最終話 婚約破棄に感謝を込めて

 辞去の言葉を伝えたにも関わらず、サラーメは二度もスキレットに引き留められた。




 今更どうして私をかまってくるのでしょう!?

 ねぇ、どうしてなのです?

 八年前、私を殺害したいという貴方の想いを知り、婚約破棄により関係が清算されました。

 それからしばらく貴方のことが忘れられず、悲しくて眠れない夜を過ごしたのに……。

 貴方のその想いが、あの頃の私に向けられたならどんなにか嬉しかったでしょう。

 スキレット様、なぜあの頃にそれくらい強く私を求めてくれなかったのですか?




「すみません。もう……後ろ盾など得るつもりはないのです」

「そ、そうか……。だが、どういうことだ? 今宵は王族主催の第四王子様婚約パーティで、当主かそのパートナーでなければ出席はかなわない。他には俺のように王国軍の関係者かあるいは誰かの伝手が必要だ。今のお前には無理なはず……」


 スキレットは決め付けているようだった。

 この王族主催のパーティにサラーメがいるのは、伝手となる後ろ盾を得ているに違いないと。


 だが彼女の堂々とした振る舞いと赤い瞳を見た彼はハッと表情を変えた。

 後ろ盾の力添え以外に出席する方法がないと考えたのは、間違いだと気付いたからだろう。


「ま、まさか伝手ではなく、お前のことをパートナーとしてエスコートする者がいるというのか!?」


 昔愛したスキレットに今の自分をさらけ出すのを避けたかったサラーメは、冒険者としての任務を伏せたまま、エスコートに関する事実のみを端的に答えた。




「本日私をエスコートしてくださったのは、プレシオス・ド・エンツォ様です」




「エ、エンツォ家! プレシオス様だと!? こ、公爵家ではないか!? し、信じられん」

「本当でございます」


「いや、にわかには信じられん。どうして平民同然の暮らしをしていたお前が、王族の親類に当たる公爵家の令息からエスコートを受けるのだ?」

「本当でございます」


 信じられないと驚き唖然とするスキレットと、あくまで冷静に自分の主張を繰り返すサラーメは対照的で、彼の取り乱した反応と彼女の貴族らしい振る舞いの対比が、この様子を遠目に眺めていた令嬢たちには滑稽に映った。


 まるで言い合いのような状況に興味が引かれたのか、一人の令嬢が動いたのを切っ掛けに、私も私もと三人の周りに集まってくる。

 そのうちの一人が我慢できなくなったのか、場の空気へ乱入するように話し掛けて来た。


「ファブリアーノ様って、もしかしてスキレット様の元婚約者で魔法学園に通われていました?」


 話し掛けて来た令嬢はサラーメと同年齢で、集団の中では年上のリーダー格であった。




 か、彼女は……クロスティーニ伯爵令嬢。


 私のことを覚えているのですね。

 気付く人がいるとは想定していましたけど……。




「確かに私は魔法学園に通っていました。そして学園の中庭で、スキレット様から市井の噂を根拠に婚約を破棄されましたの。それからすぐに魔法学園を退学しましたわ」

「まあ!」


 口を挟んだクロスティーニは、やっぱりと大げさに口を両手で抑えて驚いた後に目を細めた。


「あのときは皆して、あまりに理不尽な態度を取られるスキレット様に呆れましたのよ。たかが平民が好き勝手に語る噂を本当と信じて鵜呑みにして、大切な自分の婚約者を疑うだなんて」


 それに呼応した周りの女性が、スキレットの所業は酷いと口を揃えて言い出した。


「あれは酷かったですわ。スキレット様はわざわざ第二王子のノバルティス様に立ち会いまでお願いして。あのときのファブリアーノ様はただ黙って耐えていらっしゃいました」

「わたくしが入学する前にそんなことがありましたの? よかったですわ、わたくしの婚約者がそのような短絡的な人でなくて」

「本当に災難でしたこと。でもファブリアーノ様にはもっと素敵なあの方がおられますものね。そのスキレット様という酷い方より、あのお方がお似合いですもの」


 彼女たちは、サラーメがプレシオスのエスコートを受けているのを知っていた。

 なぜならつい先程まで、プレシオスのファンである彼女たちが、入場した二人を取り囲んでいたからだ。


 最初は彼女たちもあこがれのプレシオスからエスコートを受けるサラーメに嫉妬を燃やしたが、赤いドレスを身に纏い貴族令嬢として見事な振る舞いを見せられたことで、すぐに彼女のことを敵に回すべきではないと判断して、味方側に立ち位置を変更していた。


