6.下ごしらえ

 蛍光色の血を流し続ける男、顔面が花で埋め尽くされている女、頭部が巨大なイソギンチャクのように変じた子供、足が鶏のそれに変異している男――。

 奇怪な見た目のヴィジターが六人、笑うような声を上げながら厨房に雪崩れ込んでくる。


「これはスケッチしたいな」キーラは無表情で呟いた。


 オーレリアが青い顔で、ボウルを手に掃除用具入れへと駆ける。

 掃除用具入れがバタンと閉まる音を聞きながら、キーラはゆっくりと片手を上げた。

 迫り来るヴィジター達に向かって、掌を向ける。


「動くな」


 ただ手を上げ、声を発しただけ。


 なのにヴィジター達は、止まった。笑い声すら、消えた。

 表情すらもわからない。けれども、困惑と動揺の気配が伝わってきた。

 何故、自分は停止したのか――そんな事を言いたげな様子で血を流す男と花だらけの女がそれぞれの顔を見合わせ、イソギンチャクの子供が触手をざわめかせる。

 キーラは鍋に蓋をすると、卵とスモークサーモンを冷蔵庫に仕舞った。

 そして台の上に腰掛けると、どよめくヴィジター達に向かって軽く手を広げる。


「おいで」


 ヴィジターは、動かない。ただ動揺しているように顔を見合わせている。


「来ないの?」


 キーラは無表情で首を傾げつつも、ぐるりと肩を回した。


「じゃあ、私から」


 青い閃光が走った。

 キーラの手から放たれたそれ――青く光る包丁は、寸分違わず一体のヴィジターに命中した。

 蛍光色の血を散らし、頭蓋を割られたニワトリ足の男がのけぞる。

 ヴィジターは凍り付いた。キーラは駆けた。

 三歩で距離を詰め、地面へと倒れていくニワトリ足の男の頭蓋から包丁を引き抜く。

 その勢いのままに、花だらけの女の頸動脈に斬りつけた。

 甲高い悲鳴――視界に走る【蛍光色】の破線に、キーラは目を細めた。


「うるさいよ」


 包丁をくるりと返し、女の喉笛をざっくりと切り裂いた。

 色とりどりの花弁を散らし、喉から空気音を立てながら女が倒れ込む。

 血を流す男が呻き声を上げ、掴み掛かってくる。キーラはその手をあっさりと躱しながら男の後頭部に片手を添えると、背後のコンロへと押しつけた。

 点火。じゅうっと白煙が上がり、凄絶な悲鳴が厨房の空気を震わせた。

 半狂乱で暴れる男の顔面を直火に掛けたまま、キーラはその頸椎に包丁を突き立てる。


 ミシッ――嫌な感触が伝わってきた。


 キーラは表情を変えず、力尽きた男から包丁を引き抜く。

 そしてその襟首を掴むと、背後から叩き込まれる触手を男の死体で受け止めた。

 鈍い衝撃が伝わってくる。

 イソギンチャクの子供がつんざくような叫びを上げた。赤く滑る触手は彼女のワンピースの袖や裾から次々に現われ、執拗にキーラを狙ってくる。

 それを男の死体で尽く受け止めると、キーラは腕に力を込めた。


「よいしょっと」


 盾にしていた男の死体を、イソギンチャクの子供めがけて投げつける。

 イソギンチャクの子供は反撃に驚き、繰り出した新たな触手で男の死体を受け止めた。

 キーラは、容赦をしない。

 一気に距離を詰めた彼女は、体勢を崩した子供を蹴り飛ばした。

 蛍光色の泡が散った。くぐもった悲鳴とともに、触手の塊が厨房の入口まで吹っ飛ぶ。

 キーラは包丁を見る。刃は、わずかに根元のみを残して折れていた。


「……折れたか。仕方がないね」


 嘆息するキーラの背後に、影が迫る。

 調理台を飛び越え、上空に躍り上がったのは痩身の男だった。

 顔の左半分こそ白目を剥いた人間の顔だが、右側は昆虫のように変異している。振り上げられたその手の皮膚は剥げ、肘の先はカマキリの鎌に似た形に変形していた。

 右の複眼が、キーラを捉える。顎のいびつな捕食肢が異音を立てる。


「仕方がないな」


 キーラは男を見もせずに、左足を一歩踏み出す。

 振り下ろされた鎌はキーラに触れることもなく、調理台をバターのように切り裂いた。

 赤い髪が揺れる。キーラは身を翻すようにして半回転。

 そのまま回転の勢いに任せ、カマキリ男の頭部に右肘を落とした。

 なにかを砕いた感触――悲鳴とともに、カマキリ男の上体が調理台に叩き付けられる。

 そのひび割れた複眼が自分を映すよりも早く、キーラは男の髪を掴む。


「それっ」


 引きあげた顔面に、折れた包丁がブチ込まれた。

 血と破片とがタイルに飛び散った。キーラの一撃でカマキリ男の体は軽く吹き飛ばされ、やかましい音を立てて別の調理台に背中からぶつかる。

 カマキリ男はよろめきながらも鎌を振るい、なんとかキーラから距離を取ろうとする。


「……子供の頃にさ、よく叱られたんだ。キッチンで遊ぶなって」


 淡々と言いながら、キーラは後退するカマキリ男を追う。

 その手が調理台の上を滑り、放置されたフライ返しを取った。反対の手は、流れるような動きで別の調理台から調理器具を掴む。


