#15 想い

 ───3日後。 


 Truth

 PM 5:14


 少しずつだけれど、編集作業を任せて貰えるようになったことから、ほぼ一日中編集室に籠りきりの状態が続いている。

 少し休憩しようと、カフェオレを一口飲んで、端に寄せておいた成瀬くん主演作品の台本を手に取ってみる。

 自分なりに台本を読みながら、この間、車の中で成瀬くんが私に言った台詞を見つけた。


(確か、今日から立稽古に入るって言ってたかな……)


 立ち稽古とは、本読みの段階を踏まえたうえで、台本を持ったまま共演者と動きを交える稽古のことで、各シーンごとに区切って演技するのだけれど、裏方の私からすれば、よく台本を確認しながら動けるものだな。と、ある意味尊敬してしまうほどだったりする。

 と、その時だった。

 卓上のスマホにLIMEの着信通知を受け取る。

 それは成瀬くんからで、この間買ったロールオンパフュームを、ヒロイン役の乙葉おとわさんに渡したところ、ものすごく気に入ってくれて、成瀬くんもフル活用しているとのこと。そして、最後にお礼の言葉と改めて、また食事に行こう。と、綴られていた。

 この間は、久しぶりに美味しすぎるほどのピザや、パスタ。特に大好きなシーザーサラダも、お代わりするほど食べ尽くした。

 そのせいで、ほんの少し体重が増えてしまったのだけれど、食事の間中、ずっと芝居の話を聞けたことにより、以前より集中しやすくなっている気がする。

 そんなことを考えながら、私も成瀬くんと、乙葉さんに喜んで貰えて嬉しかったこと。この間はこちらこそ、沢山ご馳走になり、ためになる話が聞けて嬉しかったことをしたためて返信する。

 すると、すぐにまたメッセージを受け取った。

『休憩時間終わり。次の稽古も頑張る』と、いう吹き出しの後に、動画が送られてきて、ほんの3分程度だったけれど、成瀬くんと乙葉さんが掛け合いをしているシーンが映っていた。

「うんうん。なんか、とってもお似合いだな……」

 そう呟いた。途端、さっきからなんとなく感じていた寒気に身震いして、思わず自分の額に手の甲を当ててみた。


(うーん。ちょっと辛くなってきちゃったなぁ。)


 そう思ったら、余計に熱っぽさが増していくような気がして、軽い貧血を覚えながらなんとか壁際にある三人掛け黒ソファーまで行って、倒れるように横になった。

 目蓋を閉じて治まるのを待っていた。

 その時、ドアが開く音と共に誰かが入って来る気配がして、そっと目を開けた。

「ちょっとどうしたの? 顔色が悪いけど大丈夫?!」

 それは、ありさと裕樹くんで、困惑したような顔で、ありさが私を見つめている。だから、私は苦笑いを浮かべながら小さく頷いてみせた。

 聞けば、二人はこれから別件で出かけることになっていて、編集室ここに忘れていた台本を取りに戻って来たのだという。

「根詰めすぎちゃったみたい。……少し休んでいれば大丈夫だから」

「ほんとに?」

 更に心配そうに言うありさの、手のひらの柔らかい感触を額に受けて、今度は少し驚愕したような息遣いを耳にする。

「これはヤバいんじゃない?」

「……そうかな」

 私が目蓋を閉じながら言うと、裕樹くんからも優しい言葉を貰う。

「早く帰って休んだほうがいいんじゃないか……」

 二人から心配されるも、残りの作業を終わらせなければいけないことを伝えた。

「私が言うのも烏滸がましいんだけどね。少しずつ、中村さんから期待されるようになってきたから……こんなことくらいでって、思っちゃうんだよね」

 無理はしないほうがいい。中村さんからも、よく言われていたけれど、私に任せてくれた仕事を途中で放り出したくない想いのほうが先立っていた。

「また仕事が終わったら連絡するから。ほんとに無理になったら、誰かに任せて帰るのよ」

「うん。わかった」

 私は、名残惜し気に編集室を後にする二人を見送り、ゆっくりと上体を起こした。

 さっきよりも、確実に酷くなっている気はしたけれど、ここで負けてはいられないと思い、気合でデスクへ戻ろうとして、やっぱり無理だと、言わんばかりにソファーへとくずおれる。

