#20 やっぱり、考えちゃうよ

 ───2日後


 Truth 

 2階 ミーティングルーム


「よし。これくらいでいいかな」

 掃除し忘れた箇所がないか、また、やり残しがないかも確認して、窓から降り注ぐ日差しに目を細める。

 なんだかんだと、二日も携われずにいたことが残念でならなかったけれど、今日からまた復活することが出来た。

 中村さんや、ありさたちは勿論のこと。今回、成瀬くんにまで頼りきってしまった。これらを反省し、これからも感謝の気持ちを忘れずに頑張って行かなければ。と、改めて、考えていた。

「もういいのか」

 振り返ると、いつの間にそこにいたのか、中村さんが開け放たれたままのドア付近で佇んでいた。

 スーツ姿なんて見慣れてるはずなのに、いつものグレー系とは違って、明るめのベージュ系が、穏やかで優しそうな印象を受けた。

「はい! あの、二日もお休みしてすみませんでした」

「お前がいなくても何とかなるから気にすんな」

「……そ、そうですよねぇ」


(い、いつか巻き返してやるんだからぁぁ!)


 変な顔でもしていたのだろうか。中村さんは、噴き出すように笑って、「また無理をするなよ」と、念を押すように言った。

「今日は、JIスタジオでCMの収録があるから、一緒に来い」

「え、私も行っていいんですか?!」

「嫌なら他の奴に頼むが……」

「いいぃ、嫌だなんて! 行きます、行かせて下さい!」

「17時から、JIな」

「はい!」

 目の前のエレベーターに乗る中村さんを見送り、思わず顔がニヤけてしまう。それと同時に、またもやガッツポーズをとらずにはいられなかった。

 二日間も我慢した私へのご褒美なのだろうか? などと、勝手に喜んでまた窓から見える青空を見遣る。

「今日も頑張るぞぉぉー!」


 ・

 ・

 ・


 PM 7:46

 JI studio ロビー


「お疲れさまでした」

 収録後、関係者の方々を見送り、ひと段落してロビーに置き去りのままのコーヒーカップをトレーに乗せて給湯室へと向かう。

 この秋から始動スタートする連ドラのCM収録は、約2時間半で終えることが出来た。

 CMも、俳優さんたちの力量やセンス次第で、収録時間は変動する。今日はクライアントさんと役者さんの相性が良かったようだ。

 まず、主演を勤める男性俳優さんが収録スタジオに入った後、専用デスクに腰掛け、ヘッドフォンをして待機する役者さんに合わせ、卓上の小型液晶モニターとマイクのセッティングをする。

 それが終わると、モニターに出来上がった映像を流し、本番前に何回かテストとして、手元の原稿を画面に合わせながら読んで貰うのだけれど、私たちは、役者側とクライアント側の橋渡し的な役目を担っている。

 役者さんにも、プロデューサーさんやクライアントさん側にも、気持ちよくお仕事をして頂く為に必要なことは、迅速かつ臨機応変に対応する能力、プラス相手を思いやれる気持ちが大切なのではないか。と、個人的には思っている。

 洗い物を終え、スタジオ前の控室へ戻る。と、黒革ソファーに腰かけながらノートPCを見つめ、難しい顔で格闘している様子の中村さんに、改めて、挨拶をした。

「お疲れさまでした」

「お疲れ」


(久しぶりだからかな。見入ってしまう……やっぱり、いいなぁ。)

 

 じーっと見つめていたからだろうか。不意に、目が合って無駄にドキドキしてしまう。

「飯でも食ってくか」

「え、あ……」


(ええぇっ!? 中村さんから声をかけてくれるなんて……は、初めてなんじゃ。)


「と、言いたいところだが、今日はまだ無理しないほうが良さそうだな」

「ずっとお粥とかだったから、こってりしたラーメンとか食べたいんですけどね」

「食わしてやりたいが、それだけはやめとけ。消化に悪い」

「ですよねぇ……」

 思わず、ガッカリして大きな溜息がこぼれてしまう。と、ほぼ同時に卓上のスマホがブルブルと鈍い音を立てて小刻みに揺れ始めた。

 中村さんは、がっくりと項垂れている私に苦笑しながら、通話に出ようとして眉を顰める。

 このスタジオは電波の入りが悪く、切れてしまったみたいで、「外で掛け直してくる」と、言って玄関方面へと向かう中村さんを見送った。

 そうしながらも、中村さんも好きな和食専門店とかなら一緒に食事することが出来るかもしれない。という、微かな希望を抱きつつ、帰り支度を済ませ、スマホでこの辺のお店を調べていた。その時、いつも成瀬くんについているマネージャーさんが私の前を通りかかり、挨拶をして奥の男性トイレへと入っていった。