「でも、キッチンって楽しいよね」


 フライ返しとポテトマッシャー――おおよそ戦えそうもない代物が、キーラの手に揃う。

 折れた捕食肢を蠢かせながら、ふらつくカマキリ男が両手の鎌を構えた。

 ぎらつく刃に、キーラは涼しげな顔でフライ返しを向けた。


「私は料理好きだからさ。結構好きなんだ、キッチン」


 銀の閃光が飛ぶ。

 超速で顔面めがけ飛来したポテトマッシャーを、カマキリ男は鎌で弾いた。

 砕けたポテトマッシャーの破片をかいくぐり、キーラが距離を詰める。その動きを予測していたと思わしきカマキリ男は、鎌を高速で繰り出した。

 しかし、キーラは男の肘――ちょうど鎌の根元に当たる部分に手刀を打ち込んだ。

 刃が逸れ、カマキリ男の懐が強引にこじ開けられる。

 キーラは勢いよく踏み込み、そのまま男の眼窩にフライ返しを叩き込んだ。


 右目を砕き、左目を潰し、そして鼻骨も叩き割る。


 強烈な【蛍光色】の悲鳴を視ながら、キーラはさらにフライ返しに力を込める。

 そもそも人を殺す道具ではないそれが、めきめきと歪んだ感触があった。けれども同時にキーラの手には、確かに脳を刺した粘ついた感触も伝わってきた。

 カマキリ男がふらつき、背中からタイルへと倒れ込む。

 痙攣を繰り返すその体からキーラは一旦距離を取り、あたりを見回した。


「手頃な凶器は……」


 木製の麺棒――ステンレスのボウル――プロ仕様のピーラー――消火器――。

 殺人鬼としても、料理好きとしても、どれもそそられる代物だ。


「こういうペッパーミル……食卓に一つは欲しいと思ってた」


 ステンレスのペッパーミルを惚れ惚れと眺めるキーラの足元で、カマキリ男が呻いた。

 ペッパーミルを手の内で回転させると、キーラはそれを振り上げた。

 破砕――後頭部にペッパーミルを叩き込まれ、カマキリ男が再び地面に倒れ込む。


「……とはいえ、これで戦うわけにはいかないな」


 再び倒れ込む男に背を向けたところで、キーラはふと気付いた。

 厨房の非常口――業務用冷蔵庫の影。そこにある物を見つけた途端、鋭利な歯がぎらついた。


「ああ、うん……そうだ、素晴しい」


 薄く笑ったまま、キーラは動く。

 甲高い奇声とともに、カマキリ男が起き上がった。さらに厨房の扉を触手で突き破り、先ほど蹴り飛ばしたイソギンチャクの子供も飛び込んでくる。

 背後から迫る二つの脅威には目もくれず、キーラは冷蔵庫の影へと手を伸ばした。


「オーレリア!」

「なぁにぃいいいい……!」


 掃除用具入れから泣き声が返ってくる。

 キーラの手は冷蔵庫の影――壁面に設えられたケースを叩き壊した。

 刃が迫る。触手が蠢く。【蛍光色】の波紋が後方から迫る中、キーラは叫んだ。


「これにクラゲをインストール!」

「エンチャントって言ってぇええ……!」


 泣き声とともに、掃除用具入れの扉が薄く開いた。

 扉の隙間から青い光が飛んでくる。ケースの中身を左手に握りしめ、キーラは振り返った。

 カマキリ男の鎌が、まっしぐらに首を狙ってくる。

 男の背後からは禍々しい花が咲いたかの如く、触手の波が迫ってくる。

 回避困難――しかしキーラは鋭利な歯を剥いて笑いながら、思い切り左手を振り上げた。

 風が、凶暴な唸りを上げた。青く光る刃が、鎌とぶつかる。

 そして、あっさりと砕いた。

 そのままキーラの刃は――消防斧は、重量のままにカマキリ男の頭部を叩き割った。

 蛍光色の血を撒き散らし、カマキリ男が膝から地面へと崩れ落ちる。


「いいね、悪くない、実にいい」


 即死した男に見向きもせず、キーラは前進する。

 鞭がしなるような音を立て、四方八方から触手の波が迫ってくる。

 キーラは笑ったまま、消防斧を振り上げた。

 指先が軽やかに動く。手の内で木製の柄がスムーズに滑る。それに従って、まるでバトンの如く重く分厚い刃は恐ろしいほどに自由自在に回転した。

 そして消防斧が一回転するたびに、切り落とされた触手がタイルへと落下する。


「斧とか鉈はエレガントに欠けるというが……使い手次第だ」


 表情一つ変えず、一定の歩幅で、消防斧を振り回しながら――キーラは、歩いてくる。

 そこでようやく『勝てない』と思い知ったのか。

 金切り声とともに、イソギンチャクの子供はワンピースの袖から触手を伸ばす。それを左右の調理台に叩き付け、ヴィジターは高く跳躍した。

 天井に触手を突いて体勢を整えると、イソギンチャクの子供は一目散に扉へと向かった。

 殺人鬼に、背を向けた。


「――凶器というものはこうでなければ」


 泣き声に似た奇声を上げるイソギンチャクの子供の背に、囁きが迫る。

 ヴィジターは、振り返った。視線の先で、女がシャチに似た顔で笑っていた。


 血に濡れた斧が振り上げられた。

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