#14 演技?!それとも…

 ───3ヵ月後


 都内 アロマ専門店

 PM 5:23


「ここに来るの初めてだけど、来て良かったぁ。とってもいい感じ」

 お盆休み。家族揃ってのお墓参りを済ませ、久しぶりの実家で寛いでいた時だった。仕事終わりの成瀬くんから呼び出され、私は以前から気になっていた、とあるアロマ専門店に来ている。

 月日が経つのは速いもので、前回のプロジェクト終了から3ヵ月が過ぎようとしている。

 つかの間の休息後、中村さんたちの業績が認められ、新たに次期プロジェクトの参加が決定した。

 それは、5月に行われたイベントの後、二次会をした場所で話題になったあの作品で、松永さんが本格的に手掛け、成瀬くんが主演を務める映画の音響を担当することになったのだ。

 早くも今年の9月あたまから始動するそのプロジェクトは、海外にも目を向けられた作品らしく、映画監督をはじめ、役者陣やスタッフたちの想い入れは半端ない。

 和風なイメージはそのままに、多少は現代風な演出も盛り込まれてくるらしいのだけれど、今回もほぼ同じメンバーで挑めることに、私は不安を抱きながらも、嬉しく思っていた。

 ありさと裕樹くんはというと、結婚を意識したお付き合いをしていて、休日、都内を離れ、手ごろな山から挑戦し、助け合いながら互いの信頼を深めている。

 中村さんは、相変わらず誰よりも忙しい日々を過ごしており、今回のプロジェクトにかける意気込みは、前回以上に強く感じられる。

 その理由を尋ねたところ、ほぼ同じスタッフだからこそ、逆にプレッシャーがかかるものなのだとか。

 私からすれば、知っている分やりやすいのではないかと思ったのだけれど、言われてみれば、これまで以上の緊張感をもって挑まなければ満足のいく結果を残せないかもしれないし、おごり高ぶれば、周りから認めて貰うことも難しくなるだろう。

 同じ相手との仕事ほど、気を使い、自社をアピールしていかなければこの世界で生き残っていくことは出来ないのだから。

 改めて、そういう世界にいることを再認識させられたというか。私も、同様に気合を入れ直し、一日も早い自立を目標に頑張ろうと思えた。

 本格的な始動は、もう少し後になるものの。それぞれが、今できることを熟していた。

 中村さんを意識し始めてから、まだこれといった進展は望めず。ありさや裕樹くんから応援されるものの、依然片想いのままだったりする。

 成瀬くんとは、交換したLIMEなどで連絡を取り合ってきた。

 今回の作品に、私たちが参加することに対して、一番喜んでくれたのは成瀬くんで、たまに役者さんたちで集まって行われる本読みの稽古場に呼ばれ、お互いに台本と睨めっこしながら、それぞれの登場人物たちの想いを詳しく確認し合ったりもした。

 主人公やヒロインたちの想いを間近で感じられれば、より良い編集に活かせると考えたからだ。

 何となく、成瀬くんの想いを知ってからは、変に意識するようになってしまったけれど、以前と同じように、活躍する彼を私がサポートしていた頃の関係は崩れていない。

「睡眠の質を上げたいなら、これ。ラベンダーか、こっちのベルガモットがおすすめだよ」

 成瀬くんと会うのはいつぶりだろう。

 芸能人には盆も正月もないと、いうのは本当で、ここのところ休み無しだったらしく、睡眠の質を高めるにはどうすればいいのかを尋ねられ、私が大好きなアロマ効果をおすすめしたところ、夕食をおごるから付き合って欲しい。と、お願いされてしまったのであります。

 今日はオフということで、普段スーツの私も、伸びてきた肩までのナチュラルボブはそのままに、白いエンブロイダリーレーススリットマーメイドスカートの上は、紺色の半袖リネンライクブラウスと、お気に入りの黒いデイバッグに白サンダルで揃えてみた。

 そして、今日の成瀬くんはというと、半袖白VネックTシャツにジーンズというラフな格好で、芸能人お得意の、黒のオデッサキャップに、丸みを帯びたサングラスという変装ぶり。オーラを消しているとでもいうか、周りはまったく気づいていない。

 けれど、スポーツで鍛えた逞しい腕と、程よい胸筋がよりワイルドさを際立たせていて、特に女性からの視線を集めてしまっている。

「水野は、どっちが好きなの?」

「私は、断然ベルガモット。人によっては苦手な香りかもしれないけど…」

 そう言って、私はオイル小瓶の隣に設置してある、肌につけても大丈夫なPulse Point(ツボ)用ロールオンパフュームの試供品を手に取り、左手首に付けてみた。

 こちらは、肌の特に温度の高い部分に塗ることでその効果を発揮する、肌に優しいアロマオイルで、プレゼントに選ぶ人も多いのだとか。

 たちまち柑橘系の清々しい良い香りが薄っすらと漂い始める。

 すぐにそれを成瀬くんに手渡そうとして、逆の方の腕を取られた。

「確かに、安らげるな。この香り」

「でしょ……」


(ち、近い……)


