#22 彼女<仕事

 松永さんの、中村さんへの想いをはっきりと見せつけられた気がした。

 それと同時に、もしかしたら、中村さんも松永さんに対して想うところがあるのかもしれない。などと、疑心暗鬼してしまい、私はその場を動けずにいた。


(どうしよう。今戻ったらいけないような気がする……。)


「お待たせ!」

 と、成瀬くんの声がして、そちらを見遣った。途端、いつものラフな私服に着替えて戻って来た成瀬くんの、申し訳なさそうな瞳と目が合う。

「ごめん、マネージャー山本さんから訂正分や、ダメ出しとか聞いてたから遅くなった」

「全然大丈夫だよ」

「どうした? なんか元気ないみたいだけど」


(ほんとに、敵わないなぁ……)


 そんなに顔に出ていたのだろうか。私はすぐに、「ちょっと疲れただけ」と、苦笑いを返した。

「まぁ、何も無いならいいんだけど。で、どうだった? 俺たちの芝居」

 成瀬くんが、興味津々という感じで微笑んでいる。

「凄く良かったよ。特に、乙葉さんの演技が切なくて最高だった」

「俺は?」

 更に満面の笑顔で尋ねて来る成瀬くんに、私はさっきのお返しとばかりに、わざと遠回しに答える。

「稽古の時よりは良かったかな」

「それだけ? 俺への感想……」

「ふふ、拗ねてる?」

「……別に拗ねてないよ」

 明らかに、不機嫌そうに視線を落とす成瀬くんに、私は宥めるようにしてその両腕を取った。

「本当のところはね、朱莉への想いが、これでもかーっていうくらい伝わって来て、とてもカッコ良かったです」

 思ったままに伝える。と、成瀬くんはパァーっと笑顔を綻ばせた。

「好きになっちゃった?」

「うん」

「え、マジで!?」

「光輝くんをね」

「なんだよそれ。なんか、全然嬉しくねーんだけど……」

 今度は、落ち込んだようなふくれっ面になる成瀬くんが面白くて、ぷっと吹き出してしまう。

「あっはは、うそうそゴメン」

「やっぱ、水野は笑ってた方がいいよ」

 なんて優しい笑顔なのだろう。素直に、屈託なく自分の想いを伝えられる成瀬くんが、毎度の事ながら羨ましく感じる。

「なんか、いつも笑わせて貰ってばかりだね。私……」

「俺の方こそ。水野が観ててくれてると思うと、緊張感が和らぐし」

「私に癒し効果なんて無いけどね」

「そんなことねーよ。俺には効果ありすぎ」

「そっか……」

「もっと自信持てよ。自分に」

「……うん」

 また励まされちゃった。

 なんだかんだと、今回も成瀬くんの優しさに触れて、私はいつの間にか自然と笑顔になっていた。

「あれ、松永さんじゃん。なんでいるの?」

 成瀬くんは、松永さんを見つけると、「お疲れ様です」と、声を掛けながら歩み寄って行く。

 それをきっかけに、私もまだ少し躊躇いながらもその後に続いた。

「来てたんですね」

「成瀬くん、お疲れ様。ちょっと中村さんに用があって」

 その後の展開とやらを尋ねる成瀬くんに対して、松永さんは少しがっかりと肩を落としながら、「結局、断られちゃった」と、可愛く拗ねて見せる。

「なんなら、俺が代わりに引き受けますけど」

 成瀬くんのいつものスマイル。そんな成瀬くんとのやり取りに慣れているのだろう。松永さんは、「結構です」と、きっぱり言い切った。

「ですよねぇ~。っと、ごめん水野」

 成瀬くんが私に向き直り、さっきの続きとばかりに話し始める。

「楽屋で着替えてたら、19日に入ってた仕事がバレたって連絡があったんだよね。だから、その日でもいいかな?」

「分かった。じゃあ、こちらも調整出来るか確認してみるね。あと、さっき乙葉さんにも声をかけておいたよ」

「え、乙葉さんにも?」

「うん。何となく、成瀬くんのことお祝いしたそうだったから」

「そっか。まぁ、多い方が楽しいしな。で、この後は? もし帰るなら、また乗っけて行くけど」

「この後は……」

 今度こそ、中村さんと外食する予定だと伝えようとして、不意に、左腕を取られる。


(……んっ?!)


