Crank in

#21 複雑な関係

 AM 9:35

 都内 某撮影スタジオ 


 9月も半ばに近づき、朝夕だけでも涼しさが感じられるようになってきた今日。いよいよ、成瀬くん主演の、『反魂香はんごんこう』がクランクインした。

 今日から、中村さんと裕樹くんと共に、音響として本格的に携わることになっている。

 これまで、成瀬くんの好意によって、私だけ稽古場まで足を運ばせてもらってきたのだけれど、これからは前回と同じように、中村さんを裕樹くんと共にサポートすることになっていて、成瀬くんが演じる橘光輝たちばなこうきと、その幼馴染である、一ノ瀬朱莉いちのせあかり役の乙葉愛海おとわあいみさんとのシーンを中心とした撮影本番を迎えることとなった。

 朱莉の家セット脇、私たちは少し離れた場所に設置された長テーブルを前に、パイプ椅子にて待機中。あとは、演者を待つばかり。

 死人を呼び戻すことが出来る反魂香は、江戸時代に流行ったとされているけれど、そのお香は現代にも存在しているそうで、出演者とメインスタッフ共にお祓いも済んでいる。

 勿論、本当に死人を呼び戻せることは無いとしても、こういった、少し霊的な人の想いを描く場合、念には念を入れることが多い。

「今日は、長丁場になるな。初日だから」

 私の隣、裕樹くんが台本と睨めっこしながら真剣な面持ちで言った。

 こういう長期での場合、常にスーツだった私たちも少しラフな格好で挑むことにしていて、スニーカーにベージュのカーゴパンツ。上は半袖Tシャツという裕樹くんは、いつもよりも幼く見える。

 別に張り合っている訳ではないけれど、私もラフさでは負けていない。裕樹くんと同じようにスニーカーで、デニムパンツの上はTシャツと白のパーカーで動きやすさを優先させた。

 中村さんはというと、黒色ハイソールレザーサンダルに藍色のカフスイージーパンツ、上は紺色サマーニットという、これまたラフなスタイルが新鮮で、服装に合わせてなのか、髪型も前髪を下ろした無造作感が、半端なく恰好いい。

「かなり修正出てるから、もう一冊ずつ貰っておいたほうがいいな」

 と、中村さんが私と裕樹くんを交互に見遣った。

 中村さんの言う通り、今回の監督さんは聞いていた通り、かなりこだわりが強いから、前回よりも手古摺りそうだ。

 と、その時だった。

 紺色の着流しがとても良く似合っている成瀬くんと、前髪を残したセミロングヘアの毛先を遊ばせ、ブルージーンズにベージュの長袖クロシェ姿の乙葉さんを迎え入れる。

 これまでも思って来たことだけれど、ちゃんとヘアメイクされた成瀬くんの着流し姿は、とても様になっていて、肩幅の広さと長身が活かされているし、私より二つ年下の乙葉さんも、モデル並みの長身と容姿端麗という、二人の完璧すぎる姿にうっとりしてしまう。

 今日の撮影シーンは、朱莉と光輝の家族を中心に行われることになっていて、光輝の家に代々伝わる妖術師について明かされ、今年22歳の誕生日を迎えた光輝は、父や祖父の影響を受け継ぎ、生まれ持った能力を開花させていく。

 最終的には、お香を操り死人を呼び戻す力を身に付け、更には、人が生み出す負の感情とも向き合い、難事件を解決していくことになる。

 並んだ姿は、個人的にもこの二人以外にあり得ない。と、思えた。

 と、そんなことを考えながら成瀬くんと乙葉さんを見守っていた。次の瞬間、卓上の私のスマホが軽やかなメロディーを奏で始め、慌てて電源をオフに切り替える。

「も、申し訳ありません……」

 両隣から、中村さんと裕樹くんの、呆れたような視線を感じながら周りに頭を下げた。


(うわぁ、やってしまったぁ。初日からこれかぁぁ。)


