#31 忘れられない誕生日②

「水野ちゃんと愛海ちゃんが片付け手伝ってくれたから、助かったよ」

 吉沢さんからそう言われ、私と乙葉さんは、「いえいえですよ」と、ほぼ同時に微笑み返した。

 楽しい時間というものは、あっという間に過ぎ去るもので、一人、二人と帰宅していくなか、最後まで残ったのは私と成瀬くんと、乙葉さん。そして、ワインを飲みすぎたせいなのか、体調を崩して吉沢さんの寝室で休んでいる松永さんの四人だった。

「もう24時半か」

 吉沢さんが、北欧時計らしきシンプルな壁掛け時計を見ながら言った。あれから、ずっと成瀬くんと話そうと思いながらも、なかなか出来ないまま時間だけが過ぎてしまっていた。

「聡美ちゃんは、そのまま寝かせておくとして。愛海ちゃんも、タクシー呼んだほうがいいかな」

「あ、そうですね……」

「今日も車で来てるんで、俺が帰りも家まで送り届けます」

 吉沢さんに答える乙葉さんの隣、成瀬くんが薄っすらと微笑み言った。

 やっぱり、乙葉さんのことを考えて行きも帰りも付き添うつもりだったんだ。そう確信して、何となく成瀬くんらしい言動に嬉しくなる。

「誰かさんが酔いつぶれてすっかり醒めちゃってるから、車貸してくれたら俺が愛海ちゃんを送って来るけど」

 そういって、吉沢さんは成瀬くんのほうへ手の平を差し出した。

「いや、でも……」

「行きも帰りも二人で行動してたら、ヤバくないか? しかも、こんな深夜に。公開前に噂になってもアレだろうからね」

 今度は、私のほうを見てニヤリとする。もう一度、「ね」と、強調してきたことにより、私も頷くほかなくなっていた。

「確かに、そうかもしれないですね……」

「そういうことで。俺が責任持って愛海ちゃんを送り届けてくるから」

「じゃあ、よろしくお願いします」

 成瀬くんから車のキーを受け取った吉沢さんは、薄手のカーディガンを羽織りながらリビングを後にした。

 乙葉さんもすぐに帰り支度を整え、私たちの前に歩み寄ってくると、軽く会釈をするようにして、「今夜はとても楽しかったです」と、言ってくれた。

「改めて、お二人ともお誕生日おめでとうございます。これからも、よろしくお願いしますね」

「こ、こちらこそです!」

 嬉しさ半分、恐れ多くてしどろもどろになる私に、成瀬くんが可笑しそうに声を上げる。

「何を今更かしこまっちゃってんの?」

「いやいや、そういうのとは違うからー!」

 いつものようにからかわれ、言い返してしまってから、しまった!と、我に返って恥ずかしくなる。

「ほんと、仲がいいんですね。成瀬さんと水野さんって」

 お似合い過ぎです。と、笑顔の乙葉さんに私は、何て言っていいか分からずにまたもや苦笑を返した。

「く、腐れ縁ってやつです」

「いいなぁ。私もそういう人が欲しいです」

 それじゃあ、また三日後に。と、言ってリビングを後にしようとする乙葉さんを、成瀬くんと見送った。

 玄関のドアが閉まり、松永さんが二階の寝室で眠っているとはいえ、この広い家の中に成瀬くんと二人きりだということに、微かな緊張を覚える。

「たぶん、佑哉さんが気を利かせてくれたんだと思う」

「え?」

「俺たちのことで」

「あ、うん。そうだね」

「佑哉さんが戻ってきたら、水野のこと送って行くから」

「……うん」

 先に歩く成瀬くんの大きな背中を見つめる。そうしながらも、この後、どんなふうに過ごせばいいのか。

 頭の中は、いろんな思いでいっぱいだった。



 リビングに戻り、お互いに三人掛けソファーに並んで腰かける。と、成瀬くんは黒い大き目のデイバッグの中から、白くて小さい紙袋を取り出し、こちらへと差し出した。

「改めて、誕生日おめでとう」

「ありがとう。あ、私も……」

 受け取った紙袋を膝元へ置き、バッグの中からプレゼントを取り出して成瀬くんに手渡す。

「改めまして。お誕生日おめでとう」

「俺の分も用意してくれてたんだ……」

「はぁ?! 当たり前でしょう!」

「いや、そっか。なんか、すげー嬉しい。ありがとう」

 お互いに中身を確認していく。先にほどき終った成瀬くんが、私からの腕時計を手に、満面の笑顔で喜んでくれている。それを確認して、私も中身を目にして思わず、感嘆の声をあげた。

「うわぁ、可愛い」

「あの頃さ、そういうの欲しいって言ってただろ?」

 水色の小さい箱の蓋を開けたそこには、ロータスピンクのような少し紫がかった花形のブレスレットが、これでもかーっと、いうくらいの輝きを放っていたから。

「こ、これって良く見たら……あの、有名ブランドのじゃ?」

 恐る恐る尋ねる。頷く成瀬くんに、私は咄嗟に箱ごと返却していた。

「貰えないよ! こんな高価なもの……」

「そう言うと思ってた。まぁ、俺は彼氏でも何でもないただの友達なわけだけど」

 成瀬くんから一つの提案をされて、またもや困惑してしまう。

 『反魂香』のワンシーン。光輝が朱莉の誕生日に、ネックレスをプレゼントする場面があるのだけれど、わがままついでにアドリブでもいいから朱莉になりきって相手役をして欲しい。と、言われ、丁重にお断りした。

