第3話

 皺が一つも無ければ汚れもない、下ろしたての純白のワイシャツの上に黒色のレインコートを羽織る。ゴードンは鼻歌を奏でながら持った手斧を、パイプに手錠で固定された部下の右腕へと一気に振り下ろした。耳をつんざく絶叫も気にせず、一振りでは斬れなかった為、筋肉や神経が千切れたビニール紐の様になっているその腕に何度も振り下ろすと、やがてぼとりと片腕が地面に落ちた。満面の笑みを浮かべながら振り返って、見守っているやけに長身の部下へと話しかける。


「あ~腕鈍ったなぁ。もう少し若い頃なら一発で落せたんだけど。もっとジム通わなきゃ。で? 何の話でしたっけ、署長さん?」


 手斧を壁を立て掛け、黒色に点々と深紅色が飛び散っているレインコートを脱ぎながら、顔面蒼白で口元をハンカチで押さえている警察署長にゴードンは尋ねる。署長はぼそぼそと微妙に聞き取りづらい声で答える。


「そ、そのですね……。う、うちの部下とゴードンさんの……」

「え? 何ですか?」

「そ……想定外のトラブルが起き、まして……つきましては、その……」


 わざとらしく馬鹿にする様に、耳に片手を当ててゴードンは署長に聞き返す。萎縮して押し黙ってしまう署長に小さくため息を漏らすと、アレックス! 要約して。と長身の部下に頼む。長身の部下、もといアレックスが頷いてゴードンに事の次第を説明する。


「件の不良警官、奴にヤクだけでなく飼っている子供も売ろうとしてたみたいです。恐らくジョニー達がその子供も一緒に奪おうとして、最終的に内輪揉めになり殺しあったのではないかと」

「……どうも腑に落ちないんだよね。だってあの二人だけでなく、警官も奴も全員死んでたんでしょ。アランとミッシェル以外。で、ミッシェルは?」

「捕まえましたが、終始うわ言とショックによる怯えで、まともに事情を聞き出せません」

「使えないなぁ……」


 ゴードンの張り付いた笑み、の口元が一瞬だけ硬くなる。細目は笑ったままだが声のトーンをだいぶ落としてアレックスに尋ねる。


「……アランはどこにいる?」


 アレックスは気まずそうに人差し指であごを掻きつつ、誤魔化さずに答える。


「……逃げました。その子供を攫って。今行方を追っていますが、まだ捕まっておりません」


 その報告を聞いて、ゴードンはしばらく何かを考えているのか腕組みをして背を向けた。が、くるりと振り向いてニコニコとしながら署長へと朗らかな口調で告げる。


「んー、それじゃあ署長さん。今回の件自体は、貴方の所の不良警官さんと、うちの馬鹿が交渉決裂して内々で殺しあったって後処理でお願いします。代わりに逃げ出したアランと子供については、私達で何とかしてあげますから。いいですか~?」


 ゴードンの提案に、署長はありがとうございます……! と、ぺこぺこと何度も頭を振りながら、引き上げていく。アレックスからオーダーメイトの高級スーツを受け取り、下からボタンを丁寧に一つづつ嵌めながら去っていく背中を嘲笑いつつゴードンは言う。


「にしても警察署長の癖にあの狼狽っぷりはないね。どうせただの銃撃戦か何かだろ? 青ざめちゃってまぁ」


 そう言うゴードンに対し、アレックスは懐からスマートフォンを取り出して見せてきた。指先でスライドしていくと、そこにはあの部屋の惨状が、スプラッター映画の撮影現場かと錯覚するのも仕方がない程の地獄絵図が鮮明に記録されている。その光景を興味深げに眺めながら、ゴードンはアレックスに命ずる。


「……アランはもう良いや。見つけたら処分。だけどこの子供は殺さないで無傷で連れてきて。使えそうだから」


 力強く畏まりましたと返答すると、アレックスは早足で部下を引き連れてアラン捜索に出向く。スーツのポケットから煙草を取り出して一本引き出し火を点けつつ、ゴードンは誰ともなく独り言を呟く。


「いつかモノになる様、期待してたんだがな……」



「いっ……てぇ、いてて……」


 歩いている人々が誰も気に留めない、薄汚れたビルとビルの間の路地。そこに身を隠しながら、アランは痛みに身をよじらせる。必死に走った為か、右手だけでなく全身が痛くて仕方がない。深呼吸して、どうにか息を整える。


 整えた所で、街中で適当に拾ったガラス片で左手の掌を軽く切り裂く。同じく落ちていた王冠やらボルトといった小物を懸命にイメージして、硬貨へと変化させる。そうして数十枚の、なけなしの偽造硬貨を作り出した。これで食べ物や飲み物は凌げそうだ。しかしそれもいつまで持つかわからない。公衆トイレから盗んだトイレットパーパーで傷を塞ぎつつ、自宅に帰ろうとも考える。だが、ジョニーもトニーも死に、ミッシェルも行方がくらました今、俺一人でどうすればいいのかとどうしようもなく途方に暮れている。


 近くには勢いで攫ってきてしまったが何も喋ろうとしない、顔が隠れるほどに長い髪の毛の子供、アランの脳内名では――――モップと呼ぶ子供が何もせずにつっ立っている。表情も伺えない為何を考えているかもわからない。ズルズルと壁に背を付け力なくしゃがみ込んで、アランはモップに聞く。最悪な状況だが、気晴らし程度にはなるだろうと思って。


