老紳士もまた、笑顔で小さく頷いてくれている。


その笑顔に、迷いのない自信が心から湧いた一念。


大きな一歩を踏み出し、玄関のドアノブを力強く握った。


高鳴りだす鼓動。


瞳を閉じて、ここが自分の帰るべき場所であることを強く願う一念。


「ママー!はるかー!」


嬉々として勢いよくドアノブを引き、一念は家の中へと姿を消した。











十秒後。


血相変えて一念は玄関から飛び出して来た。


「え?なに⁈・・どした⁈」


尋常ではない慌てっぷりで飛び出して来た一念に、大体の予想は付いた老紳士。


目の前を通り過ぎ、足早にこの場から立ち去ろうとする一念の傍らに駆け寄り、慰めに優しく声をかける。


「居たか?ここにもまたお前さん居たんか?」


「居ましたもの自分。仕事してましたもの。ビックリですよ、自分。」


情けなく半べそをかき、歩く速度を緩めないままで躍起になって訴える一念。


そんな一念を労うように、


「そうか。居たか・・・。ビックリだな。そりゃビックリだ!」と、一念の肩を抱く老紳士もまた、どしゃ降りの雨の中、歩調を合わせてともにこの場を立ち去っていった。





未だ降り止まない雨を除け、公園の東屋に身を寄せる一念と老紳士。


大人二人がなんとか座れる小さなベンチに腰を下ろし、次なる場所をいつに定めるか思案する。


ここから一日ずつ時を超えてみては?と一念は提案するが、老紳士は難色を示す。


どうやらこの奇怪な現象にはタイムリミットらしきものがあるらしく、初めて知らされた一念は動揺を隠せずにいた。


リミットを超えると、自分はどうなるのであろう。


もしかしたらこのまま帰る場所を失い、この世界を彷徨い続けることになるのか?