 そのシーンの台詞は何となく覚えているものの、お芝居なんてやったことがない私が、相手役など務まるわけもないし、いろんな意味で無理だと判断したからだった。けれど、ブレスレットしているところが見たいだけ。そのあと、すぐに返却してくれても構わないから。と、お願いされてしまい───

「……分かりました」

 ありさの忠告通り。私はあっさりと流されてしまったのだった。

「俺も成りきるから。NG無しでよろしく」

「う、やれるだけやってみるけど……」

「じゃ、いくよ」

「……はい」

 互いに向き合って座り直す。ふと、目が合いどうしたって可笑しくて吹き出す私に、成瀬くんは呆れ半分に微笑みながら、「カット。テイク1」と、言って仕切り直していく。

 私は今、朱莉として成瀬くん演じる光輝のことが好きなのだ。と、半端なく緊張しながらも、出来る限り朱莉になりきってみる。

 私を見つめる成瀬くんの表情が、一瞬で光輝になる。その変わり様に戸惑いながらも、目を瞑るように囁かれ、私はゆっくりと目蓋を閉じた。

 ここで、本来ならば光輝が朱莉の為に用意したネックレスをはめてあげることになっている。どうするのか分からないままの私は、薄目を開けて確認しようとして、「だめじゃん」と、成瀬くんからダメ出しをくらってしまった。

「ご、ごめん……」

 再びぎゅっと目蓋を閉じてすぐ。今度は、成瀬くんの吹き出すような笑い声を耳にして、私も笑ってしまう始末。

「ちょっとー、人には笑うなって言っておいて何笑っちゃってんのよー」

「ごめんごめん。あまりに必死だったから可笑しくて」

「やっぱ、私には無理だよ」

「確かに。乙葉さんのように可愛くは出来ないよな」

 今度は少しおどけたような瞳と目が合い、私は軽くふくれっ面を返した。

「どーせね。だから、やりたくなかったんだってば」

「あ、それヤバい。……その顔ムリ」

「え……」

「だから、俺に背中向けてて」

 何が無理なのよ。などと、独り言のように呟きながらも、言われた通り成瀬くんに背を向ける。と、すぐに左腕を取られ、少しびっくりしながらも、そのまま次の台詞を待つ。

「いいよ。こっち向いて」

 おもむろに腰掛け直し、私は朱莉と同じようにその左手首に輝いている、ブレスレットに触れながら、「ありがとう」と、伝えた。

「俺の無茶振りに付き合ってくれてありがとう。このまま、それ貰ってくれるよね?」

「……私の為に選んでくれたんだもんね。改めて、ありがとう」

「俺もこれ、大事にするよ」

 そう言いながら、成瀬くんも自身の左腕に腕時計をはめてくれた。お互いに微笑み合う。そして、思った。なんだか、恋人同士のようだと。

「ほんとはさ、後悔してたんだ」

「何を……?」

「誕生日を一緒に祝いたいって言ったことを。わがまま言い過ぎたって」

 その一言に、微かな息苦しさを感じた。

「水野に好きな人がいるって分かってから、何度も忘れようとしてた。でも無理だった。どーしても、俺の中から消えてくれなかった」

「成瀬くん。私ね……」

「分かってる。水野には中村さんがいるってこと。友達以上にはなれないってことも」

 成瀬くんからそういわれると、胸が苦しくなる。私は、成瀬くんの笑顔が大好きで、その優しい微笑みを見守りたいと思っていたから。

「私も、ずっと考えてたよ。成瀬くんのこと」

 短くも長い沈黙。耐えられず、私は小さく深呼吸をして、これまで抱いてきた思いを告げることにした。

 立派な俳優になって、大活躍している成瀬くんがとても誇らしかったこと。高校の頃、一緒に戦っていた成瀬くんと、またこうして一つのものに携わることが出来たこと。そのどれもが、すごく嬉しく思えたことを伝えた。

「だから、成瀬くんの想いに応えられない自分が、もどかしいというか」

「困らせてたよな。オレ」

「ううん。私のほうこそ……」

 また沈黙が流れる。それを破ったのは成瀬くんの方だった。不意に、腕を取られ抱き寄せられたことで───

 一瞬、何が起こったのかすぐには把握出来なかった。思いもよらない突然の抱擁にも関わらず、躊躇いはゆっくりとやってきて、でも嫌ではなくて。

「ごめん。少しだけ……」

「成瀬……くん」

「ずっと、こうしたかった。……この温もりを感じたかった」

 成瀬くんの表情は分からないけれど、微かに声が震えている。その呟きは、囁くようにゆっくりと。けれど、徐々に私を抱きしめる腕の力が強まっていく。そうされることによって、成瀬くんの肩からふんわりとベルガモットの香りがして、身動きが取れない状態だというのに、抵抗する気にはなれなかった。

「どうしたらいいか分からないんだ。水野のこと、諦めきれなくて……」


(苦しい……)


「何で、あの時告わなかったんだ。どうして俺じゃないんだって、そんなことばかり考えてた。それでも、それでも忘れる努力をするから。これからも、水野の笑顔を見守れるように……」


(……悲しいよ)


「だから、もう少しだけ時間が欲しい。マジごめんな。わがままで」


(私だって、成瀬くんの笑顔を見守っていきたいだけなのに)


 自然に頬をつたう涙と共に、微かに吐息が漏れてしまう。それは、成瀬くんから思われているという嬉しさのせいでもあり、思われていることによって生じる痛みのせいでもあった。

 成瀬くんの鼓動と手のひらから伝わる微熱を感じながら、私はただ、ごめんね。としか返せない。行き場の無い自分の両腕をどうすることも出来ないまま、これまでにない程の切なさでいっぱいになっていた。



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