Ⅳ.ブリーチング
1.「はなしがちがう」
「へぇ……それはそれは」
レティシアの言葉に相槌を打ちつつ、キーラは画面を注視する。
ぽつぽつと街灯が灯っているものの、街は群青の闇に包まれている。離れた場所には、黒々とした湖が横たわってるのが見えた。
月明かりが波を白く光らせている。その様に、キーラは小さくうなずいた。
「……この一瞬を描けないのが惜しい」
『おーい! こっちこっち!』
場違いなほどに陽気な声が響いた。
カメラが先を歩くシドニーの姿を映す。シドニーは満面の笑みで両手を振っていた。
『よう、キーラ! レティからもう聞いたか? 僕達の輝かしい成果をさ!』
「……いや、まだ何も」
シドニーが駆け寄ってくる。それに従って、レティシアがわずかに後ずさった。
が、シドニーはレティシアの手を掴んだらしい。
『ちょっとあんた――』
『例のドアーズって組織だけどさぁ。何日か前からか、あちこちにメッセージを載せてたみたいなんだよね。SNSとか掲示板とかにさ』
レティシアの抗議の声も無視して、シドニーはカメラを内側に切り替える。
間もなく迷惑そうなレティシアと、にんまりと笑ったシドニーとが画面に映った。
「どんなメッセージ?」
『どうやらセミナーって名目で人を集めてたみたいだ。ともかくストレスのあるヤツ大集合って感じだよ。家庭、仕事、政治……なんでもござれさ』
『で、セミナーの集合場所に指定されていたのが――』
「レッドサン・パレスホテル」
レティシアの言葉を継いで、キーラは呆れた表情であたりを見回した。
「……ここってわけだ。やれやれ」
『……というかさ。あたし達、あんたの友達の誘いでここに来たわけでしょ?』
『あー、うん……そう、だったかなぁ……?』
ため息を吐く間にも、画面の向こうでは諍いが発生している。
レティシアに指を突きつけられ、シドニーは思い切り視線を泳がせていた。先ほどまではぐいぐいレティシアに迫っていたが、今は逆にどうにか離れようとしている。
『あんたの友達、確かここのスタッフでしょ? あれからどうなったわけ? このことについての弁明とかはないの?』
『なんか初日に会いに行ったんだけど具合悪いから休んだって……連絡つかないし……』
『タイミング良すぎない? どう考えてもハメられたでしょ』
『そ、そうだよねぇ……うん……』
『まったくあんたは……! あたし達まで巻き込んで……!』
『ええー! 僕のせいなの!』
「あ、あの……喧嘩してる場合じゃないと……思います……」
か細い声に、画面の向こうでぎゃんぎゃん言い合っていた二人は沈黙する。
キーラは少し意外な心地で、オーレリアを見下ろした。三人分の視線を一身に受けたオーレリアは震え上がり、視線を彷徨わせた。
「あ……邪魔して、ごめんなさい……」
「正論だ、構わない。それに君はもう少し遠慮なく喋ってもいいんだよ」
キーラの言葉に、オーレリアははにかんだ様子で首をすくめた。
画面の向こうで、レティシアが小さく咳払いをする。
『……ともかく、ドアーズは数日前からホテルに人を集めてたみたい。それどころか、根本的なところからいろいろと絡んでいたみたいね』
「というと?」
『覚えてるかい、キーラ? 昨日のことだ』
無表情で首を傾げるキーラに対し、シドニーがパチリと指を鳴らす。
「僕はレッドサン・パレスホテルは数年前、運営母体が変わったって言ったよな』
「……なんとなく予想がついたぞ」
「ド、ドアーズがこのホテルを経営しているの……?」
キーラはため息を吐き、オーレリアは青ざめた。
しかし、シドニーはにんまりと笑って首を横に振った。
『正確には違う。何年か前にシンプソングループってニューヨークの企業がホテルを買い取ってた。で、去年にリニューアルオープンというわけだ』
「ニューヨークのシンプソン、ね……」
『そうさ。あのロバート・シンプソンの会社だよ』
――ニューヨークで製薬会社をやっている者です!