「……ふぅ。これは思ってたよりマズイ、ような」

 熱のせいか、頭痛も伴って徐々に意識が薄れていく。


(……ダメだ。一人じゃ無理みたい。)


 今、ここに中村さんがいたら、きっとまた怒られちゃうんだろうな。などと、思って苦笑いをして間もなく、また扉が開く音がして、誰が入って来たのか確認しようと目蓋を開けた。

 近づいてくる気配は、見知ったもので……。

「おい、大丈夫か……」

 こちらを見下ろしていたのは、やっぱり中村さんだった。

「す、すみません! 急に熱っぽくなって。それで……」

階下したで、上原たちと会って全部聞いた」

 中村さんは、慌てて飛び起きる私にそう言って、手にしていたミネラルウォーターのペットボトルを私に手渡し、もう片方の腕に下がっていた上着をそっと私の肩にかけてくれる。

「あれだけ無理するなと言ったのに。ったく」

「すみません。その、大丈夫だと思っていたら、急に酷くなって来て……」


(やっぱり怒られちゃった……)


 中村さんの、例の呆れ顔を前に私はいつもより落ち込んで俯いてしまう。

「なんか、いつも迷惑ばかりですみません」

「こういう場合はしょうがねぇだろ」

 膝の上のペットボトルを見ながら、さらに落ち込む私に、中村さんは、「マジで、頑張りすぎるなよ」と、苦笑を漏らす。

「今日はもう帰って休め。残りは俺がやっとくから」

「……でも、」

「頑張りたい気持ちは分からないでもないが、そんなんで良い作業なんて出来るわけがないし、ミスするのは目に見えている」

 中村さんは、それだけ言うと、今まで私が座っていたデスクチェアーに腰かけ、私が進行させていた編集と、台本の修正部分を確認チェックし始める。

 確かに、今の私では風邪をひいていなくても実力不足なのだから、とうてい、中村さんのように素晴らしい仕事が出来るわけではない。

 そんなモヤモヤ感と、もう一つの感情が湧いてきて……。

「あの、もう少しだけ……ここで、こうしていてもいいですか?」

 なんて、わがままを口にしてしまう。

 それに対して、中村さんは座ったままこちらを振り返り、少し怒ったように眉間に皺を寄せた。

「お前、ほんと頑固だな。ある意味……」

「だって、その編集を私に任せてくれたってことは、それだけ私に期待してくれたからですよね。『私にしかできないこと』なんだって、そう思えたことが嬉しかったから……。だから、最後までやり遂げたいんです」

 そして、もう一つの想い───

「それに、」

 ───あなたのそばにいたいんです。

「……なんでもありません」

 喉まで出かかった言葉をまた呑み込んだ。

 さっきよりも上がって来たであろう熱のせいで全身が震え始め、意識が朦朧としてくる。

 それを見かねてか、中村さんはまた私のところへやって来て、隣に腰かけ言った。

「いいから、今日はもう帰れ。体力が回復したら、また別件を任せるから」

「……」

「つーか、それだけじゃないみたいだな。何かあったのか?」

「いいえ。そういう訳じゃないんですけど……」

「それとも、また何かやらかしたんじゃねーだろうな」

 いつもの、あの容赦のない訝し気な眼差しを受け止め、私は気圧されながらもお得意の苦笑いを返す。

「そういう訳でも、ないんですけどねぇ」


(……最悪だぁ。自己責任だよね、これも。)


 ・

 ・

 ・


 遥香のマンション

 PM 6:13


 その後、タクシーが到着し、私は家まで付き添ってくれるという中村さんの好意に甘えた。

 こういう時に限って、みんな外出していたり、抜けられない人ばかりだったからなのだけれど、私が家に辿り着くまで献身的に接してくれたことに対して、中村さんへの想いが更に増していったことは言うまでもないことで……。

「何か食うもんあるのか?」

「はい。ミネラルウォーターもあるし、昨日のご飯の残りでお粥作れますから……」

 そこまで言って、中村さんに遮られる。

「時間的に、もう薬を飲んだほうがいい。俺が作ってやるから、お前は寝とけ」

「いえ、自分でやりますから」

「いいから、それ貼って大人しく寝てろ」


(えぇぇ、嘘でしょう?? どうしよう……)


