詭妄-10(眩く秘匿の円環について)

使い終わった食器を洗い、手分けをして片付ける。四セットあった皿のうち、使われなかった匙の二膳はカトラリーケースへと戻された。机を拭くペタルが話の続きを求めたので、長くなりそうだと思ったチェイスは一言断り、先に屋敷の明かりを落としてまわった。ペタルの部屋の前まで来てチェイスは一瞬躊躇ったが、一呼吸置いて、なんでもないように戸を開けた。

「……よお、ペタル、さっきぶり」

「ええ、ええ。待っていましたよー、どこまで話しましたっけ?」

部屋にいたペタルがぱっと立ち上がるのを見て、チェイスは僅かな焦りを感じた。このまま会話の主導権を握られては厄介だと思い、チェイスは無理に口を開く。

「……あー、待て、先に聞くことがある。えーと、そう、螺鈿の城だ。後継を決めるのに身内を弾くとは知らなかった。なぜ、ペタルは知っている? 医者だからか?」

矢継ぎ早にチェイスが問えば、いきなりですね、確かにそれも関係あるのですが、と歯切れの悪い答えが返る。作業机の前に立つペタルは弱ったような笑みを浮かべていて、食卓で話していたときよりもいくらか落ち着いた様子だった。


「本当のことを言うなら、医者だからということにしておきたいんですがー。城に出入りするあなたへ嘘を言ってトラブルになるのは自分も困ります。えー、えー? ……誰にも言わないつもりだったのですが、ここなら誰かに聞かれることもありませんし……チェイスには特別に教えてあげますね? 他の誰にも内緒ですよー?」

ペタルが手招くので訝かしみながら頭を寄せると、目の前の男は背を丸め、『これまでずっと黙っていましたが、自分は螺鈿城の子なんです』と耳元で言った。チェイスは言葉を反芻し、ゆっくり目を瞬く。ペタル。螺鈿城のペタル。なにも情報の増えていない告白と、決まり悪そうに微笑む顔がチェイスの頭を疑問符で埋めた。

「……それは、俺もそうだ。物心つく前に連れてこられて、独立するまであの城でずっと働いていた。……俺の事、覚えているよな? 記憶が正しければ、俺はあのころからずっとチェイスと名乗っていたはずだが。……そうだよな? 記憶に自信がなくなってきた」

チェイスが目をパチパチさせていると、ペタルは少し驚いたような顔をした。

「えー? 流石に覚えてますよー。チェイス……チェイスは外から引き入れられた組だったんですね? えーと、そう、名前も、所属も言う通りですけどー。違うんです。親元を離されたあなたとは異なって、自分には親が『いる』んですよ。誰の腹で育ったかまではわからないのですが。使っている名前の由来だって知っています」

誰の腹で育ったかわからない。名前の由来を知っている。ほうけたような顔でたっぷり三秒考えて、チェイスはあっと叫んだ。

「……ペタルが城主の実子だということか!? 確かにあの城の主は男だった。だから、ペタルは螺鈿城の子だと?」

「理解が早くて助かります。でももう少し声は落としてくださいねー? そうです、だからさっき『飴育ちは城主にはなれない』と言ったんです。実体験なんですよー。実際に城ではそのように扱われます、運営の実権を握ることができない側だとみて蔑まれもしますね?」

城主はある種王とも呼べる存在ですが、外のしきたりとは違うんですねー、と言葉は続く。そうしてペタルは口を閉ざし、しばし考えるような素振りを見せる。チェイスは黙って次の言葉を待った。


「……話を戻しますね? 継承には慣例があるので、さっきも言った通り、カルロは城外の人間で間違いないはずなんですよー。これはあなたを納得させるために言うみたいなものですけど、カルロがあの見た目のまま城に馴染んでいたとして、現状の暮らしに耐えられるとも思えないんですよねー」

チェイスは頷く。

「生活については同感だ。こんな平屋建ての屋敷一つが『城』など、どうかんがえてもまともじゃない。確かに螺鈿城と比べればどんな城だって狭いようなものだが。……ペタルは俺に納得させるために呼んだのか? カルロが平民生まれだということを? ……それならペタルは、あの男とどこで出会ったんだ?」

「なんでしょうね?ともあれ、城の知り合いではありませんよ。二年位前にカルロから医院に手紙が来たんですねー。人間の生殖について知りたいって……」

言ってから、ペタルはあからさまに顔をしかめた。言わなくていいことを言った、という顔と、『生殖』のワードはチェイスにあらぬ想像をさせたが、一瞬だけ覗いたペタルの苛立ちがチェイスの口を縫い付けた。ひりついた空気の中、言えることのなくなったチェイスは話を逸らす。


「……なら、あれは依然、出所不明だということだ。結局、ペタルは何がいいたかったんだ? 話の終着点はどこだ?」

チェイスが言えば、ペタルはちょっと首を傾げ、そうですねー、と言った。

「私たちの間にはさまざまな事情があります、あなたが術士という属性そのものを嫌うことも、カルロがああいうふうなのも、一朝一夕にどうにかなる話ではありません。でも、そうですね? 自分は、うまいこと利害を調整してやっていけたら良いなと思っているんですよー」

自分はこの暮らしをそう悪いものだとは思っていないのでー、とペタルが言ったのでチェイスは少し変な顔になった。カルロから酷いことをされているのではないかと疑っていた手前、この発言は少し、不審だった。