 他の誰でもなく、中村さんからだと判明した。その途端、一瞬固まってしまう。

 何が起こったのか分からないまま、私はすぐに離された、ちゅうぶらりんのままの左手首をもう片方の手で覆うようにして、隣にいる中村さんを見上げた。

「まだやることがある」

 一瞬、成瀬くんを見つめるその眼が、いつにも増して真剣で、まるで敵視しているかのように見えた。

 次いで、そのままスタジオを出て行こうとする中村さんを呼び止める。

「あ、どこへ行くんですか?!」

「便所」

 こちらを振り返ることなく去って行く中村さんを気にかけながらも、苦笑気味の成瀬くんに、この後のことを伝えた。

「そっか。それなら、明日も早いから今日は先に帰るよ。また俺からもするけど、何かあったら遠慮なくLIMEして」

 私にそう言うと、成瀬くんは松永さんにも挨拶をしてスタジオを後にした。

 成瀬くんを見送って、何となく気まずい雰囲気のなか。さっきまで機嫌が良かった松永さんの表情が、また曇り始めたことに微かな危惧感を覚えた。

「水野さん」

「は、はいっ!」

「成瀬くんと飲み会でもやるの?」

「いえ、飲み会じゃなくてですね……」

 突然、松永さんから声を掛けられ、これまたびっくりして、咄嗟に気をつけの姿勢になってしまう。

 次いで、さっきの乙葉さん同様、松永さんにも同じように誕生日会のことを話して聞かせた。

 すると、松永さんは何かを考えるかのように親指の腹と人差し指で顎元を挟み込み、薄らと微笑んだ。

「それなら、少しでもいいから私も参加させて。どうにかして都合つけるから」

「だ、大歓迎です! 成瀬くんの都合の良い日が19日らしいので、その日になるかと思います」

「分かりました。じゃ、今日のところは大人しく帰ります」

 松永さんは、軽やかに踵を返し、少し離れたスペースにいる長谷部監督の所へ行って、何やら話し込んでいる。

 ほっとしたのもつかの間。

 しばらくして、疲れきったようにトイレから戻って来た中村さんと一緒に、さっき貰ったばかりの訂正部分の修正に取り掛かった。

 それから、数分後。

 修正を終えた私たちは、ほぼ同時にパイプ椅子の背に凭れ掛かるようにして大きな息をつき、顔を見合って、また同時にぶはっと吹き出した。

「改めて、お疲れ様でした。これ、そのまま裕樹くんにも連絡しておきますね」

「おぅ。頼んだ」

「お腹空きすぎましたぁ~。早く行きましょう! ラーメン食べに」

 何気に、二人だけで外食するのは初で、気持ちばかりが先走るなか、私たちは今度こそ帰り支度を済ませ、目的地であるラーメン店へと向かったのだった。


 ・

 ・

 ・


 ラーメン店は、スタジオを出て20分ほど歩いた近場にあった。

 店内はそれほど広くなく、食券を買って手渡すことになっており、カウンター席しか空いていなかったので、私たちは端に詰めるように2人並んで腰かけることにした。

 私は味噌ラーメンを。中村さんは、醤油ラーメンをそれぞれ注文したのだけれど、まずは、お互いに生ビールで乾杯し、半分以上飲み干していく中村さんの横顔を、私はニヤニヤしながら見つめた。

「くそぉー、マジうめぇぇ」

 ぷはっと、一息ついて未だジョッキの腹を手にしたまま、たまらんって顔の中村さんに、私は笑いを堪えるようにして言い返す。

「美味しいのに、くそぉーってどういうことですかぁ」

「くそ美味いってことだ」

「ワケ分かりませんからー」

 ただの自惚れだということは分かっているのだけれど、さっきの成瀬くんとのやり取りの最中、まるで、「行くな」と、引き止められたかのように、私の腕を取ってくれたことが嬉しすぎた。

