2.クラゲの根性

「ふっ、えっ、っく……どうして……」


 オーレリアは泣きながら、観葉植物の残骸の陰から這いずり出た。

 頭上にはオマモリディープスタリアが浮遊し、彼女をその巨大な傘で守っている。


「な、なんで、なんで、こんな、ひどいことばかり……」


 泣きじゃくるオーレリアに、一つの足音が近づいてくる。

 ゆるゆると顔を上げたオーレリアの頭に、硬いものが突きつけられた。


「――わーお、かわいーじゃん」


 見る見るうちに青ざめていくオーレリアの顔を見つめ、バンダナ男は歯を剥いて笑った。

 目の焦点が、合っていない。唇の端には、透明な泡が浮いている。


「ひ、ぃ……」

「かわいーなー、かわいー、かわいー、かーわーいーいーなー!」


 頭を揺らして、バンダナ男がのけぞりながら大笑いした。

 その拍子に、銃口が大きく逸れる。途端、オーレリアは逃げ出していた。


「キ、キーラ、キーラぁ……! ど、どこ、どこ……!」

「おー、逃げろー、どんどん逃げろー」


 泣きながらキーラを呼ぶオーレリアの背後で、バンダナ男がけらけらと笑う。

 立て続けに銃声が響く。いずれもオーレリアから離れた見当違いの場所を撃ち抜いた。

 しかしそれだけで、オーレリアは転んだ。


「きゃあっ……!」

「転んだ! 転んだ! 転んだ! にぶいなー、オイ! どんくせーなー!」


 一発、二発、三発――どれもオーレリアから大きく離れた場所を撃つ。

 そのたびにオーレリアは身を縮め、クラゲの内側で泣き叫んだ。

 やがて、銃声は止んだ。


「あー……なんだこれ、すぐ空になるじゃん。そんなに撃ってねぇし……」


 背後からガチャガチャという音と、装填に手間取るバンダナ男の悪態とが聞こえた。


「なんで、どうして、いつもこんな、こんな……!」


 泣きながら、オーレリアは床を這う。膝は震え、立ち上がることさえできなかった。

 そんな彼女の目に、フロントが映った。

 フロントの端――柱に、キーラがもたれている。


「キ、キーラ……?」


 表情は見えない。

 がっくりとうつむいた顔に、赤い髪がヴェールのようにかかっている。

 左手を頭に当て、不規則に肩を上下させていた。

 いや、あれは痙攣している。様子のおかしいキーラを前に、オーレリアは口元を覆った。


「み、耳が……良すぎるから……」


 キーラはテラーとして、人間を超越した身体能力と並外れた五感を持っている。

 特に、聴覚は驚異的だ。そのうえ、彼女は視覚と聴覚が同調している。

 そんな人間が、あのフラッシュバンの音と光を喰らったら――一体、どうなるのか。


「おー、おー、逃げねーのー?」


 粘っこい嘲笑に、オーレリアは震え上がる。

 振り返れば、自動ドアの前でバンダナ男が銃口を自分に向けていた。


「逃げねーとさー、撃っちまうぞー? ばーんってさー」


 泡を吹きながらバンダナ男は言って、また壊れた人形のように頭を揺らして笑った。

 オーレリアはちらりとキーラを見て、ついで自分を包むクラゲを見上げた。


 ディープスタリアクラゲ――謎の多いクラゲだ。


 深海に住むこれはミズクラゲの仲間だが、傘の部分が非常に大きい。この一見するとビニール袋のようにも見える体で獲物を包み、飲み込むという狩りを行うらしい。

 それが元となったのが、このオマモリディープスタリアだ。

 オーレリアは、あまりこの使い魔に接触したことがない。故に、このクラゲに何ができるのかもほとんどわからない。弾丸を防ぐことができるのかさえ不明だ。

 それでも――オーレリアはなんとか足に力を込めた。よろよろと、立ち上がった。


「おー?」バンダナ音が笑いながら首を傾げる。


「ど、ど、どうして……どうして、こ、こんな、こと、するの……?」


 視界の端のキーラは、まだフロントから動かない。

 震える手でオーレリアは胸元の月長石のブローチを握りしめ、どうにか声を張り上げた。


「お、おなじ、人間でしょう……? ど、どうして、撃つの……?」

「んー……どうして、どうしてねぇ……どうしてかっつーとぉ……」


 バンダナ男は首を揺らしながら、一瞬考えるようなそぶりを見せた。

 銃声が響く。今度はクラゲを掠めた。揺らめく傘の真横に焦げた跡が付いた。

 オーレリアは悲鳴を上げ、派手に尻餅をついた。


「『撃っていい』って言われたからさぁ!」


 頭を抱えるオーレリアの周囲に銃弾を撃ち込みながら、バンダナ男は笑った。


「ホテルがさぁ、こうなったらさぁ、誰でも殺していいって言われたわけ! ここじゃ法律関係ナシ! 殺しも犯しも好きなだけ! 仲間以外は好きにしろっての! 好きなだけなにやってもいいってわけ! サイコーだよなー!」

「な、な……」


 泣きじゃくりながら、オーレリアは顔を上げる。

 弾丸を撃ち尽くしたバンダナ男は、再び悪態を吐きながら銃をガチャガチャ鳴らしていた。


「あー、クソ、クソ……欠陥品だろ。クソが、入らねぇ、入らねぇ……」

「仲間が……いるの……?」

「クソ銃が! クソッタレがァ!」


 男の怒号に、オーレリアは泣き声を上げて頭を抱えてしゃがみこんだ。主を守るように、オマモリディープスタリアが震える体に被さる。


「……あー、あー? なんだっけ? 仲間? いるよー?」


 装填に手こずりつつも、先ほどとは打って変わってバンダナ男はおどけた口調で笑う。


「おれの他にもさー、たくさん、たーくさん……あ、入った」


 ガチリ。装填が完了した証の音が響いた。

 びくりと震えるオーレリアに向けて、バンダナ男は笑いながら銃口を向けた。


「話聞いてくれてありがとーなー! じゃ、死んじゃえー!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る