#30 忘れられない誕生日①

「ここ? 吉沢さんって……」

 ありさが、ぽつりと呟いた。

 仕事終わり。一緒に事務所を後にしてから約一時間。最寄駅から徒歩十分ほどで辿り着いた豪邸を前に、私たちは言葉を失ってしまっていた。

「凄くない? どんだけ稼いだら、こんな家に住めるんだろうね」

「う、うん……」


 あれから、中村さんはもちろん、裕樹くんとありさにも声をかけ、四人でお邪魔する予定だったのだけれど、急遽、編集作業をすることになった裕樹くんは来られなくなり、中村さんは遅れての参加となった。

 微妙に緊張しながら、インターホンを押そうとした。次の瞬間、こちらが見えていたかのように、スピーカーから「いらっしゃい」と、いう吉沢さんの声がしてガチャっという音と共に門の施錠が解かれた。

 私より少し高めの白い外壁。黒色だろうか、クローズドタイプの門扉をゆっくりと開閉し、広めの庭を挟んだ玄関までのちょっとした道程を進んでいく。

 庭の隅には、ドイツトウヒらしき大き目なもみの木があって、冬にはクリスマスツリーとして綺麗にライトアップされるのだろうな。などと、思いながら白い玄関ドアの取っ手を引いた。すると、すぐに満面の笑顔の吉沢さんに迎え入れられた。

「あれ、二人だけ?」

「裕樹くんは、別件で来られなくなって、中村さんは、遅れて来ることになってます。あの、これ音響班からの差し入れです」

「ありがとう」

 吉沢さんの私服姿を見るのは初めてだった。薄手のV字ベージュセーターに、ブルージーンズという、カジュアルな格好も似合いすぎるほど。

 デパ地下で買った洋菓子の入った紙袋を手渡した後、私たちは用意されていたシンプルなスリッパを前に、広い玄関をすでに埋め尽くしている何足かの靴を見ながら、ゆっくりと靴を脱いでいく。

 スリッパを履き、すぐに二十畳ほどあるであろうリビングダイニングへと誘われた。そこにはもう、見知った人やら初めての人やらが十名ほど寛いでいる。


(松永さんは、まだ来ていないのかな……)


「なんだかんだと、あと五人くらい遅れて来ることになってて、かなり賑やかになる予定。とりあえず、空いてるところで寛いでて」

 そう言うと、吉沢さんはニッコリと微笑んで、これまた広めの対面式キッチンの方へ。グラスにシャンパンを軽く注いでいくのを目にして、私たちも周りのスタッフさんやら、俳優さんたちに挨拶をしながら、吉沢さんの方へと歩みを進めた。

 よく見ると、卓上にある数本のボトルには天使の羽根が描かれている。

「え、これって……もしかして、エンジェル?」

 ありさが嬉しそうに目を輝かせる。吉沢さんは頷いて、「今夜は、Demi Secドゥミセックにしてみた」と、言って微笑した。

 吉沢さんが言うには、ほんのり甘口で、ピーチとトーストされたプラリネの香りが絶妙なバランスなんだとか。さわやかなレモンの風味も併せ持っていて、白ワイン用のシャルドネの特徴的なフィニッシュは、スパイシーな香りの中に熟成感とやらをもたらしてくれるらしい。

「これ、一度飲んでみたかったんですよ」

 ありさが、さっきよりも目をきらきらさせながらグラスの中のシャンパンを見つめている。

「それは良かった。見た目も女の子受けするかと思ってこれにしてみたんだけど、正解だったね」

 さ、どうぞ。と、言ってグラスを手渡してくれる吉沢さんに軽く頭を下げて、頂いてみる。香りは勿論、フルーティーな味わいに、身も心も満たされていく気がした。

「美味しい! ヤバいですよこれっ」

 ありさが歓喜の声を上げる。と、吉沢さんはまた笑顔でありさのグラスにシャンパンを注いでいく。

「本番は、もっと上等なものを用意してあるから楽しみにしていてね」

「えー、本当ですか!? これよりも上って……なんて贅沢な」

「たまにはいいでしょ。今夜は、水野ちゃんと由規くんの為の催しなんだから」

 そう言って吉沢さんがウインクをした。その時、ベル音がして近くの壁に設置されているインターフォンのモニター画面が外を映し出した。来客者は、成瀬くんと乙葉さんで、それを確認した吉沢さんが即座に対応して玄関へと向かう。