自身の熱烈なファンだと語ったロバート・シンプソン。つい昨日出会ったばかりの彼の顔を思い出し、キーラは群青の瞳を細めた。
「でも、シンプソンさんとドアーズになんの関わりが……?」
オーレリアがおずおずとたずねた。
『シドニーの知り合いに探ってもらったら、シンプソンの娘のSNSアカウントを見つけたのよ。イントログラムとフェイトブックよ』
『グリッターはやってないんだよねー。やってたら絶対フォローしたのに。捨てアカで』
「その煽り屋気質、本当にどうにかならないの?」
『話をそらさないで。それで娘のアカウントを確認してみたら、もう投稿内容全部ドアーズにどっぷりよ。異界セラピーだの、ヴィジターチャネリングだの……』
「ヴィ、ヴィジターチャネリング……」
ため息交じりのレティシアの言葉に、オーレリアは震え上がった。
「無関係とは思えない……じゃあ、シンプソンさんは――」
「……少なくとも、ドアーズと関わりがあると考えたほうがいいだろう」
唇に触れつつ、キーラは思案する。
「……しかし、目的がわからないな。ホテルをまるごと異界に落として、なにがやりたい?」
『あ、うん。それを今から聞きに行く予定』
シドニーの声に、キーラは我に返った。
画面を見れば、いつの間にかシドニーはレティシアから離れた場所で手を振っていた。
彼女の向こうには薄暗い木々と、だだっ広い駐車場が見えた。
青白い電灯に照らされた駐車場には人気はなく、ただ整然と車が並んでいる。
レッドサン・パレスホテルは、そんな殺風景な景色の先にあった。レティシア達が言った通り建物は影に包まれ、どこか異様な気配に包まれていた。
そんな駐車場の入り口――ホテルの看板のそばで、シドニーはにんまりと笑った。
『わー、やっぱりうようよいるよ』
『声を落としなさい……ああ、本当に気味が悪いわね……』
「カメラには何も写っていないように見えるね。――オーレリアはどう?」
「さすがに画面越しじゃ、わたしにもよくわからないわ……」
オーレリアは困ったような表情で画面を見つめていた。しかし周囲を飛ぶクラゲ達は落ち着きをなくし、傘をいつになく激しく膨らませながら飛び回っている。
画面の向こうでは、レティシアがちらちらと蛇の如く舌を揺らしていた。
『なにもいない……でも、熱源がたくさんある……不気味ね』
『まったくだ。僕の目にも、影みたいなのがたくさん見えるよ! ――で、とりあえず今からあそこにいる影の人達に話を聞いてみようと思う!』
「シドニー……」
ため息を吐くキーラをよそに、シドニーは親指を立てて見せた。
『やっぱりさ、相手に聞くのが一番手っ取り早いと思うんだよ。とりあえず、一番偉そうなヤツを見つけて聞き出してみる!』
『……ねぇ。いったん引き返さない? ほら……』
レティシアが言いながら、カメラを駐車場を映した。
やはりキーラ達から見ても、何も映っていない。主を失った車の群れが、アスファルトの上でただただ寒々しい明かりに照らされているだけだ。
しかし――レティシアの言葉に若干の緊張の【色】を視て、キーラは目を細めた。
『なんだか、昨日より落ち着きがないようにみえるわ』
『大丈夫だって! あれが人間なら、手を尽くし口を尽くせば心を開いてくれるはずさ。それに、僕には魔法の言葉があるんだ』
「……魔法の言葉?」
キーラは無表情のまま、シドニーの胡散臭い言葉を繰り返した。
『どんな相手にも受け入れてもらえる秘密兵器だよ! 今から実践してくるね!』
『あ、ちょっと――!』
レティシアの制止も聞かずに、シドニーは意気揚々と駐車場へと進んだ。
中央で立ち止まった。両手に腰を当てて、笑顔で見回した。そして、片手を軽く上げた。
『どうもー! フーチューバーでーす!』
自分だったらこいつを殺すな――。
キーラは考えた。大きなため息を聞く限り、レティシアも同じことを考えたようだった。
そして、それはどうやら相手もまた同じだったらしい。
『うわっ! 飛んだ!』
突如、シドニーが後ずさった。同時に画面が激しく揺れ、乱れる。
『シドニー! ちょっと――きゃっ!』
レティシアが鋭い声を上げたものの、直後彼女は小さな悲鳴を上げた。
画面がぶれる。電灯が点滅しているようだった。無数の人影が迫ってくる。エンジン音とも、大量の虫の羽音のような奇妙な音が向こう側でブーンと響いている。
「おい、何が――」
『はなしがちがう……』
聞いたことのない男の声がした。
『はなしがちがうぞ……なにもかも……』
疲れた声とともに、画面が暗転し――ぶつりと切れた。
キーラは黙って、自分のスマートフォンの待受画面を見つめる。
蒼白を通り越して白い顔で、オーレリアはキーラとスマートフォンとを交互に見た。
「ど、ど、どうなったの……?」
「……さぁね」
キーラは無表情のまま肩をすくめると、スマートフォンを片付けた。
「私達は探索を続けよう。それしかやることもないんだからね」
「…………うん」
キーラは踵を返し、非常階段へ向かって歩き出す。オーレリアはもはや言葉を発する気力もないようで、とぼとぼとした足取りでキーラに続いた。
いまだ落ち着きのないクラゲ達が、二人の行き先を照らしている。
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