 すぐに離されてしまったとはいえ、ほんのちょっぴり期待してしまったというか。

 24年間、恋愛ドラマやコミック並のラブ要素なんて皆無だったこともあり、都合のいいように考えてしまっていた。

「しっかし、最後にやられた。アレさえなければこんなに疲れずに済んだってのに」

 そう言って、中村さんは残りの分も一気に飲み干した。


(アレって、モデルの件だよね。やっぱり……)


 次いで、「今日はマジで飲んでやる」と、言いながら立ち上がり、再度生ビールの食券を買って戻ってくると、やって来た50代前半くらいの女性店員さんに手渡し、また軽く息を零した。

 そんな横顔を見ながら、さっきの松永さんの嬉しそうな顔を思い出すと同時に、またもや心がモヤモヤし始める。

 中村さんも、あんな態度を取りながらも、松永さんのことを意識し始めているのではないだろうか。とか、考え始めたらキリがない。

 二人きりになれることもあまりないし、いつまでもこんなこと繰り返したくもない。ラーメン屋さんではムードの欠片もないけれど、今ここでってしまおうか。

 いやいや、それが出来るくらいならとっくにしている。

 バカみたいに自問自答してもしょうがないことだというのに、そうせざるおえなくて、無意識のうちに溜息を漏らしてしまっていた。

「さすがに疲れただろ。今日は真部の分もこき使ったからな」

「いえ、それに関しては全然なんですけど……」

「あ? またなんか悩みでもあるのか?」

 視線を感じてゆっくりと合わせてみる。

 悩みだらけですよ。あなたのせいで。と、目で訴えてみた。でもそれが、きっと中村さんには拗ねて見えたのだろう。

「さっきの修正部分、俺も変えないほうがいいと思った。お前の考えは正しいと思う。だが、冬夜の回想シーンを大事にしたいという、長谷部監督の意図も分からないでもない」

 いつものように、私の短所を的確に指摘し、長所を広げてくれる。

 大概の人がお腹に溜めて愛想笑いをする中で、常に中村さんだけは、ストレートに気持ちをぶつけてきてくれた。

 でも、私の悩みは仕事のことではなく、プライベートなことであって。

「そのこともあるんですけど、そうじゃなくて……」

「じゃあ、なんなんだ。さっきの溜息は」

 今度は、少し呆れたような視線を受け、更に萎縮するように背中が丸まっていく。

「えっとですね……」

 と、そこへ、「生、お待たせしました!」と、今度は高校生らしきニッコリ笑顔の男性店員さんがやって来て、泡たっぶりのジョッキを中村さんの手前に置いた。

 さっきと同じように、運ばれてきたばかりのジョッキの腹の部分を掴んで、また喉を潤し始める中村さんを横目に、私は空ジョッキをその店員さんに手渡した。


(うぅぅ。やっぱり言えないよ。本人を目の前にすると無理なんだってばぁ……)


「どうしていつも、そんな風に不機嫌そうなんですか?」

「あぁ? 今更なに言ってんだ」

「あはは、確かに今更ですよね」

 スマホをチェックする中村さんの、無愛想な横顔を目にして、やっぱり顔が引き攣ってしまう。


(ダメだダメだ、こんなんじゃ。成瀬くんからも、何度も勇気を貰ってるんだから、ここで意地を見せないと……。)


「あの、私……」

 こちらを見つめるその眼差しは、「はよ言え」と、いう感じだけれど、テーブルに左肘をつき、手の平で頬を覆うようにして支えながら、私のことを気にかけてくれていた。


(うぅ、少し微睡んだような色っぽい目に吸い込まれそう……)


「お前が言わないなら、俺の方から言ってもいいか?」

「え?」


(な、何を言うというの? まだダメ出ししきれてなかったとか!?)


