詭妄-9(暗い螺鈿の接続について)

ペタルが訪ねると、カルロは部屋にいた。全ての複製達が炉に消えたと知ったカルロは、僅かに顔を歪めた。子供ができたと言った複製の言葉も、つかみ合いの経緯も説明せず、ペタルは『悪性の腫瘍ができていた』とそのようなことを言った。腫瘍とはなんだ、とカルロが言ったので、ペタルは傷んだリンゴを喩えに出し、腐食部を放っておくとしまいには全てが腐るという話をした。続けて、人間の身体には生きたままそれがおこる場合がある、と。カルロは頷き、話はそこで終いになった。

「残ったカルロは俺だけか」

「ええ、そういうことになります。怒っていますか?」

「……いや、知らせてくれてありがとう。身体に不具合が出ていたというのも、俺だけではわからなかった事だ」

少し躊躇うような沈黙の後、一人になりたい、出て行ってくれ、とカルロは言った。ペタルは頷き、部屋を出た。


◆◆◆


足音は遠ざかっていく。今しがた閉じたばかりの扉へ、カルロは怖れるような目を向けた。一緒になって増やしてきた複製はいまや一つたりとも残っていないというのに、そこに寂しさの一つも感じていないようなペタルが怖かった。ああ、でも、それはおそらく、自分が全ての発端なのだ。カルロという存在こそが、善良で親切だったペタルを損なってしまった。


用途のなくなった牧杖を握り、カルロは自己をかえりみた。空にも居れず、人にも馴染めず、恩義のある他者までもを不可逆に変容させてしまった己を。上にも下にも指揮するものはなく、がらんどうの部屋は一層寒々しい。


まったく、なんという罰だろう。カルロは不死をもたらす指輪に手をかけてゆっくり回す。脳裏によぎったのは老いと死だ。魔術によって止まっていた時間がもとあったように動き出せば、人の活動可能期間はあまりにも短い。一瞬とも見紛うような盛りの時期が過ぎ去れば、カルロはもうあの冷たい空には帰られない。故郷の空など今更どうだってよかったが、時の過ぎるまま、楔もなく、遠くへと押し流されていくのは怖かった。


先に何があるかわからない。空にいた頃のように、全てが調和へ向かうとは到底信じられない。それでも、自分にはペタルがいた。空の底で見つけた指針であり、望みを叶えようと一人もがいていた頃に運良く掴んだ一筋の希望。流れ星のような幸運だったのに、それを歪めてしまったこと、その原因が自分にあることが唯々堪えた。


カルロには社会がわからない。だが、集団の中で変容した同族がどう扱われるかなどしれたことだ。カルロはそれで空を追われた。なんと詫びれば良いのだろう。ここで俺が腹を切って、ペタルが喜ぶものだろうか。今まで迷惑をかけた分、これからは一人でやっていけると示してペタルを解放するべきではないか。チェイスは俺よりもペタルにつくことを選ぶだろう。ぐるぐると思考は巡り、それらのどれにも果てはない。


◆◆◆


食卓を囲むチェイスとペタルは、起きてこないカルロの皿を二人で分けた。

「なあ、ペタル。おまえが何をいったのか知らないが……まずかったんじゃないのか? あいつが飯時になっても寝潰れているなんてこれまで一度もなかったよな」

「いままで何度もしてきたようなことなので大丈夫だと思ったのですがー。一人か二人は毎回残していたので、ゼロになったのがショックだったのかもしれませんね? 朝になったら改めて話をしてみましょうか」

身体の大きさが変わらないような処置をしているらしいとは聞きましたが、食べないと良くないですし、とペタルは続けた。頼むぜ、と呆れたようにチェイスは言った。


「処置って言ったらあれだろ、カルロのつけている指輪。あれで気になっていたことがあるんだが」

「んんー? いつになく真剣ですね? 指輪がどうかしましたか?」

「俺はいつだって真剣だ。……不死の指輪を左手につけていただろ。あれはペタルの手引きか? あの年頃の……違うか、ああも術士社会に疎い人間では持つもの使うのも苦労するような品だ。どこから持ってきたんだ」

「どこからって言われましても、魔術素養のあるカルロが金物屋で拾ってきたんですよ。それ以上のことは自分にはちょっと。実を言うと何がどれの指輪かもわからないんですよ、チェイスはわかります?」


チェイスは信じられないようなものを見る目でペタルを見返した。ペタルは視線をものともせず、千切ったパンを砂糖入りの茶で流し込んでいる。

「ペタル、もしかして……いや、もしかしなくてもだ。おまえ、魔術の体系的な知識が全然……なかったりするのか。記譜の話をしたときにぼけっとしていたのもそういうことか?」