 次いで、落ち込んでいる私のところへ歩み寄ってきて、爽やかな挨拶をくれる成瀬くんの、少し悪戯っぽい瞳と目が合う。

「気合い、入りまくってんな」

 そう、付け足すように言って楽し気に微笑う成瀬くんに、私は凄味を効かせた目線だけで訴える。

 あとで覚えておきなさいよ、と。

 成瀬くんは、そんな私を見ながら更に笑いを堪えるようにして、中村さんと裕樹くんにも挨拶を済ませた。



 その後、しばらくして成瀬くんと乙葉さんのシーン撮影が始まった。

 朱莉の家。設定の時期がクリスマス間近ということで、シンプルなリビングダイニングの中央にある窓際には、飾りつけのされていない大き目なクリスマスツリーが。真ん中には、白いソファーとガラステーブルが設置されている。

 そこへ、朱莉役の乙葉さんがツリーの前にスタンバイして、すぐにテストが行われた。

 助監督の少し緊張を伴った声と、カッチンという鈍い音の後。ソファーの上に、無造作に置かれたクリスマスオーナメントに手を伸ばし、切なげに顔を歪める朱莉。

 乙葉さんの演技に、一瞬で惹きつけられた。

 二つ下の弟、一ノ瀬冬夜いちのせとうやの誕生日でもあるクリスマスイブには、毎年、隣家の光輝とその家族とで盛大に祝っていたのだけれど、今春に交通事故で冬夜を失い、複雑な想いを抱えている。と、いうシーン。

 春から、大学進学を果たした朱莉は、冬夜との思い出を振り返り、どうしても会いたい気持ちに苛まれ続けていた。

 震える手でオーナメントをツリーに飾ろうとするも、そのか細い指からするりと滑り落ち、それと同時に、朱莉の瞳からも涙が零れ落ちる。


(すごい。一瞬で冬夜への想いを募らせ、表現するなんて……)


 役者さんだから、当たり前なのかもしれない。けれど、やっぱり、流石だと思わずにはいられなかった。

 助監督さんの、「カット」という声がして、すぐにメイクさんが乙葉さんに駆け寄り、涙で崩れた部分を整えていく。

「いい表情だったな。乙葉さん」

 裕樹くんがぽつりと呟く。それに対して、私は無言で何度も頷いた。

「いいなんてもんじゃ……なんか、言葉では言い表せられないくらい切なかった。テストなのに、本番かと思うくらい熱が込められていたよね」

 日が暮れ始めた夕刻。夕陽の照明オレンジが、窓辺を照らす。

 のっけから、最愛の弟を失ってしまった。と、いう悲しみのシーンだなんて、感情がついていかないのではないだろうか。と、いう私の心配をよそに、次の本番も乙葉さんはテスト以上にやってのけた。

 続いて、光輝を招き入れ、冬夜との思い出話をするシーンの撮影が間髪入れずに始まった。

 二人して並んでソファーに腰かけ、光輝が朱莉の潤んだ瞳を見つめながら、冬夜との思い出を語った後、反魂香の話を持ち掛ける。

「冬夜に……会いたい……」

 朱莉が悲し気に大粒の涙を流しながら、小さく肩を震わせ始める。

 光輝は、そんな朱莉を背後から抱きしめ、「会わせてやろうか。冬夜に」と、柔和に囁く。

 その言葉に、朱莉は俯き加減だった顔を上げ、はっとしたように大きく目を見開いた。

「……そんなこと、出来るわけないじゃない」

「本来はね。俺としても死人を呼び戻すなんて不本意だし」

 光輝はそう言いながら、指先で朱莉の頬をつたう涙をそっと拭うようにして、「でも、俺なら出来る。もう一度だけ、冬夜を蘇らせることが」と、また囁き、更に朱莉を抱き寄せる。

冬夜あいつだってきっと、お前に伝えたかったことがあるはずだから」

 自らの胸へ縋りつくようにして泣きじゃくる朱莉を、愛おしそうに抱きしめ続ける光輝。その、一点を見つめる柔和な眼差しが、一瞬だけれど、あの日の成瀬くんと重なった。

 お見舞いに来てくれた際、マスクで覆われていたから目元しか分からなかったけれど、私を見下ろしていた眼と同じような気がした。

 おちゃらけていた成瀬くんからは想像もできないほどの、濃艷な眼差し。次第に、光輝の唇が朱莉の頭上へと落ちてゆき、「……朱莉」と、愛しそうに囁いて、指先に狂おしいほど力を籠めていく。

