5.駐車場の怪異
「――来たか」
びくっと震えるオーレリアをよそに、キーラはスマートフォンを取り出す。
アイコンをタップすると、わざとらしく厳めしい表情をしたシドニーの顔が映った。どうやらテーブルに端末を置き、その隣に足を投げ出して座っているようだ。
「レティに代われ」
『諸君、ご機嫌よう』
ほぼ反射的に命じたキーラの反応を、シドニーはあっさりと無視した。
「……レティはいないの?」
『レティならお昼の買い出しに行ったぜ。ついでに近隣の情報収集さ。――というわけで、諦めるんだね。いま、君の対応をできるのは僕だけというわけだ。さ、さ、そろそろ本題に入るとしようじゃないか。どうだい? 異世界トリップの進捗は? まさかこれが現実に起きるだなんてね。いやぁ、ジョシュアに聞かせてやりたいもんだと――』
「メッセージは確認した?」
流れるようなシドニーの長広舌を叩き切り、キーラは短くたずねた。
キャラメルブラウンの髪をくるくるといじりつつ、シドニーは親指を立ててみせる。
『そりゃもうバッチリさ。確かホテルの二階から送ったんだっけ?』
「ああ。少しだけ電波が通じるところがあってね」
三〇四号室に戻る前に、キーラは二階――ロンドン・モーニングへと寄った。
カラスの姿はなかった。しかし、微かな羽音の【色】がどこからか感じられた。なのでキーラは用意していたメッセージを送信すると、すぐにその場を離れた。
「メッセージでも伝えたとおり――さっき、ホテルの一階で男に襲われてね。そいつを捕まえて、適当にいろいろと喋らせてみたんだ」
キーラは両手の指先を合わせると、鋭い目でシドニーを見つめた。
「そいつが『ドアーズ』という名を口にした」
『知ってる知ってる。直後にポックリいっちゃったんでしょ?』
シドニーは手をひらひらと揺らすと、画面外からドーナツを一つ取った。カラフルなチョコレートスプレーを振りかけたそれに齧り付きつつ、にやっと笑う。
『本当に拷問が下手だねぇ、オルカちゃん?』
「君と一緒にしないでくれ。拷問上手なテラーなんて君くらいだ」
拷問という行為は殺してはならない。
望む結果が得られるまで、対象を死に至らしめることは許されない。
強烈な闘争心に裏打ちされた殺人欲求を持つテラーにとっては、生殺しに等しい行為だ。
そんな行為を得意とする奇異なテラーは、画面の向こうで肩をすくめた。
『もったいない。僕なら三時間は歌わせることができるぜ』
「どうせ大したことは喋らないだろう。組織の末端も末端だ。――それで?」
『はいよ。今、できる範囲内でドアーズについて調べてみた』
シドニーは画面外に手を伸ばすと、銀色のタブレットパソコンを取り出した。
それを開き、かたかたと軽快なタッチでキーを叩く。
『――とは言っても、まだ大したことはわかってないね。スピリチュアルというか、新興宗教の教団みたいだ。公開されたウェブサイトと、いくつかのSNSアカウントを見つけた』
「……宗教か」キーラは、一瞬だけ唇の端を下げた。
『ああ。鍵穴をシンボルにしているみたいでね』
言いながら、シドニーはタブレットパソコンの画面をキーラ達にへと向けた。
どうやらドアーズのウェブサイトらしい。白地に金と銀のカラーで統一されたレイアウトは清潔な印象で、あのバンダナ男の狂態とはかけ離れて見える。
シドニーの言うとおり、サイトの一際目立つ位置に大きな鍵穴のマークが掲げられていた。
そしてその下には、宗旨と思われる文章が記されている。
キーラは目を細め、文章を読み上げた。
「『我、神秘の扉を開きて第七の天へと至る者也』……?」
「えっ……」
かすかな声に、キーラは視線をスマートフォンから上げる。
オーレリアが目を見開いていた。クラゲの光の影響もあって、さらに顔が青白く見える。
「……オーレリア。何か知っているの?」
オーレリアの影から、無数のクラゲが漂ってくる。
色も形も様々な彼らを周囲に纏わり付かせて、オーレリアは震えながらうなずいた。
「昔……第七天国っていう、メイジの集団がいたの……。魔法を極めることで、人間を越えようとした人達……その集団が掲げた宗旨が、今言った言葉よ」
か細い声で説明したあと、オーレリアは首を振る。
「でも第七天国はずっと昔に壊滅したはずで……どうして、ドアーズが……」
『へぇー、なんかミステリーだねぇ』
ストローでオレンジジュースを飲みながら、画面の向こうのシドニーが軽い口調で問う。
そして、ずいっと身を乗り出してきた。
『ところで君がオーレリアちゃんだよね? かわいいねぇー』
「か、かわっ……?」
「僕のこと、聞いた? 僕はシドニー。ギロチンクラブのバーテンダーさ」
シドニーは恭しく胸元に手を当て、片眼を瞑ってみせた。
「歳は二十三歳。血液型はRhマイナスのA型。趣味はサーフィンにスノボにアーケードゲームに……あ、ところでお酒飲める? 僕、わりとなんでも作れるよ。特にジントニックとブラッディマリーが得意かな。というのもジントニックはキーラ、ブラッディマリーはレティのお気に入りでね。いやー、二人とも酒には本当にうるさくて――」
キーラは無言で、スマートフォンに手を伸ばした。
音量ボタンに指を掛けようとしたところで、シドニーが慌てて姿勢を正す。
『待って待って! 悪かったってば!』
「次は切るからね」キーラは無表情のまま、手を降ろす。