 私の左手首に成瀬くんの鼻先が軽く触れるほど。その距離感にほんの少し後じさりしてしまう。

「じゃあ、これにするかな」

 成瀬くんはそう言って、ベルガモットの小瓶を2つと、パヒュームボトルを3つ取って、店員さんに手渡した。次いで、プレゼント用かと尋ねられ、パヒュームボトル1つのみプレゼント用にと返答する。

 きっと、ご家族か役者仲間にでもあげるのだろう。と、そんなふうに思いながら私も一つ、自分用にと手を伸ばして制された。

「水野の分も買ったから」

「え?」

「これくらいはさせてくれる?」

「あ、うん。じゃ、お言葉に甘えて……」


(そんなに欲しそうにしてたのかな……)


「で、これってどんな効果があるの?」

「えっと、柑橘系だけじゃなくて、ほんのりとフローラルの香りも混ざっていて、シトラスとかと比べると気品があるというか……」

 と、私がそこまで説明した。その時、20代後半くらいだろうか。プレゼント用の包装をしている綺麗な女性店員さんからの一言に、私は一瞬だけれど固まってしまう。

「そうなんですよ! 彼女さん、詳しいですね」

「……え?」


(ち、ちがっ……私はですねぇ……)


「ベルガモットの精油は、紅茶のアールグレイの香り付けに使われていたり、フローラルな優しい甘さを併せ持っているので、リラックス効果は抜群なんです。不安な時や、緊張を伴う場面にも使用して頂くといいかと思います」

「あの、私は……」

 店員さんの、彼女さん発言に私だけがあたふたしてしまうも、

「そうなんですよ。彼女、結構アロマに詳しくて」

 と、成瀬くんからは、「ね」と、同意を求めるかのようなスマイルが……。

 私は顔や耳元にかなりな熱を感じながら、成瀬くんの腕を引いて店員さんから距離を置くと、小声で説明を求めた。

「いつ、成瀬くんの彼女になったのよ……」

店員むこうがそう思ってんだから、合わせておけばいいじゃん。それだけお似合いに見えたってことだろ?」

「だけど……」

 やっぱり、何かあった時の為に下手な事は言わない方がいい。そう伝えようとして、先ほどの店員さんから声を掛けられる。

 成瀬くんは、「はい」と、言ってまたレジ前まで行き会計を済ませると、またこちらへ速足で戻ってきて、小さな紙袋を胸元でほんの少し持ち上げるようにして微笑んだ。

「付き合ってくれてありがとう」

「……うん」

「というか、そんなに嫌だった? 俺の彼女だって思われるの」

 少し困ったような瞳と目が合い、私はすぐに首を横にふった。

「そういうわけじゃないけど……」

「俺は正直、すげー嬉しかったんだけどね」

「……え」

「とにかく、車に戻ろっか」

 急に腕を取られ、そっと指を絡められる。

「ちょ……っ……」

 こんなことされたら、ますます恋人同士だと思われてしまう。それに、もしもさっきの店員さんや、周りにいた人達が成瀬くんだと気がついていて、見て見ぬふりをしていたとしたら、どうするつもりだったのだろう。とか、やっぱり立場上いろいろと考えてしまう。

 成瀬くんのことを思い、手を振りほどこうとするも、力強く引かれてしまって、抗えないまま。私たちは、急いで道路パーキングに駐車しておいた車に乗り込んだ。

 木の下で日陰になっていた割に、車内は猛烈な暑さとなっていた。

 成瀬くんは、手にしていた小さな紙袋を私にそっと手渡し、帽子を脱いで後部座席に置くと、くしゃっとなった前髪を手ぐしでかきあげながら、もう片方の手でカーエアコンのスイッチを押した。そして、フロントボックスから和柄な扇子を取り出し、パタパタと仰ぎ始める。

「あちぃ……」

 今回、成瀬くんが演じることになった、主人公・橘光輝たちばなこうきは、ほとんど和装で過ごす為、お香の煙を操る際、小道具として扇子を用いているのだけれど、もう慣れた手つきで優雅に扇いでいる。

 私の方にも風を送ってくれて、その笑顔はいつもの成瀬くんで。なんとなく、私だけが気にしすぎているような気がしてきた。


(そういえば、このプレゼント用のアロマ……誰に渡すんだろ?)


