#12 やらかしてしまいました……

 ───7ヵ月後。


 今回のプロジェクトが発足されてから、約半年が過ぎ去った。

 その間、他のお仕事もマッチングしていたことで、私達に年末年始やら、休日やらは無きに等しく、親しい友人たちの誕生日などには飲み会を開くことがあったけれど、みんな寝る間を惜しんで課せられた仕事を熟してきた。

 作品によって撮影期間は違うものの、私が関わったクランクイン後から、なんだかんだと、あっという間だった気がする。

 中村さんへの想いはというと、仕事優先のせいもあり、なんの進展もないまま…。

 クランクアップ後、編集、監督ラッシュ試写会を経て、残すは中村さんと裕樹くんの嫌がっていた新作映画の初公開イベントのみとなった。



 PM 5:24


 某スタジオ内 試写室


 五月頭にしては、汗ばむような陽気の今日。別件での仕事を終え、予定の時刻よりも遅く戻って来た裕樹くんも交え、約二週間後に迫った公開試写会イベントについてのミーティングが始まった。

 かなり広い試写室に20名以上の関係者らが集うなか、手元に配られた詳細をもとに、舞台監督さんから説明を受けたり、急遽、今回のイベントの司会を務めることになったという吉沢さんの話に集中する。

「ということで、最終確認は当日ゲネの時にして欲しい。それと、何かあったら遠慮なく俺を頼ってくれて構わないから」

 イベント慣れしているという吉沢さんの存在は、不慣れな私達にとって、まさに渡りに船ってやつで、ものすごーく安心出来た。

「だいたいこんな感じだけど。何か分からないこととかある?」

 進行台本に目を通しながら言う吉沢さんに、裕樹くんは軽く手を掲げて返答する。

「確認なんですけど、吉沢さんに呼ばれたら舞台袖から司会席へ行って、今回の見どころなどを簡潔に説明すればいいんですよね?」

「そう。紹介の仕方は二人に任せるよ」

「分かりました。また、ある程度の原稿が用意出来たらチェックお願いします」

 裕樹くんと吉沢さんの会話に耳を傾けながら、そろそろコーヒーでも用意しようとして立ち上がろうとした。途端、吉沢さんが満面の笑顔を浮かべながら言った。

「あと、営業スマイルも練習しておいてね」

「「営業スマイル?!」」

 私が、裕樹くんとほぼ同時にそう言い返すと、吉沢さんは「そう、笑顔でないと。ね、中村くん」と、言って今度は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


(中村さんには無理なんじゃ……)


 黙り込んだままの中村さんを横目に、なおも吉沢さんは楽しそうに口を開く。

「なんなら、俺が教えてあげようか?」

「……結構です」

 それは、このミーティング中で、中村さんが初めて発した言葉だった。

 やっぱり、中村さんには愛想笑いなんて難しいだろう、と思った。次の瞬間、私の隣に腰掛けていた松永さんが堂々とした態度で静かに口を開いた。

「中村さんに営業スマイルなんて似合わないし、無理だと思います。もし喋るとしても、一言くらいで良いと思うのですが」

「だったら、あまりその場にいる意味が無いんじゃないかな?」

 そんな吉沢さんからの意見に、松永さんはきっぱりと言い返す。

「いいえ。中村さんはこの作品のイメージにピッタリなので、その場にいるだけでも舞台が映えると思います。そう思いません?」

 周りにいる人たちが少しずつざわめき始める中、吉沢さんと裕樹くんが顔を見合わせた。


(中村さん……)


 一瞬、中村さんと目が合ってすぐに、その重たそうな唇がゆっくりと動き始める。

「そうは思いませんが……出来る限り、ご期待に添えるよう務めさせて頂きます」

「もしも、真部さんに何かあった場合、中村さん一人で仕切って頂く事になるので、よろしくお願いしますね」

 平常を装っているであろう中村さんの、『ったく、マジかよ』とか、『だから、やりたくねーんだって』という心の声が聞こえてきそう。

 完全に乗り気ではない中村さんに対して、そこまで言えるのは、プロデューサーならではだと思い知らされる。

 今回の作品のあらすじを簡潔に言うと、何の変哲もない剣道師範代の主人公と、スピリチュアルカウンセラーである幼なじみのヒロインは、ある日突然、互いの家族から、古より伝わる妖術師と関わりがあることを告げられる。そして、それぞれ妖術を武器とする童子たちを引き連れ、現代に蘇った悪鬼たちと戦う。と、いう和風ファンタジー映画で、20年ほど前に作られた作品のリメイクである。

