#11 気づいてしまいました……

 某音響スタジオ

 PM 3:12


 翌日。

 編集が一段落したのは、開始から二時間程が過ぎた頃だった。

 今日は午後からの編集につき、お昼の手配は無かったものの、その代わりにお菓子などの手配を任されている。

 スタッフの方々の為に、用意した冷たいお茶を配りながら、それぞれに労いの言葉を掛ける中、まだ台本と睨めっこ中の中村さんにも、お茶を届けようとした。その時、反対側からすっと伸びて来たコーヒーカップを目にして、思わず手を止めた。


(あっ……)


「淹れたてコーヒー、どうぞ」

 松永さんからコーヒーを差し出された中村さんは、迷わず私が持参した小さめの白い湯呑を手に取り、一気に飲み干してトレーに戻すと、薄らと微笑みながら、「お疲れ様でした」と、言ってブース内を後にした。


(あれは、きっと……ものすっごく疲れているに違いない。)


 どうしてそう思うかっていうと、中村さんは、疲れが溜まってきた時や機嫌が悪い時に、いつにも増して口数が少なくなるからだ。

 そして、気が付けば、松永さんと二人きり……。

 トレー上のコーヒーカップを見つめたままの松永さんを、私はすごいと思うと同時に、羨ましさでいっぱいになった。

 それだけ、中村さんとの時間を費やしてきたのだなぁ、と。

「お疲れ様でした」

「お、お疲れ様でした……」

 不意に、話しかけられ、少し素っ頓狂な声で返す。と、松永さんはトレーごと小さめのテーブルに置き、残り二つのコーヒーカップのうち一つを手にとり、その場でゆっくりと口に含んだ。

「次回もまた、来られるんですか?」

 尋ねられ、私はすぐに返答する。

「あ、はい。これから多分、ずっと……」

「そうですか」

 沈黙が流れる。私は残りのコーヒーを勧められ、ぎこちないながらも、トレーの端にいくつか転がっているポーションクリームとスティックシュガーを入れて頂くことにした。


(……?)


 ふと、視線を感じて顔を上げる。と、松永さんの少し呆気に取られたような眼が私の指先に集中していた。

 それぞれ、二つずつ入れていることに対しての、まるで、『そんなに入れるの?』とでも言いたげな……。


(だって、ブラックのままじゃ苦すぎて飲めないですからぁぁ……)


 そう目で訴えつつも、何とか乗り切ろうと無理に笑ってみせた。と、ロビーの方から私を呼ぶ裕樹くんの声がして、これから頂こうとしていたコーヒーカップをトレーに戻した。

「あの、これ後で頂きますので、残しておいて下さい!」

 私はそれだけ伝え、裕樹くんと中村さんの元へと急いだのだった。


 ・

 ・

 ・


 PM 5:06


 次の休憩中も、ブース前にある黒ソファーに腰掛け、PCを開き始める中村さんの傍には、相変わらず松永さんがいる。という、現実が肩に重く圧し掛かる。


(むぅ。私の仕事なのに……)


 そんな松永さんにやきもきさせられながらも、自分の仕事を熟していると、すぐ傍にあるロビーの自動ドアが開き、ほっそりとした長身の男性が現れた。


(俳優さんかな?)


 少し長めの黒髪を遊ばせ、白Yシャツの上に、ベージュのクルーネックニットセーターを重ね着し、黒パンツ、茶色の革靴で決めている。程よい大きさのシックなレザーバッグを持っていない方の腕には、これまたベージュのトレンチコートが下がっていて、全体的に朗らかな印象を受けた。

 辺りを見回している男性と目が合った。途端、真っ先に声を掛けられる。

「君、ここの関係者?」

「え、あっ、はい!」

 すぐに応対すると、その男性は名刺をこちらへ差し出しながら、自らを吉沢佑哉よしざわゆうやと名乗った。

 今回の作品の宣伝部として、今日から合流することになったことを簡潔に、でも丁寧に話してくれた。

「そうだったんですね……」

「あれ、俺のこと聞いて無い?」

「……はい」

「おかしいな……」

 少し困ったように微笑む吉沢さんに、また素早く応対しようとして裕樹くんの声に遮られる。

「宣伝部の吉沢さんですね。お待ちしていました」

「お、話の分かる人がいたようだね」

「真部と申します。で、あちらで台本と格闘しているのが、音響担当の中村です。これから、よろしくお願い致します」

「こちらこそ、よろしく」


(もしかして、知らなかったのは私だけだったりして……)