「……悪くないって、それは螺鈿城にいた頃よりもか?」

「えー? そうですね、もう少し諸々の風向きが良くなれば文句はないんですけどー。この頃はとくに酷い有様じゃありませんかー?」

何が楽しくてこんな暮らしをしているんだという問いは、どこか掛け違えたような答えの元に一蹴された。釈然としないながらもチェイスは頷く。

「そこに関しては同感だが……」



言葉が途切れ、沈黙が降りる。喋りもしないくせにじっとこちらを見てくるペタルの視線がどうにも厭わしかった。

「なにか言いたいことがあるのか? 黙ったままそうも見られると気分が悪い……」

「ああ、すみません。えーと、気を悪くしないでほしいのですが。チェイスは……鍛冶屋でしたね? ちょっと伺うんですがー。近頃、仕事はしているんですか?」

出し抜けに差し出された問いに、チェイスは一瞬固まる。

「俺がサボっているといいたいのか? 俺だっていつも屋敷にいるわけじゃないが、それは営業をかけているからで……いや、ペタルは会計帳簿を見ているんじゃないのか? カルロほどではないが、俺だってかなり働いている……」

この間一緒に刃を研いだのは何だったんだよ、と反射的に叫びそうになる。混乱しながらも言い返せば、ペタルは驚いたように目を見開く。その表情は次第に困惑へ染まっていった。

「え、ええと。ここでの労務のことではなくですね。城と外とを繋ぐ役目として特例的に城外の拠点を持たされるんでしょう、そちらの責務はどうしているのかと思いまして……」

この返事には、チェイスが驚かされた。外に拠点を持つ故に鍛冶屋の身分は序列が低く、城の動向に大きく関わることができない。それはチェイスがこれまで幾度も直面してきた現実だ。閉鎖空間が常である城の内部で、自分の役目が先鋭化する思想や血を薄めるために設けられた安全マージンだとチェイスは知っている。どこへでも行けるように見えて、その実、尻尾切りの手駒に過ぎないことも。

だがそのことをペタルが明言するというのでは、話が少し変わってくる。チェイスは動揺を隠すために、眼鏡を押し上げた。


「……知っていたのか?」

「ややこを診るのも取り上げるのもお医者の仕事でしたのでー? あなたが、役目を不満に思っているらしいことも薄々感づいてはいましたがー」

思いも寄らない言葉が飛び出し、一気に汗が噴き出た。そうだ、『仕事』の中には『それ』も含まれていた。

「待て待て、なにを、どこまで知っている。事と次第によっては、俺はペタルに口止めをしないといけなくなる」

「え、えー? そうですね、あなたに血縁上の子が複数いるらしいことくらいは? 自分も長くいたわけではないので詳しいことはわかりませんが、詳しく聞きたい話でもないでしょうしー。あの、えーと、大丈夫ですか……? 眼鏡が随分汚れていますよ」

眼鏡、と呟き、ひったくるようにつるを掴んでシャツの裾でレンズを拭く。透明であるはずのガラスがいまは随分と曇っていた。腹立たしい。怒りによって体温が上がることも、感情の昂りが可視化されていることも、それを引き起こすのが自分の外せない眼鏡だということも。

「…………」

悪態が口をつきそうになり、唇を噛んで耐える。上目遣いにペタルを見遣れば鮮明な困り顔が視界いっぱいに映り、チェイスはにわかに正気付く。伸ばされた手が肩を退けるように押し、そこでようやくのめり込むような姿勢に気がついた。随分と顔を近づけていたようだ。ああ、だからペタルはレンズについて言及したのか、と思い、チェイスはゆっくり身体を起こす。

「……つ、追求するような真似をして悪かった。別に、それ自体はよくある話だ。多分。人に言って回るんじゃないなら気にしない」


顔を拭って眼鏡をかけ直す。息を吐いたのもつかの間、言ったことの矛盾に気がついて嫌な汗が滲んだ。これでは他に何かあると言っているようなものだ。真顔で沈黙に耐えていると、ペタルは目を二度瞬いて、話は戻りますが、と言った。

「……結局、仕事はしているんですか?」

「してない。再開した方が良いのか? 俺は御免被るが……」

「いいえ? 『役目を全う』しているなら少し診させて貰おうかと思っていましてー? 確かに大局というのはありますが、カルロの元にいるあなたが今身体を壊しては元も子もありませんのでー……どうかしましたか?」

ペタルの反応を見てようやく、チェイスは自分が目を見開いていたらしいことに気がつく。

「特には。いや、思ったのと随分違う答えが返ってきて驚いただけだ。あの地獄にまた戻されるのでないならそれでいい……」

チェイスは辟易としていた。叩かれたり、不出来を罵られることだって珍しくない。そして、自分のようなものは城の中にたくさんいた。戻りたいとは思えなかった。

「大丈夫ですよー、サイクル的にはそろそろお役御免の歳ですので」

「どうだかな……」

そこでふと、子供が嫌いだという割りにはペタルが赤子の世話をする役目に就いていることの奇妙さに気付く。だが、言ってみれば自分だって別に他者と寝るのが特別好きなわけではない。互いに損な役回りだな、と半ば呆れにも似た感情を覚えた。

「……ところで、今聞く話ではないとは思うが、俺を招いた用向きはこれで全てか?」

「そうですね? そんなところです。……チェイスの側には何かありましたか?」

「いや……」

首を振る。自分の側から言えることは何もなかった。ペタルは役割を語ったが、この身体はこごった血を薄める『だけ』に使われたわけではない。歓楽に添えるためにチェイスの見目が求められ、結実のない契りを交わしたのも一度や二度のことではない。だが、チェイスはそれを指摘されたくはなかったし、自分から言うつもりもなかった。ペタルがチェイスへ悪心を抱く謂われはないのに、どうにも身構えるのがやめられない。疑うのが癖になってるな、とチェイスは内心毒づいた。

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