 私たちも一緒にお出迎えをすると、二人はいつもの笑顔を返してくれた。

「これは、俺と乙葉さんから」

 成瀬くんから紙袋二個を受け取った吉沢さんは、また満面の笑顔で、私たちの時と同じように二人をリビングへと誘っていった。

 急遽、乙葉さんとの仕事が入ったと言っていた成瀬くん。きっと、成瀬くんが気を遣って現場から愛車でここまでやって来たに違いない。

 普段のカジュアルっぽさはどこへやら。秋らしく大人っぽいコーディネイトが、二人を際立たせている。

 白シャツの上にベージュのニットベストを重ね着し、下は同色のチェックワイドパンツで揃えている成瀬くんに対し、乙葉さんもまるで合わせて来たかのような茶系の、ニットドッキング幾何学柄ワンピースに、ベレー帽という組み合わせが、彼女の可愛らしさを引き立てていた。


 成瀬くんと乙葉さんを迎え入れてから、約十分の後。私と成瀬くんの合同誕生日会が始まった。

 シャンパンで乾杯した後、それぞれが用意した差し入れと、吉沢さんが用意しておいてくれた高級レストラン並みの豪華ディナーと、ケーキを頂きながらしばし、楽しい時間を過ごしている。

 その間、仕事の話はもちろん。私たちの関係を問われ、私も成瀬くんも少し照れながら当時のことを話して聞かせた。

「で、水野とは三年間ずっとバレー部で一緒だったんですよ。卒業以来、音信不通状態だったんですけど、飲みの席で再会したっつーか」

 照れ隠しなのか、成瀬くんはそう言うと、うなじに手を添えるようにして俯いた。            「もしかして、当時片思いしてた由規くんの相手って、水野さんだったりするのぉ~?」と、女芸人の佐田のぞ美さんが、茶化すように尋ねてきた。それに対して、成瀬くんは苦笑気味に返答する。

「ま、まぁ。そういうことになりますね」

 きっと、佐田さんとも仲が良くて飲み会の席とかで当時の恋愛話などもすることがあったのだろう。案の定、私の方にも同じような質問が飛んできて、少し緊張しながらも当時の想いを口にした。

 成瀬くんの活躍を傍で見守りたくて、マネージャーになったこと。三年間を共に過ごすなかで、想いを寄せるようになったこと。そして、社会人になってもこうして、一緒に同じ目的をもって仕事が出来るという喜びを感じていることなど。簡潔に、でもあの頃を懐かしみながら話していった。

「じゃあ、二人は両片思いだったってこと?」

「そういう、ことになりますかね」

 成瀬くんのこの一言にみんなが便乗し始め、その場にいる人たちの好奇の目が私と成瀬くんに向けられている。

 そんななか、ふと視界に入った乙葉さんの表情がみるみる曇っていく気がして、目が離せなくなっていた。


(また具合でも悪いのかな……)


 ふと、そんな乙葉さんと目が合う。すぐに微笑んでくれたけれど、この間の一件が頭を過った。

 私たちを祝う為に無理をしているのだとしたら。乙葉さんは、そういう人だ。私は、そう思うと同時に、さりげなく乙葉さんに声をかけようとした。

 ほぼ同時に、「乙葉さん、大丈夫?」と、いう成瀬くんの柔和な声がして、私は二人を交互に見遣った。

「だ、大丈夫です! ちょっと、シャンパンを飲みすぎてしまっただけですから……」

 そう照れながら答える乙葉さんに、吉沢さんも心配そうに声をかける。

「愛海ちゃんは、頑張りすぎちゃう時があるから。体調とか悪くなったら、すぐに言ってね」

「すみません。いつも気を遣わせてしまって……」

「こういう時は、もっと甘えてくれていいんだよ。特に俺たちには」

「……はい」

 こういうところなんだろうな。成瀬くんが、吉沢さんのことを好きな理由。大概は、仕事だけの付き合いで終わる人の方が多いこの芸能界で、吉沢さんのような常に誰かのことを考え、その人の支えになってあげられる人も、なかなか見つけられないのではないかと、素直に思える。


 それから、しばらくして上機嫌な松永さんと、いつになく不機嫌そうな中村さんを迎え入れた。どうやら、最寄り駅でばったり会ったらしい。

 私とありさは、そんな中村さんを見て心の中で囁き合う。つかまっちゃったんですね、と。

 中村さんと話せたのは、「お疲れさまでした」のみで、早々に松永さんに取られてしまっていた。


(妹の面倒を看る兄。妹の面倒を看る兄……)