 ベッドに腰を下ろしたままの私を残し、リビングキッチンの方へ行く中村さんの背中を見送った後、この間にパジャマに着替え、言われた通り額に冷却シートを貼りながらも、違う熱を伴って余計に顔が熱くなっていく。

 家に中村さんがいること自体がもう夢みたいなのに、食事の用意までして貰うなんて夢の中でも無かったことだから。

 時間にして15分くらいだろうか。

 お気に入りの、長方形のレトロなトレーを手に中村さんが戻って来て、上体を起こす私にそっと手渡してくれる。

「うわぁ、卵粥だぁ」

「美味いかどうかは分からないが」

 卵粥の入った小皿と、白湯だろうか。マグカップとお箸も添えられていた。

「いただきます」と、言って一口頬張る。と、たちまち卵の甘味とお醤油の香ばしさが口の中に広がっていった。


(鼻が詰まってなくてよかったぁぁ。)


「すごく美味しいです。中村さん、料理するんですか?」

「まぁ、多少はな」

「これ、お母さんの味ですよ。もしかしたら、私より上手だったりして……」

「それはないから。いつだったか、お前が作ってきたあの時の弁当、マジで美味かったし」

「……え」


(それって、ただの感想ですよね……)


 中村さんは、ベッドの横にある白い二人掛けソファーに腰を下ろすと、柔和に微笑んでくれた。

 私が風邪でダウンしているから、いつもよりも優しくしてくれているだけなのだ。と、そんなふうに自分を納得させながらも、やっぱりなんとなくドキドキしてしまう。

「羨ましいなぁ……」

 ふと、そんな言葉を呟いてしまってから、おもむろに視線を上げた。途端、中村さんのスラックス近辺からブーという鈍い音が聴こえた。

 次いで、中村さんは、少し瞳を曇らせながらポケット部分からスマホを取り出し、通話を始める。

 誰からかは分からないものの、微かに漏れ聞こえる声は女性のもので、その相手に対して丁寧に受け答えしている。

 私としては、残りのお粥を頂きながらも、話の内容はもちろん、誰と話しているのかも気になって仕方がなかった。

「分かりました。その件についてはまた検討させて頂きます」

 通話を切って、大きな溜息を零す中村さんに、私は遠慮がちに尋ねてみた。

「またトラブルですか?」

「……ああ。今回こそは断ってやる」

 その一言で、相手が松永さんであることが判明した。

 何とも、今度は雑誌のモデルにならないかと言われたのだそうだ。

「それも無茶な相談ですね」

「同業者の中には、両立させている奴もいるから。それで、俺にも振って来るんだろうけどな」

「でも、松永さんが中村さんにそういうお話を持ちかけてくる気持ちは、分からないでもないですけどね」

 何度もいうけれど、なぜ裏方をしているの?というくらいの容姿を備えているわけだし、モデルならば喋らなくてもいいわけで。

 けれど、その考えが浅はかだったと気づくまでに、そう時間はかからなかった。

 多少だけれど、モデルの苦労も知っているからだ。

 簡単にいうならば、モデルさんたちも役者さんたちと同じように、一見華やかな世界だと思われがちだけれど、いろいろなことに気を使わなければならないし、何種類ものポーズを一瞬で熟さなければならない。しかも、『そんなの無理でしょ』って思うようなポーズを、長時間確保しなければならない時もある。

 なにより、言葉で伝えられない想いを表情や身一つで示さなければならないから。

「芸能人なんて冗談じゃねぇよ」

「そういえば、裕樹くんも同じようなこと言ってました」

 いつだったか、私が冗談で俳優にでもなったらどうかと、裕樹くんに言ったことがあったのだけれど、その時も同じような返しをされたことを思い出し、自然と笑いが込み上げてくる。