 開いたままの紙袋の中身を見ながら、ふと、そんな疑問が頭を過る。

 成瀬くんは、扇子を閉じてサイドボードに置き、私の顔を覗き込むようにして言った。

「気になる?」

「へ?」

 まるで、今考えていたモノローグが聴こえていたかのような発言にまた焦ってしまって、どうしてこうも、見透かされてしまうのかを尋ねた。

 すると、成瀬くんは、「水野ほどわかりやすい奴は他にいないって」と、言って微笑わらう。

「じつは、今回共演するヒロイン役の乙葉愛海おとわあいみさんとは初でさ。さっきの説明聞いてるうちに、彼女にもって思って」

「そっか。それは良い考えだね」

「だろ? 共演中は仲良くしておかないとな」

 本気で好きにならなきゃいけないから。

 そう付け足され、つくづく俳優さんは大変だな。と、思った。

「勘違いされちゃうことない?」

「たまにね。でも、それって俺の本気が相手にも伝わった証拠だから」

 今度は、熱を帯びたような色っぽい視線を間近に、私はまた思わずサイドドアの方へ身を寄せるようにして苦笑いを返した。

「なるほどぉ……」

 確かに、甘い声であんなふうに見つめられたら、誰でもその気になってしまうだろうな。そんな風に思って、妙に納得する。

「まぁ、好きになるのは俺が演じた役であって、俺自身じゃないんだろうけどね」

「そうかもね。成瀬くんってクールな役が多いけど、素はどちらかと言うと三枚目だもんね」

「どういう意味だよ、それ……」

 何度か、成瀬くんの出演しているドラマを観たことがあったけれど、どんなシーンでも、彼らしい本気さが伝わってきた。だから、今回また中村さんと共に現場へ行き、夢を実現させて頑張っている成瀬くんを応援できることに対して、とても嬉しく思っている。

 でも、私の中では友達それ以上の気持ちは無くて。きっと、そんなこと。成瀬くんも割り切ってくれているだろうし、私が一人で無駄にあたふたしているだけ、なのだろう。

 それでも、きっと女の子ならみんな勘違いしてしまうはずだよ。そんな優しい目で見つめられたら。

「でも、さっすが俳優さんは違うよね。成瀬くんが人気あるのも分かる気がする」

「『マジで惚れたり、ヤキモチ妬いてくれていいんだよ』」

「なんでそうなるのよ……」

「お、的確な返し。『そうなってくれたら、俺としては嬉しいから』」

 ニッと笑った後、すぐに逸らされる視線。

 今の会話は、ヒロインと交わす台詞セリフの一部らしい。そう言えば、そんなシーンもあった事を思い出す。

「もう、台詞覚えちゃったんだね」

「これからもっと修正が入るだろうから、全てではないけど。主役は、座長のようなものだからさ。台詞は誰よりも早く頭に入れて、共演者みんなを引っ張っていかないと」

「そうだよね」


(気持ちに余裕を、か。やっぱり、俳優さんって奥が深い仕事だなぁ。それに、あの頃と同じだね。部活で主将キャプテンをしてた時と……)


 お互いシートベルトをして、ゆっくりと車を発信させる彼の手元や、横顔を見遣り、私もいつものように笑ってみせた。

「飯なんだけどさ。イタリアン料理、好きだったよね?」

「うん。成瀬くんも好きだよね?」

「覚えててくれたんだー」

「まぁ、ね。好きだった人のことですから……」

「また好きになってくれてもいいんですけど」

「……っ……」

「顔が赤いから、もう少し温度下げようか?」

「もう、いいからよそ見しないでちゃんと運転して!」

 そう言いながら、成瀬くんの左腕を軽く小突く。と、笑いを堪えるような息遣いがして、やんわりとからかわれていた事に気付かされた。


(どこからどこまでが演技で、本当なのか……分からないよ。)


佑哉ゆうやさんから教えて貰った店があって、そこのピザがヤバいくらい美味いから、そこにしようと思うんだけど、それでいい?」

「いいよー。久しぶりだから楽しみだなぁ。けど、吉沢さんってほんとに良く知ってるよね。そういう場所……」

「あの人は、ああ見えてすげーグルメな人だから」

「やっぱり?」

「そのへんのところも、じっくり話そうか?」

「うん。聞きたい」

 笑い合って、吉沢さんとの出会いから、面白可笑しく話してくれる成瀬くんの、楽しげな声。それは、私が好きだった頃と何も変わっていなくて。

 やっぱり、変に気遣ったり、意識し過ぎるのはもうやめよう。

 昔のように、成瀬くんを応援してあげたい気持ちだけは大切に。私はこれまで通り、成瀬くんのサポーターとして接していこう。

 実際、それが私の仕事だし、そうすることが一番なのだ、と。改めて思っていた。


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