 松永さんからすると、どういうわけか、その主人公のイメージに、中村さんが適役なのだとか。

 確かに、私がプロデューサーで、中村さんが俳優だったら、真っ先に声をかけているに違いない。そう思えるほど、ピッタリだと私も思う。

 でも、いくら映画の成功の為とはいえ、裏方である中村さんが務めることではないわけで、私は、とても複雑な気持ちでいた。


 ・

 ・

 ・


 ミーティング後。全ての関係者を見送った後、吉沢さんからの提案で、私たちは新宿にあるBARにて、軽めの飲み会をすることとなった。

 メンバーは、吉沢さんと私。中村さんと裕樹くん。そして、ありさにも連絡を取って駆けつけてもらった。

「えー、ようやく編集も完成となり、あとは試写会イベントと、公開を待つばかりとなりました。とりあえず、いったん何もかも忘れて今夜は楽しもうってことで、乾杯!」

 裕樹くんの一声に、みんなでグラスを合わせながら労いの言葉を掛け合い、吉沢さんが前もって頼んでおいてくれた料理が、テーブルの上を彩り始める。

「せっかくのお誘いだけど、このまま寝落ちしそうだな。オレ……」

 私の隣、裕樹くんがソファーに背を預け、眠そうに呟いた。

 店内は、薄暗く壁のそこここにある大きな水槽の中で熱帯魚たちが優雅に泳いでいる。という、とてもお洒落な雰囲気で、ベージュ色の麻のカーテンで仕切られた丸テーブル席は、まるで密室のよう。

 そんな熱帯魚たちを見ていると、確かに、リラックスして眠くなって来そうだ。

「女性陣が喜ぶと思ってここにしちゃったんだけど、男性陣は串焼き屋の方が良かったかな?」

 吉沢さんが苦笑しながら言うと、串焼き大好きな裕樹くんが食いつくように上体を起こしながら言った。

「いっすね~。俺、大好きなんですよ串焼き。この辺で串焼きの店っていうと、『遊』ですかね?」

「あそこの串焼きは美味いよね。俺も好き」

 吉沢さんと裕樹くんが串焼きのことで盛り上がる中。中村さんは、ビールを飲み干し、人参スティックに手を伸ばした。

 と、美味しそうなカルパッチョをつまんで幸せそうなありさからも、改めて、お疲れ様でした&激励の言葉が、裕樹くんと中村さんに向けて送られる。

「ここまで、ほんっとうにお疲れ様でした!特に、中村さん。裕樹から愚痴を聞かされる度に、いつもよりも大変なんだろうなって思ってたから」

「おいコラッ、いつ俺がお前に愚痴を言った」

「あれ、愚痴じゃなかったんだ?」

「お前なぁ……」

 澄まして言うありさのペースにハマり込んだ裕樹くん。この二人のテンポ良い会話は、何となく、私にとって癒しみたいなものかもしれない。

 再びやって来たウエイターさんに追加の飲み物を注文し、新たな料理に手を伸ばしつつも、仕事の話は尽きなくて、気が付けば時刻は23時を軽く回っていた。

「話しに夢中だったから気付かなかったけど、もうそろそろ帰らないとな」

「そうねぇ。まだ話していたいけど……」

 スマホを見ながら呟く裕樹くんに、欠伸を堪えながら言うありさ。

 普段なら解散にはまだ早い時刻だけれど、疲れがピークに達していた私達にとってはもう限界という感じで、〆の言葉も裕樹くんにお願いして、私たちはそれぞれ帰宅することとなった。

 まず、裕樹くんとありさの乗ったタクシーを見送り、次に吉沢さんを見送る。

 最後に、私と中村さんがタクシーを捕まえて、まずは私の家へと向かうことになったのだけれど、先に乗り込んだ中村さんは、膝の上にノートPCを広げ始めた。

 時折、街灯の白が中村さんの手元を明るく照らす。ふと、視線を上げると、中村さんの、少し微睡んだような瞳と目が合った。

「何か言いたそうだな」

「その……なんていうか。今まで、本当にいろんなことがあったなぁ。と、感慨深く思っていたというか」

 入社してからこれまで、常に中村さんを目標にして頑張って来た。

 誕生日を祝って貰ったあの日から、私の中で何かが変わり始め、その後すぐに目標の一つである、中村さんたちの補佐を担当し、更に成長することが出来た。

 怒られる回数が減ってきたことで、自信にも繋がった。

 なによりも、沢山の人と関われたことによって改めて、この仕事の必要性を思い出させて貰えたような気がする。

 初めてのことだらけで不安は尽きなかったけれど、幸せな、とても幸せな半年間だった。

 それは、中村さんと一緒だったからなのかもしれない。

「あと、松永さんも言っていましたけど、やっぱり中村さんに作り笑いなんて似合わないから、スマイルは裕樹くんと吉沢さんに任せるとして、中村さんは、いつも通りの無愛想な表情かおでいた方が、逆に目立って良いかもしれないですよ」