 大好きな朱莉に寄り添いたい。彼女の明るさを取り戻す為なら、何だってやれる。と、いう光輝の想いがひしひしと感じられる。

 これまで、何度か目にしていた稽古それとは違い、あの頃よりも二人の想いがより近づいたからなのか、観ていて胸が苦しくなるほど切ない。

 前回の作品に携わった時も、稽古の最中も、こういったシーンは結構あった。だから、見慣れているはずだったのだけれど、お芝居とはいえ、知り合いが誰かと本気の愛を確かめ合っている場面というのは、何度観ても変な緊張を伴うものなのだと、独り勝手にドキドキしていた。


 ・

 ・

 ・


 PM 8:16


 その後、冬夜役や、両方の父母や祖父母役の役者陣が加わり、撮影は思っていたよりも順調に進んだ。

 私も、中村さんたちと共に場面ごとのSEやら曲などについての打ち合わせでひっきりなしになっていて、その日の分の撮影を終えたのは、20時を軽く回ったくらいだった。

 14時頃、他の現場へと向かった裕樹くんの分も奮闘していたし、安堵したからか、疲労感でいっぱいになってしまったけれど、中村さんとマンツーマンで取り組めたことに、これまで以上の成果を感じている。

「疲れたけれど、なんか、あっという間だったような気がします。今日一日……」

 帰り支度をしながら言う私に、中村さんは、「それだけ集中できてたってことだな」と、薄らと微笑んでくれる。


(くぅぅ、この優し気な微笑はズルい……)


 ちゃんとした休憩は、遅めのお昼のみだったにも関わらず、こんなに平気でいられるのは、やっぱり中村さんがフォローしてくれたからであって……。

 素直に、今、思っていることを伝えたい衝動に駆られた。

「あの、中村さん……」

 この後、一緒に帰りませんか?とか、今度こそ、ラーメンでも食べて行きませんか?とか、言えばいいだけなのに、日増しに言いづらくなってきてしまっている。それだけ、私の中で更に大きな存在になってきているのだと、また意識して口ごもってしまう。

「この後、何も無ければ……」

 それでも、勇気を振り絞ろうとして、すぐに、「ラーメンでも食ってくか」と、食い気味に声を掛けられる。

 私は、先に誘って貰えた事も含め、今食べたい物まで同じだったことが嬉しくて即答した。

「はい! この近くに美味しいお店があるみたいなんです」

 中村さんがラーメン好きだというのは、何となくの会話から知ることが出来ていたし、いつか、二人だけで食べに行けたらって、ずっと考えていた。

 この間のリベンジということもあり、どうしたってはしゃがずにはいられない。

 そんな時、中村さんがぼそっと何かを呟いた気がした。

「……ねぇからな」

「え……?」

「いや、何でもない」

 何を言ったのか気になったけれど、今夜の目的地であるラーメン店を調べようと、バッグからスマホを取り出した。遠くからは、「お疲れさまでした」と、いう成瀬くんや、乙葉さんたちの声が聞こえて、私はスマホを手にしたまま役者さんたちに駆け寄り、労いの声をかける。

「あの、お疲れさまでした!」

 すると、すぐに乙葉さんが、私に気付き挨拶を返してくれる。

「お疲れさまでした。初日から、大変なシーンばかりでしたけど、なんとか無事に終わってホッとしています」

「乙葉さんの演技、稽古の時よりかなり良くなっていて、私なんかが言うのもなんですけど、すごかったです!」

「ありがとうございます。それを聞いて、少し安心しました」


(少し、なんだ。本当に謙虚な人だなぁ……)


 弱肉強食ともいえるこの芸能界。 だから、余計にそう感じるのかもしれないけれど、乙葉さんは、本当に裏表なく誰とでもすぐに打ち解けられる優しい人なのだと素直に思える。

