6.殺す者の群れ

「もう大丈夫」――一睡もしていないオーレリアは弱々しく主張した。


 しかし顔色は常よりも青白く、なにより取り巻くクラゲの数匹が器用に触手で『✕』を形作っていたので、キーラは彼女を寝かしつけた。


「きゃあああああ!」「んいいいいい!」「あ、ありがと……」「高い! 高い! 死んじゃう!」


 ――多少騒がしかったものの、オーレリアは熟睡した。

 結果、二人が三〇四号室を出たのは五時間後のことだった。


「二階と一階は見た。次は上の方に行ってみよう」


 淡々とした口調で言いながら、キーラは三〇四号室の扉に鍵をかけた。


「まずは八階を目指そう。私が泊まっている部屋があるからね」

「あ、あの……ごめんなさい……」


 歩き出すキーラに続きつつ、オーレリアは申し訳なさそうにうつむいた。


「すっかり遅くなってしまって……あ、あんなに寝る気はなかったの……わたしは、魔法が上手ではないから……だから多分、精神的に消耗してしまって……」

「違うよ。どう考えても、私の寝かしつけが完璧すぎただけだ」

「……ね、寝かしつけられてたの? わ、わたしはてっきり、拷問かと――」

「君の熟睡を見る限りだと、どうやら私には人を寝かしつける才能があるみたいだ。我ながら意外な才能だ。昔の仲間もきっと驚くだろう」

「そ、そうなの……そうね……うん……きっと、そう……」


 無表情ながらも満足げなキーラに対し、オーレリアはがっくりと肩を落とした。

 しかし、少し落ち着かない様子で顔を上げる。


「ね、ねぇ……さっきの話だけど、あなた達もなにかの組織に加わっていたの?」

「さっきの話……?」


 歩きながらキーラは首を傾げる。オーレリアはうなずき、たどたどしく言葉を続けた。


「ドアーズのこと……シドニーさんが『僕達みたいな感じ』って……」

「ああ。あれか」


 合点がいった様子で、キーラはうなずいた。


「私達は、三年前までクラスタと呼ばれる殺し屋の寄り合いに所属していたんだ」

「ひぃ……殺し屋だらけ……」

「そう。殺人請負業者であり、殺人派遣会社であり、殺人コンサルタント会社――隣人から大統領まで頼まれればなんでも殺す便利屋。そして、テラーの数少ない避難所だ」

「……テラーなのに、避難所が必要なの?」

「私はいらないけどね」


 青い顔のまま首を傾げるオーレリアに、キーラは無表情で肩をすくめた。


「多くのテラーはね、最初は自覚がないんだ。せいぜい人に比べて競争心が強かったり、体が頑丈だったりする程度。だから大半がただの人間のまま生涯を終える。――けれども」


 キーラは、いったん足を止めた。

 そうしてオーレリアを映した群青の瞳は、飲み込むような青を湛えていた。


「――一度でも自覚すると、もう二度と前の自分に戻れない」

「も、戻れない……」

「ああ。もう人間には戻れない。『羊の群れにいた狼が、己が何者かを思い出す』――私が最初に会ったテラーは、そんな風にたとえていた」


 ほんの一瞬――群青の瞳に、物憂げな影が差した。

 しかし、すぐにキーラは無表情に戻った。海に広がる血のような色をした髪を揺らして、彼女は再び規則的な足取りで前へと進み出す。


「……テラーは、生きることを許されない」


 キーラの淡々とした言葉に、オーレリアは大きく目を見開いた。


「テラーには殺傷行為を必要だ。そんな我々が生きるために、クラスタができた」

「ひ、人の代わりに、人を殺す便利屋……」

「そう。実にシンプルだろう? 人間にとって殺人を必要なものなんだよ」


 きっぱりと言い切るキーラをよそに、オーレリアは困ったような顔をしてうつむいた。


「殺しが、必要なんて……そんな……」

「事実だ。――で、話を戻すけど、これが三年前に瓦解してね」

「な、なんで……?」

「カリスマ性のある奴が生死不明になって、組織がまとまらなくなったんだ」


 ため息を吐き、キーラは髪を掻き上げる。


「今じゃそれぞれの嗜好に合わせた後継組織が乱立する始末だ。公共福祉のために殺す錆の教会に、平均年齢六十才越えのハッピー・ナイフ・ホーム、辻斬り集団の斬殺連、あとあらゆる殺人の合法化を目指す議員の――数えてたらキリがないな」