真部あいつも俺と似たとこあるからな。で、何が羨ましいんだ?」

「え、あ……いえ、なんでもないです」

 本当は、中村さんの彼女になれる人が羨ましい。と、いう意味が込められていたのだけれど、それもやっぱり、言えないまま。

「そんだけ食えりゃあ、大丈夫そうだな。そろそろ戻るが、他に何か買ってきて欲しいものとかあるか?」

「いいえ。ほんとにもう大丈夫です。今日は助かりました」

「明日、無理そうなら遠慮なく休めよ」

「はい」

 事務所に戻るという中村さんに鍵を渡した後、しばらくして、玄関のドアが閉まる音と、ポストに落とされたであろう鍵の音が聴こえた。

 シーンと静まり返った部屋に独りでいることなんて慣れているはずなのに、なんだかいつもよりも心細く感じて、小さめのディフューザーに、この間、成瀬くんから貰ったアロマを使用して、カラフルに変わるライトを付けたまま、薬を飲んでしばらく眠ることにした。

 つい、そうしてしまうのは、こういう時に限って、変な夢や怖い夢を見やすいからだ。

 子供の頃からそうだった。

 早くから自分の部屋を割り当てられていたものの、風邪を引いて高熱を出した日中は、家族のいるリビングに布団を敷いて寝たりしていた。

 きっと、中村さんからは、ガキか。と、言われてしまいそうだけれど、誰かに傍にいて貰いたいという気持ちはずっと変わらないでいる。

 それでも、少しウトウトとし始めた。その時、ありさと裕樹くんと共有しているグループ専用からのLIMEメッセージを受信した。

 その後の、私の体調を心配してくれていたありさと、裕樹くんからのメッセージはいつも以上に温かくて、それだけでもほくそ笑んでしまう。

 中村さんに付き添って貰い、お粥まで作って貰ったことなどを返信すると、すぐに二人から『やったね』というスタンプが送られて来た。

 今日の収録は遅くまでかかりそうとのことで、うちには寄れないかもしれない。との配慮に、こちらは大丈夫だからと、再度返信。

 ありさからは、『ごめん』という吹き出しスタンプが。裕樹くんからは、『ゆっくり休めよ』とのメッセージを貰う。

 休憩時間が終了したとかで、またスタジオに籠るであろう二人に、『がんばれー!』の吹き出しスタンプを返した。


 ・

 ・

 ・


 二人とのLIMEを終え、眠りについてからどれくらい経っただろう。またLIMEでの受信音に目覚め、枕元の目覚まし時計を見遣る。


(20時か……)


 誰からのものか気になったけれど、熱のせいで寝汗をかいていた為、まだ少しふらつきながらも、新しい下着とパジャマに着替えてから、スマホを確認した。

 成瀬くんからの、今稽古が終わったというメッセージに私は、『お疲れさまでした』という、猫のスタンプを返信した。と、すぐに電話マークが出て、吹き出し部分に触れた。

「今日も、稽古お疲れ様でした」

【そっちもお疲れ。つーか、声が掠れてるみたいだけど……】

「あ、ちょっとね。風邪引いちゃって、夕方からずっと寝てたんだ」

 私がそう返した。途端、「今から何か買ってそっち寄るから」と、言う成瀬くんに、私はすぐに大丈夫だから。と、念を押す。

「それに、成瀬くんに移したりしたら大変だし」

【他に頼める人いるの?】

「いないけど、」

 なんとかなるから。と、また言おうとしてすぐに、「やっぱそっちへ行くよ」と、通話を切られてしまう。

「あ、成瀬くん?! もしもし?……成瀬くんだって疲れてるはずなのに……」


(そういえば、以前まえもこんなことあったね……)


 あれは高校2年の、丁度今くらいの時期だった。

 夏休み恒例の4泊5日の合宿で、学校に泊まり込みをした際、不覚にも私だけ風邪を引いて2日ほど寝込んでしまったことがあった。

 彼らのメンタル面を考えて、サポートしなければならない私が、倒れてしまうなんてと。かなり落ち込んだ。

 それでも、成瀬くんだけは休憩時間の度に保健室まで見守りに来てくれて、いろいろと世話を焼いてくれた。

 今さっきのように、私が成瀬くんに移したら大変だからと言っても、独りでいる心細さが伝わってしまっていたのか、俺なら大丈夫だから。と、言って聞いてくれなくて。私は、ついつい成瀬くんの好意に甘えてしまっていた。

「ほんと、変わらないなぁ」

 あの頃、お互いに想いを伝えていたら……。ふと、そんなことを思い、私は複雑な思いで成瀬くんが来るのを待っていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る