「……フォローしてるつもりか、それ」

「ふふ、一応は」

 なにより、今は、こんな風に2人で会話出来ていることが嬉しくて、どうしたって笑顔になってしまうのは仕方の無いことであって。

「あの、中村さん……。改めて、私を補佐に選んでくれて、ありがとうございました」

 素直な気持ちを伝える。と、すぐに頭上に優しい温もりを感じた。中村さんの、大きな手のひらから伝わる微熱が心地良い。

「まだまだだが、思ってたより戦力になってた」


(……っ……)


「これからも、こき使ってやるから、覚悟しとけよ」

「はい。期待に応えられるように、頑張ります」


『水野はそのままでいい。これからも、俺がフォローしていくから』


 ふと、あの夜の優しい声と頼もしい言葉を思い出して、ほんの少し胸が熱くなる。

 もしかして、ずっと私のことを見守り、鍛えてくれていたのだろうか。

 そんなことを思い、勝手ながら意識してしまう。

 不意に、頭上にあった温もりが、右頬にまで落ち、耳元にもしなやかな指先の微熱を感じて思わず肩をすくめた。

「……これまで通り、頼ってくれて構わない」

「え、あ……はい」

「少しでも分からないことはそのままにしないで、俺か真部に訊けよ」

 すぐに離れていく温もり。

 コホンと、軽く咳払いをしてすぐにまたPCの画面に視線を戻す中村さんの横顔を見つめながら、私は半端なく続いているドキドキを必死に抑え込んだ。


(なんだったんだろ。今の……)


 触れられた部分の全てが熱くて、嬉しすぎて、もっと触れて貰いたいと思ってしまっている自分がいて……。

 お酒の勢いもあったのかもしれない。私は、ほとんど無意識のうちに、中村さんの上着の袖口に手を伸ばしてしまっていた。

 そして、目が合った途端、これまでの想いを告げようとして言い淀んだ。


(ちょい待ちッ! いったい何を言うつもりだったんだ、私は……しかも、この手!)


 そこまでして、やっと我に返る。けれど、完全に手を引っ込めるタイミングを失ってしまっていた。


「あ、あの……その、これはつまり……違うんです!!」

 あたふたする私に向けられた中村さんの、呆気にとられたような顔を前に、「ごめんなさい!」と、やっと手を引っ込め、謝ることしか出来ずにいた。


(なにやっちゃってるんだろう……私は……)


 そんなふうに落ち込んだ。その時、ぷっと軽く吹き出す中村さんの、微かな笑い声を聞く。

「あからさまに否定されるのもなんだが。さっきのじゃ、足りなかったか?」


(……それって、私から触られても嫌じゃなかったってこと?)


 あの夜のように、今回も一部下への対応だって分かっているし、きっと以前の私なら、こんなふうに思うことはなかったはず。ましてや、その自惚れた想いを口にするなんて。

「……好きです。中村さんのこと」

「え……」

 中村さんの、微かに驚愕したような視線とかち合った。


(えっ、私いまなんて?!)


 やらかしてしまいました。しかも、思いっきり。

 お酒のせいもあるのだろうけれど、タクシーの中で、しかもこんなふうに告白をしてしまうなんて、まったくの予想外だったわけで……。

 何とかして誤魔化す為に、それはあくまで仕事上での『敬愛』である。と、苦しい嘘をついた。

「いつか伝えたかったというか! だから、その……紛らわしいこと言っちゃってすみませんでした!」

 そう捲し立てるように言うと、中村さんがボソッと一言、何かを呟いた気がした。

「え? 今、なんて……」

 それに対して尋ねる私に、中村さんは呆れたような笑みを浮かべる。

「……なにも。つーか、そんなことは分かってるし、感心それ以外に何がある」

「で、ですよねぇ……」

 短くも長い沈黙。

 何となく気まずい雰囲気のなか、ただ俯くことしか出来ない。

 中村さんの眼差しが、指先が。あの日よりも優しすぎて、つい想いを抑えきれなかった。


(呆れられちゃっただろうな……きっと)


 この時の私はまだ気づいていなかった。

 中村さんも、私と同じ想いでいてくれたことに……。

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