#16 自分らしく……

「あと、チョコレートも好きだったよね?」

 成瀬くんは、黒いデイバッグから私の大好物のプラリネチョコレートを取り出して手渡してくれる。

「うん。しかも、これ大好きなやつ! でも、お店はもう閉まってる時間じゃ……」

「たまたま、差し入れで貰ったやつなんだよね」

 あの後、40分くらいして成瀬くんを迎え入れた。

 今日も、黒いTシャツにデニムというラフな格好で、成瀬くんからも薄らとベルガモットの香りがする。

 稽古場の近所にあるスーパーでいろいろ買ってきてくれた成瀬くんに、私は念のためマスクをして、改めて、お礼を言った。

「こんなに沢山買ってきてくれて、ほんとにありがとう。何より、このミルクチョコは特に嬉しい」

「役に立てて良かった。ヨーグルトとかは冷蔵庫に入れてくる」

 そう言って、成瀬くんはにっこり微笑む。

「あ、私がやるから」

「いいから寝てなって」

「う、うん。ありがと……」

 レジ袋を持って台所へと向かう成瀬くんを見送って、ふと思う。初めて招いたのに、成瀬くんの、まるで昔からここに通っていたかのような対応に、私のほうがどこか他人行儀っぽいような気がすると……。

 こういうところも全然変わっていない。同い年なのに、成瀬くんのほうがお兄さんみたいな感じ。

「……というか、私が子供っぽいんだろうな」

「そうかもな」

 独り言を呟いたつもりが、戻って来た成瀬くんに聴かれていたようで、私はその返しにまたお得意の苦笑いで返す。

「成長してないってことよね」

「いやいや、そんなことないし。水野はそのままでいいと思うけどな」

 柔和に微笑む成瀬くんを横目に、私がベッド脇に横たわったままの茶色いデイバッグからお財布を抜き取り、レシートを貰おうとして、「見舞いに来たんだから、素直に甘えて」と、また制される。

「それより、熱は? 」

「今、測ってみる。寝たからか、さっきより楽になったけど……」

 枕元に忍ばせておいた体温計を脇に挟み、しばし待つ。計測完了の音がして、平熱より少し高いくらいまで下がっていたことに、少し安堵した。

「良かった。市販のお薬が効いてくれてるみたい。これなら、明日も大丈夫そう」

「行く気なのか?」

 成瀬くんは、そう言いながらソファーに腰掛けた。その問いかけに、私は笑顔で頷き返す。

「もちろん。中村さんから……あ、中村さんって私の上司なんだけど、やっと編集の仕事を本格的に任せて貰えるようになってね。それが、とっても嬉しくて」

「良かったな」

「うん。成瀬くんなら分かってくれるよね」

「分かりすぎるくらい分かる。その気持ち」

 そう言うと、成瀬くんは自分用に買ってきたカフェオレの蓋にストローを突き刺して、美味しそうに飲み始める。

「で、もしかして、その中村さんって人が水野の片思いしてる相手とか?」

「……え」

「図星、か」

「なんで分かったの?」

「すげー可愛い顔してたから」

「うっ……」

 成瀬くんは、笑いながら明後日の方向へ視線を遣る。と、何かをじっと見つめ、ゆっくりと立ち上がった。

「あれって……」

 そう言って、ソファーの傍にあるロータンスの方まで行き、いくつか立てかけられた写真立ての一つを手に取ると、「懐かしいな。これ」と、呟いた。


 高校二年の秋だった。初めてうちのバレー部が準決勝まで進めたことを記念にと、みんなで撮影したものだ。

「あの時の感動が、私の活力に繋がってるというか……」

 私がそう言いながら、成瀬くんの隣へ寄り添うように立つ。と、成瀬くんはその写真立てをまたロータンスの上に戻し、満面の笑顔を浮かべた。

「俺も」

「みんなで抱き合って悔し涙を流して……それでも、これまでやってきたことは無駄になることはない。そう、学ぶことが出来た場所だったから忘れたくなかったというか。顧問の、大竹先生の言葉が特にね」

