Eternal triangle <三角関係>

#19 あの頃のように……

 ────翌日


 AM 9:43


「あーあ。休みたくないなぁ……」

 横向きになった拍子に、おでこからは冷却シートが剥がれ落ちそうになり、スマホが力無く手のひらから零れ落ちる。


(冷却シートの買い溜めしなきゃ……)


 ありさから電話を貰い、その後、会社にも報告を済ませた。

 どういう訳か、深夜からまた高熱に悩まされてしまい、倦怠感なども加わって、昨日よりも酷くなっている。

 今日は、中村さんの言うとおりに大事をとって休むとしても、長引くことを考慮して病院へ行った方がいい。と、いう結論に至った。

 少しふらつきながらも、薄手のTシャツに長袖パーカー、下は履き心地の良いジャージという、かなりラフな格好に着替えて間もなく。やっぱり辛くて、ベッドに腰かけたまま茫然としてしまう。

「はぁぁ、しんど……」

 これほどの高熱は何年振りかで、さすがに実家へ連絡したほうがいいかと思った。その時、LIMEメッセージの受信音がして、枕元のスマホを確認する。


(成瀬くんから……)


 成瀬くんなりの、私を心配する言葉が書かれていて、またすぐに電話マークが出たので、私は少し躊躇いながらそれに触れた。

【おはよー】

「おはよう。昨日はありがとう。どうしたの? こんな早くに」

【そろそろ起きてる頃かと思って。既読になったから電話してみた。体調はどう?】

「うん、もう大丈夫。昨日よく眠れたから……」

【昨日より辛そうだけど?】

「そんなことないよ! 良くなったから、もう心配しないで」

【無理してない?】

(うっ……なんで、分かっちゃうのかな。電話ごしなのに。)


【今日は夕方まで暇だから、また何か買って行くよ。病院とか行くなら付き合うし】


(まさに、これから病院へ行こうとしてたわけだけど……)


「いいってば。これ以上甘える訳にはいかないし、なにより、今度こそ成瀬くんに移したら大事だから」

【俺なら大丈夫だって。そんなヤワじゃねーから】

「そういう問題じゃ……」

【辛いんだろ? 今】

 またもや、最後まで言いきる前に遮られてしまい、一瞬だけれど黙り込んでしまう。

「……どうして分かっちゃうの?」

 私が躊躇いがちに尋ねる。それに対して成瀬くんは、ふっと息をついて、「やっぱりね」と、微笑った。

【声にいつものハリが無いから、すぐに分かった】


(そ、そういうものですかぁ??)


【とりあえず、これから車で向かうよ。じゃ、また後で】

「あ、成瀬くん! ちょっ……と……」


(まただ……なんて強引な……)


 プツリと切れる通話。

 これからってことは、もう身支度とかも整え終わっていた。と、いうことだろうか。気持ちは嬉しいけれど、そこまでさせてしまうのは心苦しいというか、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 そう思いながらも、一人で病院へ行くことが困難な今、成瀬くんの心遣いに揺らがないはずもなく……。


(今回も断れなかった。結局、甘えてしまった……)


 そんなふうに落ち込まずにはいられなかった。


 ・

 ・

 ・


 都内

 内科・小児科 


 あれから、30分ほどで駆けつけてくれた成瀬くんと共に、行きつけの病院へとやって来ている。

 隣町にある為、車で迎えに来てくれたことは嬉しかったのだけれど、いつものラフな服装に、帽子とマスクでカモフラージュしてくれているとはいえ、あの成瀬くんと一緒だということに気を遣ってしまい、やっぱり、車の中で待っていてもらえば良かった。と、後悔していた。

「結構混んでるな」

 待合室に入った途端、成瀬くんがぽつりと呟いた。

 受付を済ませ、辺りに目を遣る。と、今日はいつもよりも小さいお子さん連れが多く、ほとんどの人がマスクと額に冷却シート姿で椅子に腰かけている。

 次いで、受け取った体温計で現在の体温を測ってびっくりしてしまう。


(えぇぇ、39.4って……嘘でしょう?)


「あ、あそこ空いたから座ろう」

 成瀬くんの視線の先、2歳くらいの男の子を連れたお母さんが会計のところへ移動したのを見計らって、私たちはその空いた席に並んで腰かけた。

「熱、昨夜より高い……」

「マジか。昨日のうちに、病院へ行ってれば良かったな」

「うん……」

 高熱のせいもあるのだろうけれど、真上にある業務用クーラーの冷たさも手伝って、身体がぶるぶると震え始める。と、不意に、肩にふんわりとした感触を受けた。

「ちょっと臭うかもだけど。良かったら、これも着て」

 それは、成瀬くんの腕にさがっていた紺色のサマーカーディガンだった。

「え、いいよ。なる……じゃなかった、そっちの身体が冷えちゃうから」

「だから、俺なら大丈夫だって。鍛えてるから」

「ごめんね。いろいろと……」

「こういう時は、『ありがとう』だろ。素直に甘えとけよ」

「う、うん。でもね、やっぱり……」

 そこまで言って、私は成瀬くんに耳打ちをした。

 さっきから、ほとんどの患者さんの視線が成瀬くんに集中していることも含め、やっぱり車で待機していて欲しい、と……。

「……そこまで言うなら」

 そう言って、成瀬くんは私に、「車で待ってる」と、言い残して待合室を後にした。

 薄手のカーディガンだけれど、これ一枚あるのと無いのとでは全然違うし、薄らとベルガモットの香りがして、心地良さを感じる。


(成瀬くんの匂いもする……)