(と、いうことは、成瀬くんもいるのかな……)


 そう思って、細い廊下を見渡す。と、突然、すぐ近くのドアがゆっくりと開き、中から出て来た成瀬くんの、少し驚いたような視線と目が合った。

「っと、びっくりした。水野もJIここにいたんだ」

「うん。隣だったんだね」

「ああ。で、体調は? もういいの?」

「今度こそ、ほんとにもう大丈夫」

「そうだな。顔色もいいし……」

 より近づいた成瀬くんの端整な顔を目前に、何となく照れくさくて視線を落とした。

 今日の成瀬くんは、黒ジャケットに白シャツとベージュパンツというスタイルで、いつもよりも少し大人っぽく見える。

「俺、もう終わったんだけど、そっちはまだあるの? この後」

「こちらもさっき終わって、これから帰るとこ」

「なら、また車で来てるから家まで送るよ」

 そう言って、私に微笑んだ。次の瞬間、成瀬くんは、少し驚いたように目を見開いた。

「あ、先日はどうも……」

 直ぐに、その視線が私ではなく、私の後方、戻って来ていた中村さんに向けられていたことに気付く。


(え……?)


 そんな成瀬くんに対して、中村さんは薄らと微笑み挨拶を返した。

 短い沈黙。どういうわけか、成瀬くんの視線が定まらない。

「あの……結局、例の件は引き受けることになったんですか? 松永さんの……」

 少し躊躇いがちに尋ねる成瀬くんに、中村さんは、「まだ保留中です」と、言いながら、さっきまで寛いでいたソファーに腰かけ、再度、卓上に開かれたままのPC画面を覗き込んだ。

「先日って?」

 私が疑問に思い尋ねる。と、成瀬くんは、吉沢さんの飲み会に行った日のことを話してくれた。


(ということは、成瀬くんにはもう……)


 成瀬くんがぎこちない原因が分かった途端、私も変に意識してしまう。

「あの時は、あまり話せませんでしたけど、これからはもっと頻繁に会えると思うんで、またいろいろ聞かせて下さい」

 そう言って、苦笑いを浮かべる成瀬くんに対して、中村さんは、どこからどう見ても愛想笑いのような表情で、「分かりました」と、一言返しただけ。

 もともと、中村さんは口数が少ない。だから、私の勝手な思い込みかもしれないけれど、さっきまでとは違い、機嫌が悪そうな中村さんのことも気になっている。と、いうか……。

 続いた中村さんの一言に、一瞬だけれど、胸がチクリと疼いた。

「せっかくだから、送ってもらえ」

「え、でも……」

「こっちのことは気にしなくていいから」


(もしかして、さっきの電話は私が原因だったりしたのかな。)


「あの、私また何かやらかしてしまったんでしょうか?」

「それはない」

「じゃ、怒らせるようなこと言いました?」

「それもない。とにかく、俺はもう少しやることがあるから、お前は先に帰っとけ」

 中村さんは、ずっとPC画面を見つめたまま。眉間に皺が寄っている時は、怒っている時か、機嫌が悪い時だったりする。

 こういう時は、何も言わないほうが良いということは経験済みなのだけれど、さっきまで笑顔だったのに。と、複雑な想いに駆られてしまう。


(ここは、言われたとおりに帰ったほうがいいよね。一緒にご飯したかったんだけどなぁ……)