 そんなことを考えながら、おそるおそる俯き加減だった顔を上げる。

「お前、好きな奴とかいるのか?」

「へっ?」

 一瞬、驚いて目を丸くした。その時、「はい、味噌と醤油、お待ちどうさん」と、二人分のラーメンを差し出してくれている店主らしき男性店員さんから、それぞれ受け取った。

 私のほうの味噌ラーメンは、定番の具が麺の上を彩っている。食べやすくカットされたキャベツ、もやし、人参などが、これでもかってくらい乗せられていて、チャーシューも含めて食べ応えがありそう。

 対して、中村さんの醤油ラーメンは、昔ながらと言ってるだけあって、メンマとチャーシューとナルトが乗っているだけのシンプルなもの。

 美味しそうな匂いに忘れていた空腹がよみがえってきて、私は目の前にあるコショウを中村さんに手渡し、その後、私も2フリしてまた定位置に戻した。

 お箸を割り、いただきます。とでも言うかのように両手で挟んで、すぐに麺から口にする中村さんをちらちら見ながら、私も同じようにして麺をすする。

 でも、正直美味しいかどうか分からないくらい頭の中は『とにかく、告え!』とか、『当たって砕けてしまえ!』と、いうもう一人の自分の声で埋まっていく始末────

「なんで、急にそんなこと聞くんですか?」

「いや、いるなら話とか聞いてやってもいいと思ったから」

「え……」

「仕事のことじゃねーなら、恋バナそっちしかないだろ」


(そうなんだけどぉぉ。これじゃあ、余計に告えなくなっちゃったじゃん。)


 そんなことを考えながらも、私は話を合わせるように繰り出した。

「じつは、去年から片想いしている人がいて、その人はとてもかっこよくて、仕事に対する姿勢が半端ないというか。その人といると楽しいし、何より安心出来るんです。きっと、あんな人は日本中、いえ世界中探しても他に見つけることは出来ないだろうなってくらい、凄い人なんです」

「へぇ、そんな漫画のメインキャラみたいな奴もいるんだな」


(って、自分がそれほどの人間だってこと気づいていないのだろうか……。)


 見れば、もう半分くらい食べきってしまっている。だから私も、負けじと麺を頬張っていった。

 しばし無言で食べ続けるも、何となく沈黙に耐えられず、少し不貞腐れたように切り出す。

「いるんですよ。そんな人も」

「ふーん」

「ふーん、って。何ですか、その気のない返事は。聞く気あるんですか?」

「それはある」

 棒読みっぽい言い方にムカッときて、私も残りのビールを飲み干した。

「中村さんの方こそ、なんで彼女とかいないんですか?」

「欲しくなかったから」

「え……?」

 食い気味に即答され、一瞬固まった。


(ほ、欲しくなかった??)


 かなりの仕事人間だから、今は要らないということだろうか。それとも、もしかして、中村さんこそ同性愛者だったりして?!と、いうのは無いとしてもだ。

 いろんな思いが頭の中でこれでもかってくらい渦巻いていて、少し混乱してしまっている。

「今は、仕事しか考えられないからですか?」

「まぁ、そうだな」

「す、好きな人もいないとか?」

 とうとう、一番気になっていた疑問をぶつけて後悔に苛まれるなか、返って来た言葉にまたもや頭を抱えてしまう。

「……いる」

「い、いる……んですか」


(そっか、いたんだ。と、いうか、いないわけないよね。いいなぁ、その女性ひと。)


 動揺を隠しきれていないのは自分でもよく分かっていた。

「どんな人なんですか? 中村さんの好きな人って」

「さっきから質問攻めだな」

「すみません……」

「一言でいうなら、俺とはで仕事人間って感じ。頑固で融通が利かないところは難だが、なんだかんだ言って頑張るその姿勢に惚れたっつーか。ま、もう好きな奴がいるらしいから、諦めたんだけどな」

「でも、まだ好きなんですよね? その人のこと」

 中村さんの手が止まる。再び、目が合ってすぐに逸らされた。

「いや、もうそうでもない。どのみち、付き合えたとしても、ろくに構ってやれないんじゃ意味ねぇだろ」

「……それもそうですね」

 なんだか、複雑な気持ちでいっぱいになる。

「仕事が彼女なんですねー。それはそれでカッコイイです」

 そう思うことはあるけれど、こんなのは本心じゃない。

 やっぱり、私が告白出来る日なんて永遠に来ないような気がする。

 付き合っている人もいないし、好きな人のことも諦めたというけれど、結局のところ、俺の優先順位は、【彼女<仕事】なのだ。と、言われたようなもので。

 やっぱりか。と、思うと同時に、厳しい現実を見せつけられた気がして、『諦め』と、いう言葉ばかりが頭の上を行き交っていた。


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