 中村さんたちの方を窺いながら、何度も心の中で呟いてみる。けれど、やっぱり簡単に割り切れるものではなくて、本来ならば中村さんの隣にいるのは私のはずなのに。まるで、片思いしていた頃と変わらないこの状況に、どうしたって気落ちしてしまう。

 中村さんの彼女は私なのだ。と、自分を励ますものの、大人かっこいい松永さんには敵わない感のほうが勝ってしまっていた。

 何故なら、今日は一段とヘアメイクもバッチリで、グレーのロングニットトップスに、同色のレギンス姿がモデル並みの体系をこれでもかってくらい際立たせているからだった。特に、大きくV字に開いた胸元に目がいってしまうのは、私だけではないはずだ。

 サラサラな長い髪、メイク映えする綺麗な二重瞼。何を着ても様になるモデルのような容姿も、正確には分からないけれどCくらいはあるであろう胸元も……。

「すべてにおいて負けている……」

「負けてるって何が?」

 隣にいるありさからつっこまれ、思わず口元を抑え込んでお得意の苦笑いで誤魔化す。

「いや、その……」

「もしかして、松永さんのこと気にしてんの?」

「……うん」

 耳打ちされ、私は力なく頷いた。

「それはさぁ、しょうがないよ。それくらいのことで落ち込んでたら、この先中村さんの彼女なんてやっていけないよ」

「そりゃあ、そうなんだけど。スーツ姿の中村さんの隣で、松永さんがものすっごく映えてて。せめて、いったん帰って着替えてくれば良かったかな。とか思っちゃったりしてね」

「まぁ、そうね。うちらだけ地味なスーツだもんね。でも、あたし的にはこの後の成瀬くんとの時間の方が気がかりなんですけど」

 と、また耳打ちされる。そうされて、はたと気づいた。

「そうだった……」

「ちゃんと伝えるんだよ。友達以上にはなれないってことを」

「……うん」

「なんか心配だなぁ。遥香は自分の気持ちよりも、相手を優先させてしまうところがあるから。それが長所でもあり、短所でもあるっていうか」

「分かってる……」

 キッチンのほうで、乙葉さんや吉沢さんたちと話し込んでいる成瀬くんの、無邪気で楽しそうな笑顔を見遣る。不意に、視線が合い、いつものようにこちらへと向けられる優しい微笑み。


(……いつ、渡せばいいかな。プレゼント)


 私も微笑み返し、すぐに視線を逸らした。自然と溜息がこぼれてしまう。

 中村さんとも目が合い、必要以上に攻め続けている松永さんを隣に、こちらに向けられるその瞳から、『分かってるだろうが、これは仕事の一環であって深い意味はないからな』と、いう心の声が伝わってくるような気がした。だから、私も中村さんを見つめる視線に想いを込める。分かっていますよ、と。

 その時だった。おもむろに、スーツの右ポケットからスマホを取り出し、二階への階段付近へ移動する中村さんを目で追いかける。その間二分ほど。中村さんは戻ってくるなり、私の前まで歩み寄ってきてくれた。

「ちと、野暮用で先に帰る」

「えっと、分かりました……」

 野暮用って何だろう。と、いう思いもあった。仕事なら仕方がないけれど、何か違う件だったとしたら。なんて考えると、頷きながらもちょっぴり寂しくなって俯いてしまう。

「昨日、今日出来なかった分、明日以降で考えてるから」

「え、あ……はい」

「一応、家に着いたら連絡しろよ」

「了解です」

 松永さんから、「来たばかりじゃないですか」などと、文句を言われながらも、中村さんはそれを体良く躱し、成瀬くんと吉沢さんに挨拶をしてリビングを後にした。

「ほらね。気にする必要なんてなかったでしょ?」

「うん。そうだね」

 どや顔のありさに、また頷いてみせる。

 残された松永さんは、吉沢さんからこれまた高級そうなワインを注いで貰いながら、悲し気に俯いている。

「佑哉さぁん……」

「今夜はあまり飲めないけど、愚痴ならいつでも聞くからね」

「泊ってってもいい? すっごく飲みたい気分なの」

「別に構わないよ。でも、あまり飲み過ぎないようにね」

 吉沢さんから窘められながらも、松永さんはワインを飲み干していく。

 こんな私でも、中村さんにとっての一番なんだ。一番でいていいんだ。そんなふうに思い直して、落ち込んでいた心を奮い立たせた。




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