 そんなことを考えていた。その時、成瀬くんが私のバッグを手に少し怒ったように言った。

「じゃ、水野は俺がちゃんと送り届けますんで」

「え……」

「支度が済んでるなら、行こうか」

「う、うん……」

 ぎこちなく微笑む成瀬くんに頷き、私は改めて、中村さんに、「お疲れさまでした。お先に失礼します」と、声をかけて、玄関方面へと向かう成瀬くんの後に続いたのだった。


 スタジオ脇の駐車場に辿り着くまでの間、ずっと私に気を遣ってくれているのが分かる。

「私、念の為、後ろに乗るね」

「分かった」

 お互いに乗り込み、しばしの沈黙が流れた。

 カーナビにはもう、私の家がセットされているようで、エンジン音と共に行先を告げるアナウンスが聞こえてくる。

「もしかして、二人でどこかへ行くところだったとか?」

「そんな話はしてたけど、今日はまだ大事をとって家に帰るつもりだったから……」

「そか。それなら、少し安心した」

 バックミラー越し、いつもの笑顔を見せる成瀬くんに、私はぎこちないながらも同様に微笑んだ。

「それと、ごめんな」

「何が?」

「なんか、割り込んだみたいで」

「そんなことないよ。全然」

「つーか、いつもあんな感じなの? 中村さんって」

 車がゆっくりと走行し始める。

 成瀬くんの、あんな感じという表現だけで言いたいことが分かってしまった。

「いつもってわけじゃないよ」

「正直、佑哉さんの飲み会で中村さんと初めて会話した時、この人がって思った。それに……」

 そこまで言って、口ごもる。

 続きを待っていると、しばらくして、成瀬くんは落ち着いた口調で話し始めた。

「まだ、中村さんとは会ったばかりだから何とも言えないけど、なんかこう、取っ付き難そうっつーか」


(第一印象は、みんなそうだと思う……)


