Epilogue.

海を渡るように

 ――オーレリアはぼんやりとした顔で、ホテルの玄関に座り込んでいた。


「あの子、どうすんの?」


 シドニーがキーラを小突き、オーレリアを示した。

 熱い紅茶を飲んでいたキーラは、その言葉に視線を向ける。紅茶を調達した当人であるレティシアはシドニーのスマートフォンを使い、どこかに電話をかけていた。


「家出娘なんだろ? しかも、保護者だった先生もいなくなったわけだし……かといって、元いた場所に戻すのもきっと酷だろう。どうするわけ?」

「……オーレリア次第さ」


 キーラは肩をすくめると、車のボンネットに空の紙コップを置いた。

 そして、ゆっくりとオーレリアの元に歩いていった。


「オーレリア」


 声を掛けると、オーレリアはぼんやりとした目を向けてきた。その手には、キーラと同じように熱い紅茶を満たした紙コップがあるが、口を付けた様子はない。

 キーラは隣に腰掛け、無表情で問いかけた。


「これから、どうしたい?」

「……想像もつかないわ」


 オーレリアはゆっくりと首を振った。

 輝く朝日に照らされると、その肌の白さがいっそう際立つ。クラゲ達は日差しの中で、まるで浮かれているようにぽわぽわと浮遊していた。


「家に……帰らなきゃ、いけないのかもしれない……けれど……」


 オーレリアは目を伏せ、うつむいた。

 すっかり泣きはらした目をしているが、それでもオーレリアは美しい。

 長い睫毛と、整った鼻筋のラインとをじっと眺めつつ、キーラは彼女の肩を撫でた。


「――生きたいように生きればいい」

「あ……」


 オーレリアは目を開け、立ち上がるキーラを見上げた。

 透き通るようなアイスブルーの瞳を見つめて、キーラは淡々と言葉を続けた。


「君の望むようにすればいい。行きたい場所があるのなら、私はそこまで送ってあげる」


「ただ」と、キーラは一瞬だけ唇を吊り上げた。


 手を伸ばし、オーレリアの乱れた髪を少しだけ梳いてやる。オーレリアは何度もまばたきをして、キーラのその所作を見つめていた。


「……もう少し、君はずるく生きてもいいと思うよ」

「――キーラ!」


 レティシアの声に、キーラは振り返る。

 スマートフォンを手にした状態で、レティシアは意味ありげにホテルに視線をやった。


「アライグマのクリーニングサービスが使えたわ。連中、どんな異常死体でも引き受けるんですってよ。だからここも、『なにもなかった場所』になる」

「筋書きは集団自殺とかになるのかな」


 シドニーが大きくあくびをしながら、ぐうっと背筋を伸ばした。


「なんにせよ、早いことこんな陰気くさい場所から離れたいもんだ。――近場にモーテルがあったじゃん? あそこまで行って休まない?」

「そうね。あんたへの追究はその後にしましょう」

「そんな! 君はまだ今回の出来事が僕のせいだっていうのか!」


 シドニーとレティシアは車を挟んで言い争いを始めた。

 それを涼しい顔で無視しながら、キーラは駐車場を横切る。大型バイクは先日と変わらぬ姿で、しっかりと停車場所に存在していた。


「……ね、ねぇ……」


 車体をそっと撫でるキーラの背中に、か細い声がかかった。

 澄んだ【青】の声――キーラはゆっくりとまばたきをすると、振り返った。

 ワンピースの裾を握りしめ、オーレリアが今にも泣き出しそうな視線を向けてくる。迷うように口を開いては、躊躇うように閉じる。

 そんな彼女の次の言葉を、キーラは無表情で待った。


「わ、わたしは、貴女に貸しがある……ライフルの人と、鎧のヴィジター……」

「うん」キーラはうなずいた。


「そして、貴女は……わたしを、描きたいと言った……」

「うん、描きたい。すごく」キーラは無表情のまま、また一つうなずいた。


 オーレリアは目を伏せ、何度か深呼吸をした。いくつもの切り傷の残る左手首を落ち着きなくさすった後、オーレリアは目を開けた。

 アイスブルーの瞳が、まっすぐにキーラの群青の瞳を捉えた。


「描かせてあげる」


 左手首をきつく握りしめて、オーレリアははっきりとした口調で言った。


「だから、わたしを連れていって。それで全部、帳消し」


 キーラは、笑った。

 尖った歯を剥き出して、これまでになく満足げに唇を吊り上げた。まるでシャチが威嚇するような、あまりにも禍々しい微笑にオーレリアは後ずさった。


「いいよ」


 震えるオーレリアには構わず、キーラは何度もうなずいた。


「大歓迎だ。君には絶対に不自由させない」


 ひとしきりうなずいた後で、キーラはふと元の無表情に戻った。手の中のヘルメットを見つめ、そしてたじろぐオーレリアに無機質な視線を向ける。


「ど、どうしたの……?」

「……もう一つ、必要だ」


 キーラはため息を吐くと、いまだ言い争いを続けるシドニー達のほうに歩き出した。

 オーレリアも慌ててその後に続き――そして、小さく笑った。


「どうしたの?」今度はキーラがたずねた。


「ほとんどのクラゲは、流れに従って海を移動するの……泳ぎが上手じゃないから」


 キーラの隣に並びながら、オーレリアは語る。

 ミズクラゲ、チチュウカイイボクラゲ、イルカンジクラゲ――。

 青空の下で、使い魔のクラゲ達が舞い踊っている。陽光に煌めく彼らのダンスを眩しげに見上げて、そしてオーレリアはキーラに視線を向けた。


「……シャチについていくクラゲがいても、いいのよね」

「そうさ。クラゲの勝手だ。シャチの起こす水流に乗るのもありだろう」


 相も変わらぬ無表情で、キーラはうなずいた。


「どの流れに乗るかは、クラゲが決めればいい」


 オーレリアは、はにかんだように笑った。キーラも一瞬だけ微笑んだ。

 そうして二人は、並んで歩いた。


              【完……?】

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