突拍子もない後出しの規則に困惑する一念。


老紳士に聞いても「大丈夫!わしが何とかするから!」と、なにか秘策でもあるのか、その一点張り。


行き詰まった二人。


すると、老紳士は一念の提案する中で、あることに気付く。


「お前、なんでまた一日ずつなんて、まどろっこしいこと言うんだ?」


すると一念、不確かな自分の記憶を自信なさげに老紳士に話し始める。


「さっき家に上がった時にね、ふわっと蘇った記憶みたいなものが、目に映ったんです。」


「!ほう・・・。」


まるで、よし、来たか!と言わんばかりに、一念の話に食い入る老紳士。


「それで、あれ?って思って、振り向こうとしたら、四畳半の部屋でパソコン打ってる僕が視界に入って、慌てて飛び出して来たって訳です。」


「ほー。んで?その蘇った記憶とは?」


その先の興味から、眼力強くぐっと詰め寄る老紳士。


 え⁈ 近っ!。


ただでさえ、大人二人には小さすぎるベンチ。


・・・・近すぎる・・。


「えっと・・・。」


近付きすぎた老紳士から、ちょっとだけ距離を取り、一念は再び話し始める。


「外灯のね、電球を取り換えているんです。僕。」

「ほー!んで?」


せっかく距離を取ったのに、さらに近寄る老紳士。


「え?・・・あ、それで・・・。」


さらに近寄ってきた老紳士から、再び距離を取ろうとしても、もうすぐ後がなくなることに気付く一念。


気持ち少しだけ尻を動かし、話し続ける。


「それで、その時僕、脚立に登っていて・・・。」


すると、なにか思うところの確信にでも触れたのか、少し興奮気味の老紳士は、後のない一念にさらに「ほう!ほう!」と、詰め寄ってきた。


「・・・って、近いから!」


話の腰を自ら折り、近づく紳士に叫ぶ一念。


ベンチから尻半分はみ出し、落ちそうになりながらも、老紳士をグイグイと尻で押し返す。


その様子に「お、おう。すまん、すまん。」と、慌てて身を引く老紳士。


「落ちますから、私。ただでさえ狭いんだからさぁ。」と、一念は少々の苛立ちを抑え、気を取り直して話の続きを始めた。


「えっと、どこまで話しましたっけ?」

「脚立だ。脚立に登ったところだ。」

「あ、そうだった。脚立に登ったんです。それで・・・。」


すると突然、言葉に詰まる一念。表情も硬く強張る。


「ん?どうした?・・・!まさか!・・。」


やっと思い出せた記憶を、興奮しすぎた自分のせいで、またも失ってしまったかと焦る老紳士。


今度は距離を取り、心配そうに一念を覗き込む。


すると一念、「いや。」と、覗き込む老紳士をよそに、新たに示された記憶に驚愕する。


「僕はそこで・・・・・。」

「僕はそこで?」


心配そうに一念を見つめる老紳士。


しかし、その一念の驚きの表情から、老紳士は新たな記憶が蘇ったことを汲み取った。


「僕はそこで・・・。」

「僕はそこで⁈」


「僕はそこで!感電してる‼」

「そうか!感電したのか‼」


待ちに待った一念の新たな記憶!


歓喜に匹敵することでもあるが、老紳士は更にその先を求めた!


「で⁈」

「え?・・で⁈って?・・・。」

「いや、だから、そのさきよ。」

「え?・・そのさき・・・っすか?」


しかし、蘇った一念の記憶はそこまで。


あとは仕方なしに語られた一念の憶測のみ。


一念が言うには、自分はそこで感電して脚立から落ち、その反動でタイムスリップしてしまったと推理しているそうだ。


なんでも、妻の千日が好きでよく見ていたテレビドラマに、病院の階段から落ちてタイムスリップしてしまった医者の話があったらしく、一念は、そのドラマの主人公に自分を重ねている。


ちなみに一念は、そのドラマのあらすじも思い出したようで、いくつかの感動のワンシーンを、目を潤ませながら老紳士に熱く再現していた。


 これって、あんましカンケーねーんじゃね?・・・とは思いながらも、気が付くとあまりの熱の入りように止める機を失い、何かの手掛かりがもしかしたらあればと、半ば自分の心を偽り最後まで話につきあった老紳士。


結果、予想通りに手掛かりなどはないままに肩を落とす。


「なんか、ごめんなさい、はははっ・・・。」


熱くなった目頭を押さえ、照れ隠しに笑顔で誤魔化す一念。


落胆していることも分からずに、老紳士の肩にそっと手を置く。


しばらくの間、黙り込む二人。

片や昔観たドラマのワンシーンを思い出して感傷に浸り、片や相方の的外れな記憶と迫りくるタイムリミットに焦りを感じ、訳の分からない気まずい空気は狭いベンチに座る二人を包んでいる。


「よし!こうしよう!」


気持ちを切り替え、新たな提案を最初に出したのは、真面目に考え落胆していた老紳士からだった。


「お前の言う通り、ローラー作戦でいこう。」

「え?でも、タイムリミットがあるんじゃ?・・・。」

「話を最後まで聞け。」


先程の落胆ぶりとは打って変わっての、自信に満ちた老紳士の笑顔。


なぜか一念は、いつもこの笑顔に救われる。


老紳士の話では、一念の言うような一日ずつの時の超えかたでは時間がいくらあっても足りない。


ならば、ある程度の的を絞って、一週間後、一か月後と、時を超えてみてはどうかという話だ。


行き過ぎたと思えば、予測して後戻りしても良いし、まだ先と思えばこれもまた予測して先に進むも良し。


ギャンブル性はかなり高めだが、その間に一念の記憶がまた少し蘇れば、それもまたラッキーチャンス!と思えば良いと、老紳士は笑顔で一念に告げる。


二人の表情に差す希望の光。


「よし!では、善は急げだ!」

「はい!」


左手を高らかに掲げ、ゲートを呼出す老紳士。


「では!ゆこうぞ!」


そして二人は眩い光に包まれて、時の彼方へと旅立っていった。


いつもの合言葉。


「オープン!ザ!セサミ!」の言葉もなしに。


そして一念は気が付いた。


 あの言葉って、無しでも行けんだ・・・。と。 




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