13.おまえに理解できるものか

「……ふゥン、なるほど。これがテラーというわけだね」


 ナオミは苦笑すると、小太刀を逆手に構えた。


「感覚も感性も常人からはかけ離れている……しかし、そこまで人間から遠いとさぞかし孤独だろうね。誰も君を理解しないだろう」

「……君は『52ヘルツの鯨』を知っているかい?」


 抑揚のないキーラの言葉に、ナオミは訝しげに片眉を上げた。


「世界で最も孤独な鯨のことだね」


 ――その歌声は一九八九年に初めて観測された。

 この謎の鯨は52ヘルツの周波数で歌う。これは近縁とみられる鯨達よりも遥かに高い。

 そしてその回遊パターンは、いかなる鯨のそれとも一致しない。

 歌えども応えるものはなく、泳げども逢うものはいない。

 それでも、その鯨は青い海の底で歌っている。

 ひとりにはあまりにも広すぎる太平洋で、誰にも聞こえない声で鯨は歌い続けている。

 ――故にその鯨は、世界で最も孤独な鯨と呼ばれた。


「でも、それは人間の見方にすぎない」


 バテンカイトスを弄びながら、キーラは肩をすくめる。


「人は時として理解の範疇外にあることを自分の物差しに当てはめる。あの鯨が本当に孤独かどうかなんて、鯨以外の誰にもわかりはしないんだ」


 漆黒の蛮刀を軽く手の内で返すと、キーラは切っ先をナオミへと向ける。


「他人の理解なんてどうでもいい。――少なくとも、私は君が思うよりも遥かに愉快かつ爽快に生きてるよ」

「そうかね。それは良かったね」


 ナオミが興味深そうにうなずいた。次の瞬間、その小太刀の切っ先はキーラの眼前にあった。


「――ならば、ここで不快に死にたまえ」

「あ、ああ! キーラ――!」


 オーレリアの悲鳴が【青】く空気を切り裂いた。

 その【青】を呑み込むように【黒】がざわめく。


 稲妻の如く迫る小太刀に、キーラはバテンカイトスを繰り出した。

 足を狙う。喉を狙う。刺突を捌く。掌打を捌く。

 閃く小太刀を弾き上げる。火花を散らし、数歩後退するナオミにすかさず追う。

 不穏な【色】が視界に走った。反射的に首をひねる。

 直後響く銃声――弾丸が赤髪をわずかに掠めるのを、キーラは眉を寄せた。


「……目障りだな、それ」


 二発目も難なく回避して、キーラはわずかに身を沈める。

 直後、その姿が掻き消えた。標的を見失ったナオミが眼を見開く。その手めがけ、獣の如く低い体勢から一気に肉薄したキーラはバテンカイトスを振り上げていた。

 腕を切り飛ばすつもりだった。

 しかし寸前でナオミが回避した事で、飛ばされたのは銃だけに留まった。

 再び二つの刃が衝突する。その応酬の中で、キーラは一つの結論に辿り着いた。


 ――この女、シンプルに強い。


 魂の捕食によって、能力や経験を自らの内に取り込めるとナオミは言った。キーラはそれを聞いても、実戦ではその力を発揮できないだろうと高を括っていた。

 しかし、今のナオミは当初の想定を超えている。

 バテンカイトスを振り下ろす。小太刀が軌道を逸らす。手首を掴まれる。

 投げ飛ばそうとする動きを渾身の力で振り払い、逆にキーラはナオミの手首を拘束した。

 重力転換――瞬間、キーラは即座に離脱する。

 しかし、何も起こらない。


「……どうやら、私は正解したようだね」


 不気味に笑うナオミが、キーラへと切りかかってくる。

 バレてるな――声に出さずにキーラは呟く。

 筋肉の膨張、関節の稼動、骨の軋み――どれだけ小さくても人が動く時、音は鳴る。

 魔法という超常現象でもそれは同じこと。複数回の重力転換に晒される中で、キーラはどうにかその【色】を識別し、これによってナオミの魔法を避けていた。

 しかし、どうやらそれが見抜かれたらしい。

【色】を見るキーラに対し、ナオミは転換を行うフリをするだけでも十分だ。

 ナオミはにっと笑って、自分の体へと手を伸ばす。

 右肩から左脇腹にかけての傷――驚異的な再生力によって流血こそ落ち着いてはいるものの、その赤黒い線はまだ確かに刻まれている。

 それにナオミが手を滑らせた瞬間、そこから黒い飛沫が上がった。

 飛び散った雫は膨れあがり、瞬く間にカラスの形を成す。

 ギャアギャアと黒い群れが叫びを上げ、さながら矢の如くキーラへと襲いかかった。

 瞬間――青い光がヴェールの如く広がった。


「は?」「なっ――」


 キーラのみならずナオミまでもが驚愕の声を上げる。

 青い光は――オマモリディープスタリアはその巨体で、キーラの体を覆い隠した。

 間髪入れずにカラスが飛びつき、爪と嘴とを立てる。しかし青く光るゼリーのような皮膜は見た目よりも遥かに強靭で、傷つけるそばから治癒していった。

 ナオミが唇を噛み、振り返った。


「オーレリア……」

「も、もう、やめてください……先生……」


 オーレリアは震えながら、それでもか細い声で訴えかけた。


「わたし……先生に、ひどいことして欲しくない……」


 スカートの裾を握りしめ、オーレリアは喘ぐように言った。

 膝は不規則に揺れ、逃げ出すどころか今すぐにでも崩れ落ちそうに見えた。それでも潤んだアイスブルーの双眸は、どうにかまっすぐにナオミを捉えていた。


「おねがい、先生……こんなこと、もうやめて……」

「Sa……ah……a……an……」


 ナオミは答えず、ほとんど呼気にしか聞こえない声を漏らした。

 途端、黒い群れが動く。

 旋回していたそれらは、たちまちキーラめがけて追撃をしかけた。

 キーラは目を細め、構えかけた。しかし瞬間、視界の端でオーレリアが動いた。


「Mo……! On……!」


 青ざめた顔で、オーレリアはばっと手を突き出す。

 オマモリディープスタリアが、青白いカーテンの如く空間に広がる。

 一瞬で、カラスとキーラとの間は巨大クラゲによって遮断された。カラスを阻むオマモリディープスタリアを眺め、ナオミは「ほう」と声を漏らした。


「成程。思っていたよりもできるね。ただ――」

「ひっ……ひぃっ……!」


 オーレリアの顔は真っ青だった。胸元を押さえつけ、不規則な呼吸を繰り返す。

 そんな彼女を見つめ、ナオミは少しだけ困ったような顔で笑った。


「……自分の限界というものは把握して置いた方が良いよね、オーレリア」


 指を鳴らす――カラスの軍団が巨大クラゲへと一斉にぶつかる。

 巨大クラゲは、呆気なく引き裂かれて宙に散った。


「あぐっ……!」


 オーレリアが地面に崩れ落ちる。消え去るクラゲを尻目に、キーラは駆けだした。


「逃さないんだよね……ッ」


 ナオミは二本の指先を立てると、その狭間に息を吹き込んだ。

 瞬間、紫の閃光とともに禍々しい業火が迸った。

 しかしキーラは表情も変えずに身を翻し、あっさりと炎をかいくぐった。

 そのまま、熱に揺らぐ景色を切り裂くようにオーレリアへ。


 足を止めず、地面にうずくまる彼女を抱え上げる。矢弾の如く次々に迫るカラスの追撃を躱し、キーラは監視室から脱出した。

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