「…………議員?」

「ともかくこんな状態だから、ドアーズも第七天国みたいな後継組織だと考えたんだ」

「ねぇ。今、議員って言った?」

「勝手に名乗ってるのか、あるいは正統な後継なのか――しかし、ここも様変わりしたものだ」


 歪んだ扉をあっさりと蹴り開け、キーラは嘆息した。

 赤く濡れた海綿が壁や床中に広がり、ぽたぽたと雫を堕としている。階段も原型を失っている箇所があり、頼りとなる銀の手すりもところどころ肉色の壁に呑まれていた。

 四階への入り口は、見当たらなかった。


「ともかく上がってみようか……それにしても、変異が生じる速度にも違いがあるのかな」


 キーラは首を傾げつつ、オーレリアをひょいと片手で抱え上げた。

 反射的に身を固くする彼女をしっかりと抱えながら、ねじれた階段を上がっていく。


「そのあたり、どう思う?」

「へ、変異については、わからないことも多いわ……」


 眼をぎゅっと瞑った状態でキーラに縋り付きながら、オーレリアは固い声で答えた。


「ただ……ナオミ先生が言うには、生物とその死体……あとは、ハルキゲニアの空気に長く曝露されているものは、変異が進みやすい傾向にあるとか……」

「なるほど……建物に変異が起きているのは、外部の空気に絶えずさらされているからか」


 キーラはうなずきつつ、離れた段差へと大きく跳躍する。

 その衝撃にオーレリアはびくっと震えつつ、やや言い辛そうに言葉を続けた。


「……あ、あと……食べ物も、変異するはず……」

「へぇ、そうなんだ」

「わ、わたしもあまり詳しくはないけれど……。多分、お肉とかお魚とかは変異が早いと思うわ……加工品は、どうなのかは……」

「なるほど。それは怖いね」

「こ、怖いわ……万が一、変異したものを食べたら、い、いったい、ど、どど……!」

「今は考えるのをやめておこうよ」


 がたがたと震え出すオーレリアの言葉を、キーラは涼しい顔で遮った。

 そうして、今朝見つけた玉子のうちの三つが実に鮮やかなエメラルドグリーンだったためにパックごと捨てたことは永遠に伏せておくことにした。


「おっと……これはこれは」


 変異した食材などよりも差し迫った問題が、目の前にあった。

 どうにか鉄骨部分が隆起した壁面に着地すると、キーラは仄暗い階段の先を見た。


「ははあ……道理で上の音がほとんど聞こえないわけだ」


 ちょうどそこは、七階と八階の間に当たる部分だった。

 蛍光灯は点滅している。その不規則な闇の中でも、八階へと続くはずの通路が巨大な赤黒い塊によって塞がれていることが見てとれた。


「こ、これじゃ上の階に上がれないわ……!」

「落ち着いて。今の私達に選べる道は一つしかないよ」


 青い顔のオーレリアの背中をそっとさすり、キーラは視線を側面へと移す。

 肉色の壁には、ぽっかりと長方形の穴が開いていた。

『七階』――海綿に埋もれつつあるプレートには、そう刻まれているのがかろうじて見える。


「……な、七階に行くつもりなの?」

「ああ。地図を見た限りだと、廊下の反対側に非常階段があった。それを使おう」

「非常階段も塞がってたら、どうするの……?」


 オーレリアがかたかたと震えながらたずねる。

 潤んだアイスブルーの瞳を見下ろして、キーラはうっすらと唇だけで笑った。


「……さて、どうしようか」

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