20.チェック・アウト

 ――レッドサン・パレスホテルの駐車場は、夜明けを迎えていた。


 自動車のボンネットにもたれ、シドニーは延々と電話をかけ続けている。そこにレティシアが近づき、彼女に紙包みとカップを差し出した。


「――ほら。カフェモカと、揚げたてのドーナツよ。バーで作ってきたの」

「おっ、こりゃいいや! ありがとう!」


 シドニーは大喜びでそれらを受け取ると、代わりにスマートフォンを差し出した。

 するとレティシアは流れるような所作で、シドニーの代わりに電話をかけ始める。物憂げなエメラルドグリーンの瞳は、蜃気楼のように揺らぐホテルを見つめていた。


「……あと何回かけたら諦める?」

「とりあえず、充電が切れるまでは粘ってみようと思うよ」


 ドーナツをむしゃむしゃと頬張りながら、シドニーはひょいと肩をすくめる。


「それで駄目だったらまぁ……霊媒師でも呼んでみようか。ただ、どうも認識が歪められてるのか、皆があのホテルの存在を忘れているのが難点だよねぇ……」

「ふん……」

「なにさ。僕、なにかおかしいことを言った?」


 シドニーが怪訝そうな顔で、レティシアに視線を向けた。

 レティシアは電話をかけながら、うっとりするほど美しい顔でシドニーに笑いかけた。


「案外キーラのこと、心配してるのね」

「そりゃね。君より付き合いが長いもん。昔は同僚で、今は上客だ。そこそこ困るし、悲しいし。……ジョシュアが死んだ時ほどじゃないけど。でも、あいつにも死なれたら――って、なんだよ。なんなんだよ。その顔は一体なんなのさ。レティ、なんで笑ってるんだよ」

「ふふ、別に。――まぁ、あたしもあの子がそんな簡単に死ぬとは思ってないわ」


 くつくつと笑いながら、レティシアはホテルに視線を向ける。画面を見もせずに白い指先で液晶をタップし、再度キーラの番号にコールした。


「だってあの子、きっと死神もブッ殺すタイプだし――っ、と……!」


 ぐらりと大きく地面が揺れた。

 レティシアはとっさに車にしがみついた。隣ではちょうどコーヒーに口を付けていたシドニーが、「あっつい!」と悲鳴を上げる。

 地震は、奇妙な余韻を残して収まった。

 よろめきながらも姿勢を直したレティシアは、ホテルを見て目を見開いた。


「シドニー! あれ……!」

「なんだいなんだい? なにがなんだか知らないが、それはたったいま僕が最低でも上唇と舌とに火傷を負ったことよりも大事なのかい? ……ねぇ、正直薬とか持ってな――」

「ホテルよ! バカね! ホテルが元に戻ってるわ!」


 悪態を吐くシドニーの肩を小突き、レティシアはホテルを指差した。

 燦々と差す朝日を受け、レッドサン・パレスホテルは確かにそこに存在していた。

 揺らぎはない。石造の建築物は、地面に黒々とした影を落としている。

 そしてシドニー達の眼前で、その扉が開いた。

 正確には、蹴り飛ばされた。


「やれやれ……」


 キーラは無表情で、日差しの元に歩みでた。

 相も変わらぬ涼しげな無表情。頬のかすり傷の他には、ろくに傷を負っていない。

 そして両腕には、真っ青な顔をしたオーレリアを抱えている。

 キーラはシドニーとレティシアとに視線を向けると、ほんの一瞬だけ唇を吊り上げた。


「――やぁ。チェックアウトだ、諸君」

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