 周りの令嬢たちのおしゃべりは、どんどん加熱していった。

 過去のサラーメを知っている者はその頃を思い出してはスキレットの酷さに憤慨して女の敵だとののしり、その頃を知らない若い令嬢たちは見たことのないスキレットがどんなに酷い人物かと想像して言い合った。


 その目の前にいる逞しい体つきの短髪の男が、スキレット本人だと、どの令嬢も気付いていないようだった。

 焚きつけたクロスティーニを除いては……。


 クロスティーニたちから自分の悪口を好き放題言われたスキレットは、下を向き黙って立ち尽くしていた。

 サラーメに執着し、再度我がものにしようとしていたスキレットは、よもやこんなに大勢の令嬢たちにサラーメの前で罵られるとは思いもよらず、ただただ悔しそうな顔をしていた。


 サラーメの方はというと、ようやく先程令嬢たちの包囲を突破できたのに、プレシオスと別行動になった途端にまた彼女たちに包囲されてしまい困り果てていた。

 彼女は同僚のレイナと顔を見合わせると、どうしたものかと表情で会話していたが、急に周りの令嬢の一人が「まあ」と声をあげた。


 声を出した令嬢の方を見ると、すぐに別の令嬢がサラーメの後方を見て「プレシオス様だわ」と声をあげる。


 サラーメが振り返るとそこには長身で青い髪の男性が立っていた。

 濃紺のジャケット上下で、両肩に白色の礼章が付いている。

 周りの貴族たちよりも二回りほど背が高いこともあって、細身のスラックスが長い脚をより長く見せていた。




 ああ、プレシオス様!


 助かりましたわ。

 これでこの包囲からもスキレット様からも逃れられます。

 ですが悲しいことに、プレシオス様が想いを寄せているのはレイナ。

 今は彼女に任せましょう……。




 サラーメはレイナに対応を任せるため、声を出さなかった。

 ところがレイナは周りの令嬢たちを見た後、黙ってサラーメの顔を見たのだった。




 気を……使われてしまいましたね。




 レイナが貴族としての体面へ配慮してくれたことにサラーメは感謝しつつも、絶対に愛しいプレシオスの気持ちを自分へ向けてみせると強い思いを込めてレイナに視線を送った。

 そしてすぐにプレシオスの方に向き直ると、片手を頬に当てて憂いの表情で語り掛ける。


「プレシオス様、少し困っていまして……」

 そう言ってスキレットの方をちらりと見た。


 状況を察したプレシオスは彼の顔を見て驚いた後、親し気に語り掛けた。


「シーズニング大尉! こんなところで会うとは驚いたな!」

「はっ。エンツォ准将もお久しぶりでございます」


 スキレットの子爵家に対して、プレシオスの公爵家という遥か格上の爵位も関係あるが、スキレットがスピード昇進した大尉という階級と、その上の少佐、中佐、大佐をも上回る准将という階級とではあまりに格差がある。

 そのためスキレットは、年下のプレシオスに対する敬語を避けられないのだろう。


「いや、今は元准将だからさ。それにしても久しぶりだな、元気にしてたかい?」

「私は元気にしておりました。エンツォ准将は最近お見掛けしませんでしたが、一体どちらへ?」


 スキレットの質問にニヤリと笑ったプレシオスはサラーメの顔を見てから答える。


「だから元准将だって。ま、俺なりに王国軍の先行きを考えてさ、魔族軍との戦争に備えて準備しているところだ。今日もその一環って訳。それとすまないけどさ、サラーメ様は俺の連れなんだ。失礼させてもらうよ」


