12.殺人鯨VS軍団鴉
――直後、キーラは後方へ吹き飛ばされた。
キーラはとっさに空中で体勢を整え、足元から壁面へと着地する。モニターの何台かが踏み砕かれ、向こう側のコンクリート壁に深々と亀裂が刻み込まれた。
「キ、キーラ……ッ!」
「これは……」
首を傾げると、キーラはそのままゆっくりと立ち上がった。
壁に立っている状態だった。着地の瞬間こそ力を込めたが、いまはほとんど平時地面に立っているのと同じような感覚で壁面に立っている。
「――ほう、これに対応できるのかね」
ナオミは肘掛けに頬杖をつき、興味深そうにキーラを見つめる。
「なに、大したことはしていないね。ちょっと重力の向きを変えてみたんだよね。たいていのやつは不意打ちでこれを使うと転落死するんだよねェ」
「なるほど。初見殺しってわけだ」
キーラは無表情でうなずくと、そのまま足に力を込めた。
壁面から破片が飛び散った。強靭な筋骨にものを言わせて、キーラは壁面を疾駆する。
そうして数多のモニターを砕きながら、肘掛け椅子のナオミへ。
「――君はまだ本当の魔法を知らない」
ナオミは、指を一つ鳴らした。
重力転換。それまで壁に向かって掛かっていた力が、今度は下方から上方へと移動する。
天井へと落下しつつもキーラは、それでも体勢を立て直し――。
「私はね、最近のメイジよりもいろいろとできるんだよね」
重力転換――天井に着地する前に、急激に力の向きが移動した。
立て続けに転換、転換、転換。右から左へ。左から上へ。上から下へ――。
脳が揺れる。内臓が浮く。それでも舌打ちをしつつ、キーラはくるくると身を翻す。
「――こんなこともねぇッ!」
平時なら、避けられるような一撃だった。
しかし度重なる重力転換によって、キーラにはわずかな隙が生じていた。
結果、キーラはナオミの蹴りをもろに喰らってしまった。
キーラの体は呆気なく吹き飛ばされ、後方のモニター群へと叩き込まれる。けたたましい音とともに、破壊されたモニターとコンクリ片が巻き上がった。
「キーラッ!」
「待ちたまえ。下手に動くと危ないよ」
駆け寄ろうとするオーレリアの動きを制し、ナオミは軽く手を上げた。
どこからともなくカラスが一羽現われ、その白い手首に止まる。その背中を軽く撫でてやりつつ、ナオミは破片の山へと視線を向けた。
「どうだい、そこそこ効いたのではないかね?」
「……やれやれ」
キーラはどうにか瓦礫から顔を出すと、自分の額から頬骨にかけてを軽く撫でた。そして指先を染める血の色を見て、興味深そうに眉を動かす。
「……久々に自分の血を見た」
「フム……女性ならわりと見慣れていると思うが、違うのかね?」
「負傷でって意味だよ。まったくいい蹴りだ……さてはなにか武道をやってるな?」
「いろいろと喰ったからね」
ゆっくりと立ち上がるキーラを前に、ナオミはにぃっと笑う。
その手が、反対側の手首に止まったカラスの頭部へと伸びた。黒い爪がかかった箇所からカラスの輪郭は崩れ、奇妙な棒状の形に再構成されていく。
やがて鋭く振り払われたその手には、一振りの小太刀が握られていた。
「……さて。次はどうするんだね、殺人鬼?」
余裕綽々のナオミの顔を見つめ、キーラは無表情のままわずかに四肢に力を込めた。
壊れたモニターが踏み砕かれ、舞い上がった。
性懲りもない突進。群青の瞳でまっすぐにナオミを見つめたまま、キーラは疾駆する。
「またか。他にやることはないのかね?」
ため息。重力転換――瞬間、キーラの姿はナオミの前にあった。
眼を見張るナオミの肩に、バテンカイトスは唸りを上げて叩き込まれた。
赤い飛沫が噴き上がった。自分の体から零れる液体を、ナオミは驚いたような顔で見つめる。
言葉はない。そんな静寂の中で、刃が風を切る音が響いた。
「――浅い」
バテンカイトスから血を振るい落とし、キーラが肩をすくめた。
無表情――しかし群青の瞳は、内側から生じる奇妙な熱に揺れているように見えた。
「寸前で一歩後退するとはな。真っ二つにしたかったのに」
「……どうやった?」
「ん? ああ……重力の魔法を、どうやって破ったかって?」
キーラは無表情のまま、バテンカイトスの切っ先をナオミへと向けた。
「当ててごらんよ、ジグザグザコ」
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