14.異形の胎
行き先など考えてもいなかった。
オーレリアを担ぎ、キーラは全速力で廊下を駆ける。
どこまでも殺風景な廊下を突き進み、目に付いた金属扉に渾身の蹴りを叩き込む。
呆気なく扉は吹き飛び、奇妙なピンクとブルーの光が目の前に広がった。
異様な空間だった。
足元には無機質な金網床があり、その向こうでは透明な水面が揺れている。
キーラの眼前には、水晶質の円筒がずらりと並んでいた。
大きさはおよそ二メートル前後。円筒の内部にはどろりとした何かが満たされ、マゼンタとシアンの色鮮やかなマーブル模様を表面に描いている。
円筒からは透明なチューブが伸び、それが床から天井まで縦横無尽に渡されていた。
光る水晶円筒からは、【蛍光色】の波紋がゆっくりと広がっている。あまりにも異様な【色】のコントラストに、キーラはこめかみを押さえた。
「……なにこれ」
キーラの声の声に反応したのか、オーレリアが肩の上でゆるゆると動く。
クラゲの助けを借りつつも顔を上げた彼女は、円筒を見るなり青ざめた。
「サイサルクス……」
「それは何?」
円筒から一番遠い側の壁には、鉄筋とブルーシートが積み上がっていた。
キーラはそこまでオーレリアを運ぶと、床に座らせてやった。
「ヴィ、ヴィジターが、肉体を作る場所のことをこう呼ぶの……たぶん、ここがそう……あ、あの円筒はきっと、オートクチュールを作るための設備……」
「……ふぅん、ここであの変なヴィジター達を作っていたわけだ」
かすれた声で言いながら、キーラは水晶円筒に目をやる。
何かが泡立つような音がした。同時に渦の中に金の球体が無数に浮かび上がり、円筒壁面にびっしりと貼り付く。……どうやら眼球のようだ。
「全部飛びだしてきたら面倒だな……」
「た、たぶん、まだ大丈夫だと思う……きっと、作っている途中だから……」
囁くオーレリアは、明らかに疲労しきっていた。ただでさえ狂気染みた事態に打ちのめされている中で、あれほど巨大なクラゲを使役するのは相当堪えたはずだ。
「……早めに終わらせたいな」
「せ、先生を殺すの……?」
オーレリアが不安げに見上げてくる。
周囲に漂うクラゲに照らし出され、血色の悪いその顔はさらに青白く見えた。
「ああ。殺したいね」
うなずいた途端オーレリアは、うつむいてしまった。
キーラは目を細めると、彼女の柔らかな頬に手の甲をそっと滑らせた。
「彼女は君にひどいことをした。そして、このホテルにいたなにも知らない人間にも、彼女はひどいことをした。……私は一般人の常識なんかに興味はないけどさ」
泣きそうな顔で見つめてくるオーレリアを見つめて、キーラは淡々と言い切った。
「ナオミは相応の報いを受けるべきなんじゃないかな?」
「報い、を……」
「うん。あと、単純に私がだいぶムカついた」
キーラは涼しげな顔で言ったものの、すぐに唇に指を当てて考え込む。
「とはいえ、思った以上に厄介だ。あいつはすぐ再生するし、残機がいくら残っているのかもわかりゃしない。素の身体能力もかなり良い。おまけに魔法ときた」
格闘で重力転換を用いれば、こちらは否応が成しに体勢を崩される。
使い魔のカラスの攻撃は予測ができず、射程も長い。
紫の爆炎もまともに喰らえば重傷を負う――そして、恐らくは他にも色々できるだろう。
「面倒だ」
キーラはごく短く感想を述べ、人差し指の第二関節をがりりと噛んだ。
「どうにか動きを止めることができれば……せめて、魔法を封じることができればこっちのものなんだけどな。今のままじゃ埒があかない」
「でも先生はどんな傷を負っても再生する……し、し、死んでも、復活するんでしょう?」
オーレリアは視線を揺らし、拙く言葉を連ねた。
「たとえ魔法を封じても……こ、ここ、こ、殺すことなんか……」
「……それについては少し考えがある」
積まれた鉄筋を見つめ、キーラは目を細めた。
「ど、どうしよう……わたしじゃ到底敵わない……でも、でも……どうにか……」
頭を抱え込むオーレリアの足元で、影がざわめいた。苦悩する主を応援するように、オーレリアの影からぽこぽこと様々なクラゲ達が湧き出した。
青、ピンク、白、虹色……それらのクラゲを、キーラは唇に触れながらじっと見つめた。
「……オーレリア。クラゲ達は、君の指示で毒を操作できるんだったね」
「えっ、ええ……でも、先生には通じないわ」
オーレリアは顔を上げると、そっと手を広げた。
それに従って、両掌の上に三匹のクラゲが寄ってくる。カツオノエボシ、ブラックシーネットル、キタユウレイクラゲ、アンドンクラゲ――いずれも毒性を持つクラゲだ。
「わたしが使える中で、毒の強いクラゲは今はこの子達だけなの。……でも、先生はその事を知っているわ。だから、きっと対策をしているはず……」
「……このクラゲは?」
キーラが指差したクラゲは、オーレリアの頭の上でくるくると回っていた。
「この子……?」
オーレリアはきょとんとした顔で、軽く人差し指を折り曲げる。
すると、すぐさまその白く小さなクラゲは彼女の掌へと漂っていった。指先ほどの大きさのそれをそれをまじまじと見つめて、オーレリアは首を傾げた。
「あなたは、さっき出てきた子ね……毒があるの?」
戸惑いの滲むオーレリアの問いかけに、白クラゲはただゆっくりと上下する。
「……つまり、このクラゲはナオミもまだ知らないんだね」
「そ、そうだけど……で、でも……」
なおも言葉を続けようとするオーレリアの唇を、キーラはそっと指先で止める。
そして大きく見開かれた瞳を覗き込み、ゆっくりと囁いた。
「その時は、その時。――気楽に行こうよ」
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