 近い将来、社会人になったらきっと、より大きな壁にぶち当たる時が来るだろう。それでも、挫けず立ち向かえる精神力を養えるように指導してくれた。

 なにより、仲間を想い、仲間から慕われる人間に育って欲しいという先生の気持ちが、すごく嬉しかった。

「ごく当たり前のことだと思うんだけど、普段の生活の中で忘れがちになるでしょ。だから、こうやって飾っておけば、何か辛いことがあった時でも頑張れるかなって思って」

「そっか。そういうとこ、ほんと変わってないな」

 今度は、苦笑気味の成瀬くんに、私も同様に微笑んだ。

「成瀬くんの方こそ、厳しい芸能界で生きながら気取ってないところとか、全然変わってない。素直なところも」

 二人して微笑んで、また写真を見遣る。

「あの頃、水野の声援が無ければ頑張れなかったと思う」

「そう言って貰えると、素直に嬉しいかも。こんな私でも、みんなの役に立ててたんだね」

 私が呟いた。その時、枕元のスマホがお気に入りの音楽を奏でた。

 すぐにベッドに戻ろうとして、丸テーブルの脚に躓いてしまい、体勢が崩れ前のめりになって、思わず素っ頓狂な声が漏れ出てしまう。

 それはほんの一瞬だった。

 同時に成瀬くんの、「危ない」と、いう慌てたような声がして、腹部に鈍い感触を受けながら咄嗟に目をつぶって間もなく。

 どこをどういうふうにすればそうなるのか分からなかったのだけれど、私は床を背にして横たわる成瀬くんの、広い胸元に顔をうずめるようにして倒れてしまっていた。

「……っ…大丈夫か?」

「はっ! ごめんなさい。成瀬くんこそ大丈夫!?」

 咄嗟に庇ってくれたことに感謝しながらも、急いで距離を置き、力なくへたり込む私に成瀬くんは、笑いを堪えるかのようにしてゆっくりと上体を起こし、おもむろにその場で片膝を立てた。

「そそっかしいところも変わってねーな」

「一言余計なの……」

「つーか、出なくていいの?」

「あ、そうだった!」

 指摘され、スマホを手にした。その途端、プツリと切れてしまった。相手は、中村さんからで、すぐにかけ直してみたけれど、留守番電話へと繋げられてしまう。

「留守電になっちゃった……」

 思わず、溜息が零れてしまう。きっと、中村さんのことだから気にかけてくれたに違いない。

「もしかしたらさ、中村さんも水野のこと想ってくれてるんじゃない?」

「それはないよ。だって、いつも怒られてばかりなんだよ」

 私が苦笑しながら言うと、成瀬くんは、「あー、それは本気マジだな」と、困ったように微笑んだ。

「なんでそう思うの?」

「ただの勘だけど。もしも、想われてたら嬉しくない?」

「いや、でも……そればかりは無いと思う。だって、中村さんと私とじゃ釣り合わないもん」

「それは、水野がそう思ってるだけなんじゃないの?」

 そう言われて、初めて、その確率を真剣に考えてみた。けれど、やっぱり思い当たる点が見当たらないまま。

「中村さんはね、根っからの仕事人間でね。裏表なく、誰にでも平等に接してくれる人なの。それに、私みたいな未熟者より、知性溢れた女性がお似合いというか……」

「じゃあ、このまま諦めるのか?」

「え……」

「そんなの、お前らしくないんじゃない?」


(…っ……)


 私らしく……。言われてみれば、臆病になりすぎていたような気はする。だけど、やっぱり中村さんに告白するなんてことは出来そうもない。

「振られるのが怖いっていうのもあるんだけどね。何よりも、中村さんと今までみたいに接することが出来なくなったら嫌だなって思っちゃって……」

 やっぱり、何となく項垂れてしまう。

 短くも長い沈黙。先にそれを破ったのは成瀬くんのほうだった。

「じゃあさ、俺がお前に告った時、どう思った?」

「どうって……」

「迷惑だった?」

「ううん。そんなことなかったよ」

「なら、中村さんだってお前から告白されて嫌な気はしないはず」

「……だといいんだけどね」

「もし、振られたら俺が貰ってやるから」

「貰ってやるって……」

 無邪気な笑顔の成瀬くんに、私は呆気に取られながら苦笑いを返した。

 そして、「俺は、友達のままでいるつもりはないしね」と、真顔で言う成瀬くんの、どこか憂いを宿したような瞳と目が合う。


(……こんな表情かお、初めて見た。)


「俺は、水野がいい」

「……っ…」

「水野のことが好きだ」

「……私は、」

「俺の事、どう思ってるかどうかは関係ない。たとえ、お前に彼氏がいたとしても、伝えたい想いは抑えられないから」


(……それって。)


「俺がこんなこと言うのもなんだけどさ。後悔する前に、その想いだけは伝えた方がいいんじゃない?」

「成瀬くん……」

「急がなくてもいい。きっと大丈夫だから」

「……うん」

 成瀬くんの言う通りだ。

 何もしないうちから、『出来ない』とか、『無理』だとか、考え過ぎてしまうのは自分に自信が無いからで、自分の事を好きになれないのに、大好きな人から好きになって貰うことなんて出来るわけがない。

「ありがとう……。私、今度こそ当たって砕けてみる」

「砕けることは考えるなよ」

「ふふ、そうだね」


 それから、しばらくして成瀬くんを見送り、再度、中村さんにLIMEにて、メッセージを送った。

 その1時間後くらいに返信されてきた中村さんからのメッセージに、私はほくそ笑んでしまった。

「明日は念の為、休め。……か」

 要らぬ心配をさせてしまっていたみたいで、やっぱり軽く落ち込んでしまうも、先程の、成瀬くんの言葉を思い出して、自分を勇気づける。


(今は、風邪を治すことだけを考えなきゃ……)


 そう思いながらも、シーツを替え、新しいタオルケットを肩まで持ってきて、ふと、考えてしまう。

 成瀬くんは、いろんな意味で私を見守ってくれている。そう改めて感じ、尚更、複雑な想いに駆られた。


『俺は、友達のままでいるつもりはないしね』


 このままではいけない、と……。


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