「キフがなにかはわかりませんが、『お祈り』くらいはしますよ。自分はお医者ですからね。髪を伸ばしているのだってそのためです」

うわ、と声が漏れ、チェイスは背に鳥肌が立つのを感じた。『お祈り』とは、つまり現実干渉魔術のことだ。それは人命を喰らって走る魔法。作為と犠牲によって開かれる不当な短絡路。供物を捧げる、お伺いを立てる、血に濡れた古い手続きによって、人の身に過ぎた願いは聞き届けられる。だが、この言い方ならこいつはおそらく『それしか知らない』。ふと気がついて、チェイスは訊ねた。

「その話だが、ペタルは、中央にいる当代の女王を知っているか」

「……? 知っていますけど、今の話とどういうつながりがー?」

返事を聞いて、チェイスは顔をしかめた。

「女王が『翠玉の城』と呼ばれていることは? 中央地区にそびえる議会の塔は城に喩えられるが、あそこではあれが城主だ。前に、中央造幣局から出る翠玉貨には損壊に重い罰があると言ったな。あれは表面を削れば天罰が下り、鋳つぶした人間がいれば対価に財を根こそぎ奪うという代物で、それには『お祈り』が関係しているという話がある。……数年前あった『事件』はそれの関係だという噂もな」

急にあれこれまくし立てたからか、ペタルはあまりわかっていないような様子で頷いた。

「そうなんですね? 事件の話は聞きましたが、硬貨の件は初耳ですねー」

「おまえ、嘘だろ…… それでも城の人間か?」

チェイスは眉間を抑えてため息をつく。同じ城で育ったから、前提は共有されているものだと思っていた。だが、問い質せばこうだ。たしかにペタルは医療者であって鍛冶屋ではない。金属加工に縁がなければ、危機感など覚えないのかもしれない。釈然としないながらも、チェイスは閉じていた目を開く。


「色々に納得がいった。城に俺より長く居たはずのペタルでこれなら、カルロは本当に只の子供ではないということだ。両親がいるといっていたよな、親がその筋の人間だったのか?」

「違うと思いますよー。彼の親御さんは農村の労働者で、名前はゲオルグとマリア……いえ、エレンだったかもしれませんね? ともかく一般社会の人間です。城の中で生まれた人間じゃありませんよ、それだけは確かな事実です」

「何でそんなに詳しく知っているんだ、本人が言っていたのか?」

「そのとおりですよー」

チェイスは絶句した。あり得ないような仮説に肯定が返る。出自を平然と話題に出す感性は、なるほど城内では持ち得ないだろう。しかし、あの男はネクロマンサーだ。ペタルの縫った死体を連れ回すところをこの狭い屋敷の中で見てきた。平民に死体操作ができる道理はない。堂々巡りの矛盾の中に、チェイスは底知れぬ気持ちの悪さを感じる。

「……でも、いや。そうだ、待ってくれ。本人の言うことがなんの保証になる? 経歴詐称をするやつなんて術士の社会にはごまんといる……」

スープ皿をかき回してチェイスは反論を練っていたが、結局言えたのはそれだけだった。

「自分の生まれを低く見せることに何の得があるって言うんですかー? それに、チェイスは知らないんです? 城生まれは城主にはなれないんですよ」

隙のない正論が飛んできて、チェイスはぐっと詰まった。だが、問題は後半だ。城生まれは城主にはなれない。ペタルの言ったことを反復したが、チェイスには主張の核が掴めなかった。

「……城主になれないってどういうことだ?」

「言葉通り、城の中で生まれた人間は城の主になることができないという意味です。外のしきたりでは血統や氏族の繋がりによって継承権を付与しますが、あれは外に特有のやり方なので。この慣例には二つの目的があります。一つ目は、飴で育った人間に城の運営は務まらないという実利的な側面。外を知らないわけですからね。城内の調停や階級の移動ばかりに終始して、城に衰退を招くと言われています。二つ目は、血です。城には城主の血縁者も多い。閉鎖空間で交わった末の子など、血が濃くなってどうにもならない……」

甘やかな話し方さえ忘れ、ペタルは熱を帯びたように言葉を連ねる。チェイスは頷いて先を促すほかになかった。

「……それで?」

「『カルロ』はそのどちらとも違います。彼は外で生まれ、後天的に魔術へ身を染めた。これは非常に……希有なことです。彼こそ世界が必要とした、埋まるはずのないパズルのひとかけなんですよ」

声こそ落ち着いたトーンであるが、まっさらな布色の両目は奇妙にぎらついていた。口ぶりはいやにはっきりしているのに聴衆への気遣い一つも感じられないこの感じ。城にいた頃を思いだすな、と思い、チェイスはしばし在りし日の郷愁に浸った。

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