「なぁ……。お前……どこから来たんだ」


 答えない。しかしモップはアランを凝視している、様に見える。少しイラついて、アランは強めの口調で再度尋ねる。


「名前程度あるだろ、サラとかメイとかよ。なぁ、お前男か? 女か? 何で黙ってんだよ、おい!」


 だが、モップは答えない。イライラが募って頭を掻こうとして、傷口に毛が触れ顔を歪める。全く、俺の人生どうなっちまったんだとアランは空元気に笑うしかない。ずっと、堅気として生きる道みたいなのを自分なりに模索してきたが得たのはこの珍妙でマゾヒスティックな能力と、素性も得体も知れない子供との逃亡劇とは。


 昔、この能力をそれこそ見せ物として金儲けする事も考えたが、大量に抜いた血で手品を見せた所で気味悪がられるとしか思えないし、きっと化け物扱いされるから無くしたい程嫌気が差している。だからこそ、こんな事に頼る必要もない生活をしたかったのに警察にも追われてるし、組織にも帰れないしもう死ぬしかねーのかな……と脳味噌が棺桶を目指しかけたその時。アランはモップが裸足なままな事に今更気付く。近寄って出来る限り優しい声で言う。


「……ちょっと、足、足の裏、見せてみろ」


 アランがそう言うと、モップは初めて反応を見せる。ゆっくりと、細く折れそうな足を上げて足裏を見せてくれた。どちらも無数の小さな切り傷や豆が複数出来ていてとても痛々しい。きっとあの連中に裸足のまま連れ出されたのだろうと、容易に想像がつく。ここでちょっと待ってろと、アランは走り出した。数分後、戻ってくるとその手には茶色い紙袋が握られている。


「サイズ……お前に合うかわかんないけど」


 その袋を開いて取り出すと、子供靴が入っている。アランはその靴をそっと、モップの両足に履かしてあげる。推測で選んだ靴だが、奇跡的なことに足のサイズにピッタリと嵌まった。それを見て、アランはつい口元が綻ぶ。こんな事で心から嬉しくなるだなんて思いもよらなかった。見上げると髪の奥で何となく、モップが笑っているように見える。


「……顔、見ていいか。嫌なら首、横に振ってくれ」


 アランがそう聞くと、迷っているのかモップはしばらくじっとしていたが、やがて大きく頷いた。ありがとな、と前置きして、アランは前髪を掻き分ける。途端――――息を呑んだ。足裏、どころじゃなかった。モップの両目は閉じていて、左目から鼻筋を通り右目にかけて、深い横一線の傷跡が刻まれている。それだけでなく、首を触ってみるといくつもの深い傷跡が走っている。喋らないんじゃない。喋れないんだと、アランは気付いた。気付いて、しまった。


「……辛かったよな。ずっと。きっと」


 自然と、アランの両腕はモップの体をしっかりと抱きしめていた。一体どれだけの大人達の都合や欲望を、この小さい体に受けてきたのかが想像しただけで窒息しそうになる。それに、あんな場に連れ出された意味も。アランは抱きしめながら思う。この子は、俺と同じだ。何もわからないまま暴力の世界に放り投げられた、俺と。


 ずっと抱きしめられ苦しかったのか、モップがアランの肩をとんとんと小さく叩いた。あ、ごめんなと慌ててアランはその腕を離す。耳は聞こえる様だから一先ず安心しつつ、今後どうするかと思案する。とりあえず……と考えて。


「腹、空かないか。何か食べ行くか」


 と聞いてみる。モップははっきりとわかる位何度も頷く。その反応に俺もだよと言おうとした時アランの腹の虫が派手な鳴き声を上げた。恥ずかしいな、と声を上げて笑いそうになった、時。


「……え?」


 重く鋭い痛みが、背中から腹部にかけて巡る。強張る顔で背後に目をやると、アレックスがダガーナイフで、アランの背部から脇腹目掛けて容赦なく抉っていた。愕然としながら地面に突っ伏す。その横を堂々と歩いて、アレックスはモップをひょいっと軽く持ち上げると、何事も無かった様に踵を返して歩いていく。


「ま……待て、よ……」


 アランは朦朧としながらも、右手でアレックスのズボンの裾を手で掴んで止めようとするが、軽く足払いされてしまう。アレックスと入れ替わる様に止めを刺す為だろう、部下達が歩いてくる。鼓動も次第に静かになってきて、斬られた時は熱かった体が冷たくなってくる。死の淵が迫る中朦朧とする意識の中で、考えない様にしていた事が過ぎる。


 あの部屋で人を殺した犯人が誰か。そしてジョニーとトニーを生首に出来た人間は誰か。考えないようにしていた。だが、状況は物語る。どんな方法でやったのかはわからないが――――モップが、皆殺しにしたのだと。アランは身勝手にも、けれど、同じ奇妙な力を持ってしまった人間として肌で感じていた。モップは同じだ、俺と。


「駄目……だ」


 もう瞼も開かなくなる。暗闇の中、アランは自分の息絶えそうなヒュー、ヒューという息遣いだけを聞いている。しかし、意思だけはまるで。冷たくなる肉体とは反してアランの意思は燃え滾っていた。自分の望む人生は送れなかった。結局、暴力と血に塗れた生き方しか出来なかった。それでも。


「お前だけは……俺が、守る」



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