シドニーはため息を吐くと頭の後ろで手を組み、再びテーブルに足を投げ出した。
『――それで? なんで第七天国は滅びちゃったのかな?』
「え、えっと……滅ぼされたの……仲間のメイジと、人間たちに……」
戸惑ったようにキーラとシドニーを見つつ、オーレリアは答えた。
「第七天国の研究は、どんどん暴走していったらしいの……魔法を極め、異界についても調べるうちに……し、思考が人間のものとは、かけ離れていって……」
「……全てを敵に回したわけか」
キーラの言葉に、オーレリアは不安げな表情でうなずいた。
オマモリミズクラゲの一匹を掌に乗せ、彼女はそっとそれに頬をすり寄せた。
「どうして、今になって……しかも、第七天国は特に選民思想の強いメイジ達の集まりだったの。さ、さっきの男の人は普通の人に見えたけど……」
「ふむ……第七天国とドアーズに、何か関わりがあるのかな」
『僕達みたいな感じじゃない?』
「ああ、そうか。その線もありえるね。なるほど」
「えっ、えっ、ええ……?」
混乱するオーレリアをよそに、キーラとシドニーはなにやら合点がいった様子でうなずく。
シドニーはテーブルから足を降ろすと、代わりに頬杖をついた。
『化物に人間に――困ったものだねぇ、キーラ』
シドニーの声も、唇も笑っている。しかし、オレンジの瞳は奇妙に冴え冴えとしていた。
プラスチックで形作ったような笑顔を浮かべ、シドニーは肩をすくめる。
『いっそ動いてるものを片端から殺していったらいいんじゃないか?』
「バカなことを言うんじゃないよ」
『冗談さ。真に受けるなよ』
シドニーは軽く舌を突き出し、両掌を上げるジェスチャーをとる。
『で、これからはどうすんの?』
「探索を続ける。一階玄関は封鎖されていたし、どのみちこの状況で下手に外に出たら危なそうだ。ヴィジターとドアーズに気をつけながら脱出方法を探すよ」
『いいね。なんなら、ドアーズを締め上げたら何か吐くかもしれないし』
淡々と答えるキーラに、シドニーは大きくうなずく。
『僕達も調べを続けるよ。ダークウェブに何か転がってるかもしれないし……それに、ホテルの周辺にたむろってた影が少し気になる』
「影……? ホテルの周辺に、誰かいたの……?」
大きく目を見開くオーレリアに、シドニーは「ああ」とうなずいた。
『僕の勘違いかと思ってたんだけどね。でも、レティも同じこと言ってたんだよ』
言いながら、シドニーは軽く自分の右目を広げてみせた。
『……テラーはそれぞれ、ある特定の動物に精神的に強い影響を受けるんだ。で、その『モチーフ』となる動物をなぞったような超人的な能力と感覚を持つ。レティは蛇のように熱感知ができるし、僕は半端者だけど視覚には多少の自信がある。そのうえで……』
曰く――キーラからの連絡が途絶えた直後、シドニー達はホテルに向かった。
そこで、シドニーは奇妙なものを見たのだという。
『真っ暗な駐車場でさ、人の影だけが動いているような気がしたんだ』
自分の片眼を軽く揉みながら、シドニーは語る。
『酔ってるせいかなって思ったんだよ。本当に、うっすらとした影だけが車とかの間で動いているように見えてね……でも、あとでレティも言ったんだ』
――誰もいないのに、誰かの熱だけが動いていた。
レティシアは困惑の表情を浮かべて、舌をちらちらと揺らしたらしい。
シドニーの言葉に、オーレリアは眉を寄せて考え込んだ。
「断言はできないけれど……魔法の中に、姿を隠すものがあるの……もしかしたら……」
『あそこにメイジがいたかもしれないわけか!』
途端、シドニーは一気に身を乗り出した。
オレンジの瞳を輝かせる彼女に対し、キーラは口元に触れながら思案する。
「ホテルがこんな状態だ。もしかしたら、まだ近くにいるかもしれないね。だから――」
『オッケェーイ! あとでレティ連れて行ってみる!』
「……いやにテンションが高いね?」
淡泊なキーラに対し、シドニーは興奮しきった様子でばたばたと手を振った。
『だって魔術師だぜ! 本物だぜ! ワクワクするじゃん! こんな大冒険、ジョシュアが聞いたらきっと喜ぶだろうなぁ! ともかくさ、こっちのことについては任せてよ! 次に連絡するときに――あ、レティが帰ってきた!』
画面外に視線を向け、シドニーがぱっと顔を明るくする。
そうして椅子を吹き飛ばさんばかりの勢いで立ち上がると、彼女は画面から消えた。
『ねぇねぇレティ! 今から魔術師ゲットしに行こうぜ!』
『ちょっとやだ! なんなのいきなり――!』
どたばたと響く物音、シドニーの歓声に、レティシアの怒号。
ただそれだけが聞こえる画面をキーラは無表情で見つめていたものの、手を伸ばした。
あっさり切った。
「君も疲れているだろうから、しばらく休んでから行こうか」
「で、でも……」
落ち着かない様子のオーレリアをよそに、キーラはまたスケッチブックを開いた。
そして、無表情のままちらっと視線を上げる。
「……なんなら添い寝してあげようか?」
「そっ! そそ、そ……!」
一気に真っ赤になった頬を押さえ、オーレリアが震えだした。
キーラは一瞬だけ唇を吊り上げると、再びスケッチブックに混沌を描きだした。
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