 自己紹介をしながら名刺交換する二人の会話を聞きながらも、ほんの少し落ち込んでいると、目前を何かが上下に動くのが見え、それが吉沢さんの、大きな手の平だと気付き視線を上げた。

「ぼーっとして、大丈夫?」

「あ、大丈夫です! すみませんっ」

 二人の視線をいっぺんに受け、どうしたって顔が引き攣ってしまう。

「あの、私は中村と真部の補佐で、水野と申します。至らない点もあるかと思いますが、精一杯、頑張らせて頂きますので、よろしくお願い致します!」

 軽く頭を下げ、私も名刺交換をしながら自己紹介を済ませた。

 今回の映画制作に関して、広報とでもいうか、宣伝部に所属している、吉沢佑哉さん。30代前半くらいだろうか。以前は、とあるプロダクションのマネージャーをしていたのだそうだ。

 初めて見た時、俳優さんかと思ったことなどを伝えると、吉沢さんはまた嬉しそうに微笑んだ。

 その時、

「佑哉さん、久しぶりー!」

 と、後方から松永さんの明るい声がして、私たちはそちらへ視線を向けた。

 こちらへやって来て、吉沢さんに軽くハグするように挨拶をする松永さん。吉沢さんも、満面の笑顔で松永さんからのそれを受け止めている。

「相変わらずカッコイイな、佑哉さんは」

「そっちこそ、しばらく会わないうちにまた綺麗になったんじゃないか?」

 きっと、とても仲の良い関係なのだろう。すこし、呆気に取られながらも、私と裕樹くんはテーブル上の、空になったコーヒーカップなどを片付け始めた。

 そうこうしているうちに、演出家に呼ばれて音響スペースへと戻る吉沢さんと松永さんと裕樹くんを見送り、私はトレーを持って給湯室へと向かったのだった。



 その後も、残りの作業は続いた。

 何度目かの給湯室で洗い物をしていた私のところに裕樹くんがやってきて、吉沢さん訪問の件を、私にだけ伝え忘れていたことに対しての謝罪をしてくれた。

 そんなこと、全然気にしていなかったし、前もってゲストが来ることを再確認しなかった私のミスであることを伝える。と、裕樹くんはまた、「ごめんな。次は気をつける」と、念を押すように言ってくれたのだった。


(もうひと踏ん張り、だなぁ……)


 この後もしっかり乗り切る為に、飲み慣れない栄養ドリンクを飲み干す。

「ぬぅ、まずぅぅ」


(よーし、残りの時間も頑張るぞぉぉ!)


 瓶を片手に気合を入れた。途端、

「俺にもくれ」

「え? あ、はい!」

 背後から中村さんに声をかけられ振り返る。と、いつもの仏頂面がそこにあった。

「あ、でも最後の一本を飲んでしまったので、急いで買ってきま……」

 私が言い終わらないうちに、「無いならいい」と、遮られる。続いて、改めて、この後の予定を簡潔に説明してくれる中村さんの話に耳を傾けた。

 そして、お互いに自分の持ち場に戻ろうとして、再度、中村さんから呼び止められ振り返る。

「それと、昨日言い忘れたんだが」

「……?」

 続きが気になって緊張する私に、中村さんは苦笑しながらも、「弁当、美味かった」と、言ってくれた。

「あ、あの……お口に合って良かったです」

「だが、これからは無理をするなよ。仕事優先で構わないから」

 そう言って、今度こそ踵を返して休憩室へと戻って行く。

「……今、弁当美味かったって言った?」


(良かったぁぁ。作ってきてぇぇ。)


 頬だけではなく、耳まで赤くなっていることが分かるほど急激な熱を感じながら、思わず安堵の息を零した。

 何故なら、初めて中村さんからお褒めの言葉を貰ってしまったからだ。

 仕事以外のこととはいえ、中村さんから褒められることが、こんなにも嬉しいものだったなんて。実感したら、余計に想いが込み上げてきて、堪えきれずにほくそ笑んでしまっていた。

 これまで抱いてきた尊敬の気持ちはそのままに。

 ハッキリと、中村さんの事を意識している自分に気づいてしまったのだった。


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