 それを聞いたスキレットは目を大きく見開いて驚きの表情で固まった。


 魔族軍との戦争が近いという話は市井でも噂になっていて、軍人でなくても驚く内容ではない。

 それでもなお彼が驚愕したのは、別の理由だと周囲の誰もが察した。

 その理由とは、公爵家であるプレシオスがサラーメをエスコートしているという事実だ。


 サラーメは周りの令嬢たちに辞去の礼をしてから、立ち尽くすスキレットに向き直る。


「それではスキレット様。私はプレシオス様とご一緒しますので」

「……」


 令嬢たちの悪口の嵐の後に、サラーメの虚勢だと思っていた公爵令息が登場して、スキレットは完全に度肝を抜かれたに違いない。

 そして、八年前の断罪とは逆に彼の方が沈黙する羽目になった。


 そんな彼とすれ違おうと彼女はゆっくりと歩き出す。


 このままだと、スキレットが過去の行いを覆してまで、手に入れようとしたサラーメは行ってしまう。

 今を逃せば彼が声を掛ける機会は訪れなくなるだろう、そう誰もが感じた瞬間だった。


 顔つきを変えたスキレットは全ての体裁を投げ捨てたのか、焦りながらも叫ぶように語り掛ける。


「お、俺は後悔している。自分のしたことを。取り返しがつかないとは分かっている。だけどサラーメ、お前のことが忘れられない。もう一度、もう一度俺の元へ戻って来い!」


 それを聞いたサラーメは驚きのあまり歩みをとめてその場で固まった。


 そして、そのままゆっくり眼を閉じると強く口を結んで少しだけ俯いた。




 次の瞬間、彼女の頬に涙が伝った。




 サラーメは断罪され婚約破棄された後、スキレットに後悔をさせたいと願った。

 盗賊による殺害や毒殺を画策した彼に、互いに確認しあった愛を捨ててしまった彼に、ただただ後悔して欲しかった。


 彼女は別に、彼へ復讐したいだとか恨みに思うとかはなく、まして嫌ってすらいなかった。

 それは過去に愛した人を大切に想う気持ちが、ずっと変わらなかったからだ。

 ただ八年という歳月の内に、彼への愛という感情は昔の自分に託していて、とうに心の整理をすませていた。

 今の彼女の愛は、既にプレシオスだけに向けられているのだ。


 自分にとっては過去の人、それでも確かに愛したその人から自分を求める言葉を掛けられた。

 そのことに心がかき乱されたサラーメは、静かに涙を流したのだった。




 私も貴方を大切に想っています、昔も……今も!

 ようやく、私の心が通じた気がしました。

 だけど……、だけど愛を語るにはもう遅すぎたのです。


 さようなら初恋の人。




 気持ちをストレートに伝えてきたスキレットに応えるべく、彼女は頬に涙を伝わらせたまま再び彼の方に振り向いた。

 そして、優しい声で誰にも語らなかった心の内を語り掛ける。


「貴方のお陰で……、あのとき貴方が婚約を破棄してくれたお陰で、ファブリアーノ家の再興へ向けてなりふり構わず邁進してこられました。

 たとえあのまま貴族令嬢として過ごしていたとしても、迫りくる爵位収奪の嵐に対抗できず、欲にまみれた輩にファブリアーノ家を追われていたでしょう。


 スキレット様。

 ありがとう存じます。


 ファブリアーノ家の再興を成し遂げることができたのは、すべて貴方が婚約を破棄してくれたからなのです」


 真紅の令嬢は、最後に涙で濡れた頬をそのままに輝くような微笑みを見せた。

 それからスキレットへ感謝と沢山の想いを込めて淑女の礼をした後、プレシオスに手を引かれて彼の横を通り過ぎた。

 

 サラーメがすれ違う際にスキレットを見ると、彼はなんとも情けない表情をしていた。

 彼女の語った「欲にまみれた輩」に自分も含まれていると気付き、もう彼女の心はどうあっても取り戻せないとようやく悟ったのであろう。


 立ち去るサラーメの後ろ姿を見送るスキレットから、絞り出すような声が聞こえた。


「く、くそう……。

 わざわざ皮肉を言うために『真っ赤な嘘』と分かる謝辞まで言いやがった……」


 だが、サラーメの感謝の言葉は皮肉などではなく、ましてや彼女の固有魔術『赤い情報操作』が使われた訳でもなかった。


 そして残念なその呟きのせいで、彼が本当の愚か者だとサラーメはもちろん、周りの令嬢たちも完全に認識したようだった。


 なぜなら、あの感謝の言葉は大切な人へ心を込めて伝えられた、

まぎれもない『真実の想い・・・・・』だということが、誰の目にも明らかだったからだ。


 了



お読みいただき、本当にありがとうございました。

読後に少しでも余韻を感じていただけましたなら、それだけで幸せです。

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没落寸前の実家を再興するためなら、婚約を破棄を選びます。 ただ巻き芳賀 @2067610

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