 成瀬くんは、いつから私のことを想ってくれていたのだろう。

 初めての事だらけだった高校一年の春。

 まだ、部活を決め兼ねていた私の目に飛び込んで来たのは、コートの中で一際目立つ成瀬くんの姿だった。

 正確なジャンプサーブ、半端なく威力あるアタック。顧問の大竹先生から、「最強の鉄壁」とまで言わしめたブロックなど。

 もっと間近で成瀬くんの活躍を見守りたい。

 動悸はなんであれ、バレー部のマネージャーとなった私は、みんなのサポートと応援に全力で取り組んだ。

 知れば知るほど、成瀬くんのことを考えるようになり、気がつけば好きになっていた。

 鈍感だから、成瀬くんが私に好意を持ってくれていたなんて夢にも思わなくて。

 成瀬くんに、付き合っている人がいるという噂を聞き、実際に二人が仲良く歩くところを目の当たりにして、ようやく諦める決心がついたんだった。

 そんなふうに、当時のことを思い浮かべながら待つこと数十分。ようやく、自分の番が来て、ふらつきながらも診察室へと向かった。




 診察を終え、パーキングまで戻る。と、成瀬くんはすぐに車から降りてきてくれて、私を支えるようにして寄り添ってくれる。

「思ったより早く済んで良かったな」

「うん。これからお薬を処方してもらわなきゃいけないけど」

「それなら、俺が行ってくるから。水野は車で待ってて」

「ありがとう。そうさせて貰うね」

 行きと同じように、念のため後部座席に腰かける私から処方箋を受け取ると、成瀬くんは、ここから少し離れた所にある薬局へ入って行った。

 安心したのもつかの間。

 震えよりも頭痛が酷くなり、さらに重たくなった目蓋を閉じる。

「……参ったなぁ」

 シーンと静まり返った車内、微かな耳鳴りが脳に響く。


(明日は行かなくちゃ……)


 ・

 ・

 ・


 遥香の部屋


「何から何まで……ありがと……」

「ん」

 薄手の布団を掛けて横になる私の額に、成瀬くんは冷却シートを貼ってくれた。

「冷たっ……さ、寒ぅ……」

「あっためてあげようか?」

「い、いらない! というか、無理っ」

 車の中で成瀬くんを待っている間、サイドドアに寄りかかるようにしてウトウトしてしまってから、自宅に辿り着くまでの間、深く眠り込んでしまっていたし、家に着いてからも、お粥を作って貰ったりと、成瀬くんにはかなり気を遣わせてしまっている。

「うぅ、しんどぉぉ……」

「変わってやりたい。俺に移せば?」

「それだけはダメ……絶対に……」

 マスクをしているから。というのもあるのだろうけれど、顔を中心に熱くて息苦しく、それでいて全身の寒気は増していく。

「俺がマスクしてるんだから、外せばいいのに」

「絶対、外さない。マスクって風邪とか引いた人がしていないと意味がないっていうでしょ」


(早く帰って貰わなきゃ。これ以上一緒にいたら、本当に風邪を移してしまう)


 薬を飲んだから、今度こそもう大丈夫。そう伝えたけれど、成瀬くんはベッド端に腰かけ、私のマスクをそっと外した。

「あの頃だって、大丈夫だっただろ」

「あの頃って……」

「夏の合宿の時」

「そうだけど。今回も移らないとは限らないでしょ」

「免疫力だけは自信あるから、俺」

 マスク越し、いつものように微笑む成瀬くんの、真っ直ぐな瞳───。

「もう。ほんと、そういう頑固なところもあの頃のまんまだね」

「お前のほうこそ。譲ろうとしないところ、人のこと言えないから。まぁ、俺がいないほうがいいなら帰るけど」

 お薬の効果なのか、だんだんと意識が薄れ始める。

 成瀬くんのしなやかな指先が、私の前髪を優しく掠めていく。それにより、自然と閉じた目蓋を微かに開き、私を見つめている柔和な瞳と指先に、あの頃と同じ穏やかな温もりを感じた。

「俺ら、だろ」

「え……う、うん」

「なら、遠慮すんなよ。これからも……」

「遠慮しているんじゃなくて、心配してるの! 補佐だけど、私には音響担当として、成瀬くんを見守るっていう役目もあるんだし」

「心配してくれてたんだ……」

「あったり前でしょ。成瀬くんの代わりはいないんだから。あなたは主演としての自覚が無さ過ぎです!」

 少し膨れっ面を見せながら、成瀬くんが未だ手にしていた私のマスクを奪い、しっかり付け直す。と、成瀬くんは少し瞳を細め言った。

「……分かった。じゃ、また何かあったら連絡して」

「うん」

「鍵、閉めてポスト入れとく」

「うん。帰り、気をつけてね。あと……」

「ん?」

「今日も来てくれて、ありがとう……」

「こんなことならいつでも」

 そう言って微笑んで、成瀬くんはソファーの上に置きっぱなしだった私のキーケースを手に部屋を後にした。

 ポストにキーケースが落ちる音がして、私はゆっくりと目を瞑った。

 独りになってしまった心細さは否めないけれど、あの頃同様、現在も私だけの成瀬くんではないということ。


(甘えすぎだよね。成瀬くんに……)


『俺ら、友達だろ────』


「そう、だけどさぁぁ……」

 やっぱり、このままではいけない気がする。

 あの頃のように。成瀬くんに、私の想いを返すことは出来ないのだから……。

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