怪獣をめぐって

 夕日を受けた透き通るような銀髪が、わずかな動きに合わせて輝きながら小さく揺れる。

 そんな光の奔流から零れ落ちた粒をたたえたような瞳が今、自分の事だけを見つめている。

 そんな状況にアラトは、早くも吐き気を催していた。


 ある日の放課後。窓から夕陽の差す中で二人きりという状況は、いつかのあの時によく似ている。

 ただ一点だけ違うのは、ここがアラトの部屋だということだけだ。

 それだけの違いが、こんなにもアラトのハチノスを絞めつけている。


 いつもなら学校からアラトの家までぴったりくっついて来てたっぷりミーと遊んでいくジュンキは、委員会の仕事のために帰りが遅くなっていた。

 ヒロは元々熱心なバレー部員なので、不定期参加は当初からの決定事項である。


 結果、部活に所属していないうるちだけがアラトの家までついてくることになり、計らずも二人きりになってしまった。

 ちなみに、無口かつ無表情なうるちはかれこれ三十分ほど無言で、アラトと、アラトにじゃれつくミーをじっと見つめている。


 一方のアラトはその視線に耐えることが出来ず、たまに見つめ返しては視線を逸らし、見慣れたリビングの中をきょろきょろと見まわしたりしている。


 うるちと二人きりで向き合ってみて、改めて分かったことがある。

 やはりうるちはとんでもない美人だ。

 色素の薄さと線の細さは日本人離れしていて、見る者の意識をグッと引き付ける。


 彼女と二人きりで下校してそのまま家に招いて二人きりで過ごすなんて、学校の一部の男子、特にヒロなんかはすごく羨ましがりそうだなあ、と思う。


 しかし同時にもう一つ。

 彼女は美人だが、それ以上に変人である。


 まず無口。

 学校を出発してから並んで歩き、途中でコンビニに寄り、家に帰って来る。

 そして今に至るまでの合計一時間ほどのうち、彼女は一言も言葉を発していない。そして、ピクリとも表情を変えていないのだ。


 いつもは人と積極的にかかわりたがらないアラトだが、二人きりでの沈黙はさすがに耐えがたいものがある。


「その、大きなヘアピン?みたいなの、いつも着けてるよな?」

「大切なものだから」

「へえ、プレゼントとか……?」

「…………」


 終了。


 アラトは「どうコミュニケーションを取るか」ではなく、「ここからどう逃げるか」へと思考を切り替えた。


 この間ジュンキと舌戦を繰り広げていたのは何だったのか。

 いや、あの時も別に口数が多かった訳ではないか。

 最低限の言葉での主張を二、三回していただけだった気がする。


 アラトがうるちと少し気まずくなっている原因の、宇宙人宣言のこともある。

 結局あれは何だったんだろう。

 ちょっと痛い奴で片づけてしまえばそれまでだが、それにしては言っていたことも正論だったし。


 まあ暫定的に「宇宙人に憧れてる女の子」くらいにしておこう。アストラマンも最近はあちこちで人気らしいし。

 そんなとりとめもない思考で気を紛らわせながら、アラトはひたすら「早く来てくれジュンキ!」と心の中で祈っていた。


「私が感じていた気配は、この猫の物だったのね」

 うるちが口を開き、静かで淡々とした声が響いた。


「え、ああ、そうみたいだね」

 丁度アラトも考えていた、あの日の放課後のことを言っているらしい。


 あの時、アラトはうるちから、怪獣の気配がすると言われた。

 恐らく適当なことを言っていたんだろうとは思っていたのだが、なぜ今そのことを蒸し返してきたんだろうか。


 どうだ当たっただろうとでも誇りたいのだろうか。

 しかしアラトの困惑を他所に、うるちは澄んだ声で続けた。


「でも、わからないことがある」

「え、何が?」

「私が感じていた気配は、もっと大きいものだった。そして今も、その子以上の大きな力を感じる」


 ミーを見つめるうるちの目は至って真剣で、いつもの無表情がなんとなく、険しくなっているように見えた。


「その子が見た目以上の力を持っているのか。このあたりにもっと大きな怪獣が潜んでいるのか、それとも」

 うるちはそこで言葉を区切り、アラトへと視線を移した。


 宝石のような瞳から発せられる、冷たく真っ直ぐな視線とその圧に射すくめられ、アラトは一切の身動きが出来なくなる。

 ローテーブルから上半身を乗り出したうるちの顔が目前に迫り、いつかの昼休みにうるちに呼び出された時のことを思い出し、「キュルルッ」という内臓の怯える声が聞こえた。あの時も、こんな、すぐにでも触れそうな距離に……。


「あなたが怪獣?」

 その一言で、時間が止まった。

 どうして?

 なんで、こいつは?


「何、言ってるんだよ」

 この子は、どうしていつもこんなことを言うんだろう?


 突拍子もなく、憶測だけで、こんな。それとも憶測じゃないのか?

 そんな馬鹿な、それじゃほんとに宇宙人じゃ……。


「人間が、怪獣になったことは、無い。常識じゃないか」

 うるちの得体の知れなさに、アラトはそれだけ言うのが精いっぱいだった。


 全身に汗が噴き出しているのが分かる。

 内臓が暴れ、瞼がピクピクと震えた。

 アラトの言葉を聞いたうるちはしばらく沈黙していたが、不意に首をかしげると


「じゃあ、宇宙人?」

 と、表情を変えないままに言ってきた。


「……俺が、宇宙人?」

 アラトは、喉の奥からこみ上げてきたものを何とか飲み込み、代わりにそれだけの言葉をようやく吐き出した。


 宇宙人、宇宙人か。

 それを聞いたアラトは、気が付けば笑っていた。

 理由は分からないが、静かに、ゆっくりと、口角が吊り上がっていくのを感じた。


 その時、部屋中にインターホンの電子音が鳴り響いた。

 ジュンキだ!間違いない!アラトは飛び上がるように立ち上がり、まっすぐ玄関のドアへと向かう。


「遅れてごめんねえ!」

 ドアを開けると、満面の笑みをたたえたジュンキが立っていた。


 ピンクや赤を中心にした色彩豊かな服装が、灰色で無機質なマンションの廊下に明るく浮かび上がり、アラトにはそれがとても眩しく見えた。


「どうしたの? 顔が変な感じで固まってるけど……」


 コートにマフラー、手袋としっかり防寒具を着けながらうっすら汗を額に浮かべているところを見ると、学校から急いで来てくれたのかもしれない。

 その見慣れた笑顔に、アラトは心底安堵した。

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