「中村さんが機嫌悪かったのは、きっと、私が何かやらかしちゃったからなんだと思う。それ以外に考えられないし」

「そうとは限らないんじゃない?」

「戻って来てから明らかに怒ってたし。きっと、また尻拭いをさせてしまったんだと思う。私に言わなかったのは、成瀬くんが傍にいたから……」

「俺はそうは思わない。たぶん……」

 また言い淀み、短い沈黙が流れる。

 さっきから成瀬くんが、何かを言おうとして抑え込んでいるような感じがして、少し違和感を覚えた。

「それよりさ、中村さんに告白するってアレ。どうなった?」

「まだ心の準備が。というか、そんな暇も無くて……」

 気持ちはいつも逸っていた。常に告白したいという願望は持っているけれど、なかなか、そういう雰囲気になることがないというか。タイミングを逃してしまっていた。

「いつも忙しそうだし、私の為に時間を割いて貰うのはなんか、申し訳なくて……」

「この間、俺が言ったこと忘れたの?」

「そういう訳じゃないんだけど……ほら、やっぱりタイミングみたいなものもあるでしょ?」

「別に急かしてるわけじゃないんだけどさ。きっと大丈夫だから」

「だから、その根拠は?!」

「そんなのない。つーか、誰かに取られてからじゃ遅いんだからな。モテるんだろ、あの人」

「うん、すっごく。至る所にライバルがいるって感じ」

「俺の知り合いにも、中村さんのこと意識してる人いるし」

「え? そうなの!?」

「だから、うかうかしていられないんじゃないの?」

 そう言って、一瞬だったけれど後方を振り返る成瀬くんの、少し呆れたような瞳と目が合う。

「そ、そうなんだけどね。なんか、やっぱ怖くて……振り出しに戻っちゃうんだよね」

 私はまた溜息をつきながら項垂れてしまう。そんな私に気を遣ってくれたのか、今度は慰めるように優しく話しかけてくれる。

「前も言ったけど、自分はどうしたいか。水野は、それだけ考えていればいいと思う」

「……自分は、どうしたいか」

「そう。常に相手への想いを大切にして自信を持っていれば、結果はどうあれ、納得することが出来るはずだから」

 ああ、なんていい人なんだ。改めて、成瀬くんの寛大さに気付かされた。

 そう思いながらも、私のことを好きだと言ってくれた成瀬くんに、私の好きな人の話をしてしまっているこの状況って……。

 友達でもいい。と、いうことだとはいえ、やっぱり気が引けてしまうというか。

「あのさ、俺への配慮は要らないからね」

「え……?」

「今、成瀬くんに好きな人のこと話してるなんて。とか、考えてたでしょ?」

「な、なんか怖いんですけどー。どうして、私が思ってることとか分かっちゃうの?」

「自分で言うのもなんだけど、役者だからね。顔色や声色一つで、なんとなく分かるっつーか。水野は態度に出やすいし」

「やっぱり、考えちゃう時あるよ」

「まぁ、俺もまだ諦めた訳じゃないんだけど。お前が笑顔でいられるなら、俺の隣じゃなくてもいいかなって。少し思えるから」

「成瀬くんって、ほんと同い年なのに私より大人だよね」

「お前がお子ちゃま過ぎるんじゃない?」

「そのお子ちゃまと付き合うつもりだったくせにぃー」

 少しふくれっ面で言い返す。と、成瀬くんは楽しげに笑った。

「すげー良いと思うんだよね。水野の、そういう気取ってなくて、めちゃくちゃ空回りしながらもやり遂げようとしてるところ」

「な、なんかそれって。褒められてるんだか、慰められてるんだか……」

「俺が物好きなだけかもしれないけど」

「ちょ、何よそれぇ!? 絶対バカにしてるでしょ!」

 今度は少し怒って見せる。と、成瀬くんの吹き出すような笑い声がして、またバックミラー越しに目が合った。

「ところで、話は変わるけど。水野の誕生日って、来月18日だよね?」

「うん。覚えててくれたんだ」

「つーか、忘れないよね。好きな子のことは」


(……っ……だから、そういうことをサラッと……)


「そういえば、成瀬くんも来月だったよね」

「うん、9月22日。あ、ちとCafeあそこ寄っていい?」

 車が左車線に停車する。

 念の為か、黒い帽子に伊達メガネでカモフラージュし、ちょっと買ってくる。と、言ってその、丁度隣にあるカフェへと入っていく成瀬くんを見つめながら、成瀬くんの、私への気遣いを嬉しく思っていた。


(なんか、少し前にもこんな会話したなぁ。)


 高校の頃から変わらない優しさが、私を包んでくれているようで ────


『俺は、水野がいい。水野のことが好きだ』


『俺がこんなこと言うのもなんだけどさ。後悔する前に、その想いだけは伝えた方がいいんじゃない?』


『急がなくてもいい。きっと大丈夫だから』


 私が成瀬くんに片想いしていた頃だったら、きっと嬉しすぎてどうにかなっていたと思う。

 それなのに、今の私は……。


『俺は、見込みの無い奴には何も言わない主義でな。お前には才能があると思っているからこそ、キツイことも言ってきたつもりだ』


『中途半端に辞めていく奴らもいるなかで、水野は、不器用ながらも諦めずに頑張り続けている。だから、いつか報われる日がくるんじゃないか』


『仕方ねぇな。今夜だけは、弱音でもなんでも受け留めてやる……』


『水野はそのままでいい。これからも、俺がフォローしていくから』


 告白したって、きっと断られるに決まってる。だけど、成瀬くんと再会してハッキリと分かってしまった。

 私の中で中村さんは、無くてはならない存在なのだ、と。

 コツコツと、サイドガラスが鳴るのを耳にして、俯き加減の顔を上げた。

「あ……」

 そこには、2カップ片手にテイクアウトして戻ってきた成瀬くんがいて、急いで窓を開ける。

「コレ」

「私にも?」

「ミルクたっぷりのカフェオレ。好きだったよね?」

「あ、ありがと……」

「どーいたしまして」

 成瀬くんは、満足気に微笑みながら私にカップを手渡し、運転席へと回って乗り込んだ。

 お互いに一口飲んで、「はぁー」と、息をつく。次いで、もう片方の手で帽子と伊達メガネを外しながら、「おごりだからソレ」と、言う成瀬くんに、私は苦笑いしながら頷いた。

 開けたままのリッド口部分からは、甘い香りが漂ってくる。

「ミルクがまろやかで美味しい」

「夏だけど、ホットってやっぱ落ち着くよな」

「そうだね。なんか癒されるね」

「あのさ、来月は更に忙しいんだけど、いつでもいいからどこかで会えないかな?」

「え?」

「水野とお祝いしたい」

 こちらを振り返り、真顔で言われたからか、少し戸惑ってしまう。けれど、その微かな緊張はすぐに解れていった。

「大丈夫。佑哉さんとかも誘うから」

「あ、うん……」

「また良い店とか聞いとくよ」

 これで何度目だろう。いつものように、ニカッとした笑顔で言う成瀬くんに、私も緊張していた気持ちを開放していく。

 高校の頃。私はこの笑顔に、安心感と癒しを貰っていた。苦手なことも、やり遂げることが出来た。

 成瀬くんの影響はとても大きかったんだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る