あめのはな
コンビニの軒先で絹雨の止むのを待ってみた。頭の上の店の看板灯に照らされた雨系はその光の筋を美しく魅せてくれる。
「これは止みそうにもないかなぁ」
隣で同じように雨宿りをしている三剣がそう言った。
「そうですね・・・」
「疲れたでしょう?」
私のぼーっとした姿に気を遣ってくれたのだろうか、確かに冷え切った身体は体力をかなり消耗していたようで、今になって少し眠気のようなものが出て来ていた。
「よければですけど、一緒に貴船に行きませんか?」
「貴船に?」
確かに彼は宿を貴船で借りているとマスターが言っていたのを思い出した。
「ああ、もちろん私の部屋ではないですよ。女将にお願いして開いている部屋を用意して頂きますから」
こんな気遣い、いや、どう捉えるべきなのだろうか。普段ならこんな誘いには警戒して乗らないのに、私はコクリと首を縦に振った。
「じゃぁ、電話してみますね」
そう言って電話をかけた彼は数分ほど話をすると、少し笑みを浮かべてこちらを見た。
「開いている部屋があるそうなので、そちらにお願いしました。車をとってきますから、ここにて下さいね」
そう言って彼は雨の中を駆け出していった。
取り残された私は空を見上げる。雨糸は紡がれる事なく降り続けている。でも、その雨に目を向ける者は視界に入る感じではいなかった。車も人も傘を挿しながら足速にその場を通り過ぎていく。彼らにとっては突然振ってきた迷惑極まりないものだろう。たぶん、私も先程までなら、あの川で過ごす前まで気付くことすらなかった。
雨というものがこんなにも綺麗な姿を魅せることに。
やがて雨糸は容姿を大きく変えて大振りの水滴へと変化すると雨音が音色を変えた。
道路に降り注ぐ雨粒はアスファルトの上や停車している車の上で爆ぜると、それを包むような波紋を真上に波立たせている。
そこへ街路灯の色々な光が差し込むと、まるで色とりどりの雨花が咲く。
それは一瞬で綻び、それは一瞬で咲き誇り、それは一瞬で崩れ去る。
そして耳を澄ましてみれば、その花の開く音が聞こえる。それは本当に聴こえているかどうか分からない、想像力という人間の元々の力が加わっているのかもしれないけれど、今の私には聴こえている。
澄んだ水音、純粋な水音、柔らかい水音。
どれもこれもが同じではない、それぞれが咲く場所で違う音を立てている。そして、それに付随するように別の音も聞こえる。それは、鉄を弾く音であったり、地面を弾く音であったり、ガラスを弾く音であったり、と其々違う。
でも、それは空から落ちてくる一滴の雨粒なのだ。
そう考えると、悩んでいた事が少しばかり薄らいだ。固まった壁が崩れるように私の思考にも考える余地が改めて生まれる気がする。
もちろん、こんな事では解決はしないだけど、でも、意固地な考えになっていた私の感情と思考が変化を見せたのも事実だった。
やがて連続して咲いては崩れるを繰り返したのちに花畑は次第に枯れてゆき、後にできた水溜りに優しい雨粒か落ちては小さな波紋を響かせていく。その波紋もまた、色々な大きさや姿、形を魅せてはまたたきの彼方へと消えていく。
「こんな世界にも気が付けていなかったんだ」
足元にできた水溜りを見ながら、私はふぅっと息を吐く。
多分、こんな話をすれば、普通の人、あ、何が普通かなんて人それぞれなのだろうけど、少なくとも変な目で見られる事は確かだろう。でも、これに気がつけた事が私にはとても嬉しかった。
些細な事に気がつけるのは、とても嬉しい事なのよ。
生前、祖母がそんな事を言っていたことを思い出し、まさにその通りだなと思う。
ふと、目の前に一台のセダンが止まった。小豆色のような車体にそうように雨粒が流れて落ちてゆく。ハザードを焚いた車の運転席から三剣が傘を挿しながら降りてきて、私の側へと駆け寄った。
「ごめんなさい、遅くなりました」
申し訳なさそうに彼は頭を軽く下げた。
「こちこそ、迷惑をかけてるんですから、謝らないでください」
「そう言ってもらえるとありがたいです。だいぶ、解けましたね」
「解けた?」
「ええ、能面のような表情をされてましたから、後は車内で話すとして、さ、車へどうぞ」
傘に私を入れて車のそばへ案内して三剣は後部座席のドアを開けた。
「えっと・・・お、お邪魔します」
そう言ってその車に乗り込む。2回目の乗車になるのに初めて緊張した。1度目はまったく車を気にしていなかったし気がつく事もなかった。しかし、今は気にしてしまう。
上品な車内、いや、もはや室内といっても良いかもしれない。シートも自分が使っていた車とは桁違いなほどの座り心地であった。扉が閉められると、車内は外界からの音を
遮断されて、静寂に近い空間となると静かにジャズが流れている事に気がついた。
運転席に彼が座りシートベルトを閉めたカチリと言う音さえも車内に響く。
「さて、いきますね、あ、何あるといけませんのでベルトだけは閉めて下さいね」
「は、はい」
同じようにシートベルトを閉めると私は気持ちを落ち着かせるためシートへしっかりと身を沈めた。程よい抵抗感で身を包むシートにしばらくうとうとしていると、そのまま眠りの淵へと意識はいつの間にか落ちていた。
三剣の愛車でもある日本のフラッグシップカーは、京都の通りをゆっくりと貴船方面へと進んでいくのだった。
五線譜のないミュージック 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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