 と、そこへ光輝の父役である、沢森健太さんと話していた成瀬くんが、私に労いの言葉をかけてくれた。

「今日もお疲れさま。ちょっと、この後話したいことがあるから、少し待ってて貰っていい?」

「えっと、この後は……」

 中村さんと一緒に帰ることを伝えようとして、また遮られる。

「例の誕生日の件で話しておきたくて。都合つけるの大変だからさ」

「あ、そっか。じゃあ、どこで待ってればいい?」

「ここで待ってて。急いで着替えてくるから」

 そう言うと、成瀬くんはまたにっこりと微笑み足早に楽屋へと戻って行く。成瀬くんを見送り、私も中村さんのところへ戻ろうとして、すぐに乙葉さんから呼び止められた。

「あの、」

「はい?」

「今、言っていた誕生日の件って、成瀬さんのですか?」

「あ、はい。じつは、私も今月なので合同で誕生日会しようかって話になっていて」

「そうだったんですね」

 何となく、俯き加減な乙葉さんがさっきよりも可愛く見えるのは気のせいだろうか。私が笑顔で頷くと、乙葉さんは、ほんの少し視線を落としぎこちなく呟いた。

「成瀬さんと仲が良いんですね」

「そうですね。高校の同級生でしたし、部活も一緒だったので」

「なるほど……」

「あ、そうだ。もしも、良ければ乙葉さんも一緒にいかがですか?」

「え?」

 私は、少しきょとんとした乙葉さんに、誕生日会に出席して貰えないかと、声をかけてみた。

 日時や場所は勿論、どれだけの人が集まるかは、まだこれからだけれど、前もって乙葉さんのスケジュールを聞いておけば、上手く調整できると思ったからだ。

 そんな私からの提案に、乙葉さんは嬉しそうに顔をほころばせる。そして、お互いの連絡先を交換し、私は楽屋へと戻っていく乙葉さんを見送った。


(もしも、乙葉さんが参加出来るようになれば、成瀬くんも嬉しいだろうしね。)


 我ながらいいことをした。なんて、そんなことを思いながら、中村さんの元へ戻ろうとして足を止めた。

 どういうわけか、パイプ椅子に腰かけたままの中村さんを取り囲むようにADさんと松永さんがいて、神妙な面持ちで台本チェックをしていたからだ。


(あれ、今日は別の現場にいるはずじゃ……)


「さっき、こことここに修正が入って、明日またり直すことになったので、よろしくお願いします。修正文は、こちらです」

 ADさんが、申し訳なさそうにそう言って監督の方へと駆けて行く。それに対して、中村さんはADさんを目で追いながら、軽く溜息をついた。

「今日こそは、返事を聞かせて下さい。モデルの件、引き受けて頂けますか?」

 涼し気な黒ワンピース姿で腕組みをしている松永さんの隣、中村さんは、うんざりしたような表情で首を横に振った。

「いろいろ考えてみましたが、その件に関しては、はっきりとお断りします」

「……そうですか。分かりました」

 いかにも不機嫌そうな中村さんのことも心配だけれど、いつもの余裕ある態度とは一変、素に近いであろう松永さんの方が気になり、何気なくお二人の間に入って行こうとして、「その代わり」と、中村さんの、いつもよりも低くて柔和な声に、私はまた足を止めた。

「今度、吉沢さんも誘ってどこかで飲むってのはどうですか」


(えっ……?)


 その場を去ろうとしていた松永さんも歩みを止め、振り向き様かなり驚いた表情で中村さんを見つめている。

「それって、どういう意味ですか?」

「……そういう意味ですが」

「私を誘ってくれたってことでいいんですよね?」

 再度、確認するように尋ねる松永さんの顔がみるみる赤くなっていく。

 中村さんは、そんな松永さんから視線を外しながら、片手で自らの顔を覆うようにして今度は深い溜息をついた。

「……ああ」

 いよいよ、両手で口元を覆う松永さんの、嬉しそうな表情かお

 今の松永さんへの言葉は、このままでは埒があかないと思った中村さんなりの優しさであり、そうすることが得策だと考えた結果なのだ。と、思いたい。

 何より松永さんの、中村さんへの想いを想像して、私は何となくその場を動けずにいた。

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