第三話 真紅の令嬢への未練

 平民に紛れて市井で八年を生きたサラーメは、冒険者パーティの一員として任務達成のために今日の「第四王子婚約パーティ」に参加していた。


 でも、彼女にとって任務そのものはどうでもよかった。

 凍り付いた自分の心を溶かしてくれた彼、男性を信じる心をよみがえらせてくれた彼の役に立ちたくて今この場に立っていた。


 サラーメは会場内の離れた場所で任務をこなすその人を見つめる。

 公爵家の三男、プレシオス・ド・エンツォである。


 濃紺色の髪と瞳、長身の彼は、公爵家の令息でありながら王国軍に所属する軍人で、国王の采配に抗う貴族を排除するため、切り札となるものを探して、市井で冒険者として活動していた。


 元々サラーメは別の組織に加入して実家の再興を目指し奮闘を続けていた。

 ところが最近、ある任務が切っ掛けでプレシオスの所属する冒険者パーティに移籍したのだった。


 婚約破棄の後、平民に紛れて暮らし始めた彼女は、自分が貴族であると知られて実家に悪い噂が立たないように、服装を変え、髪型を変え、粗野な口調を身に付けた。


 そしてついに八年の歳月を経て無事、ファブリアーノ家の再興を果たした。


 婚約破棄という汚名が実家に悪影響を及ぼすことを恐れて市井で暮らしながら、陰でファブリアーノ家を支え続けた彼女だったが、願いだった実家の再興がほぼ果たせたこと、プレシオスという心惹かれる男性が現れたことで、自分を蔑ろにする生き方を変える決意をしたのだった。


 今回の任務遂行にあたり、貴族としての振る舞いができる彼女が愛するプレシオスのために、貴族令嬢として再び社交場に立つことを申し出たのである。


 プレシオスは婚約パーティに出席するためサラーメのことをエスコートしてくれたが、それはあくまで任務のためであり、そのことを彼女はもちろん承知していた。


 それでも、サラーメは感謝していた。

 たとえ任務の一環であっても、貴族の集う華やかな社交の場へエスコートしてくれた片想いの相手、プレシオスに対して。



「あ、すみませんっ」


 サラーメと同僚のレイナは、任務のターゲットである男性たちを探すため食事の並ぶテーブルへ向かっていたが、レイナが近くにいた貴族へ接触してしまった。


「すみませんお嬢様。お怪我はありませんでしたか……」


 接触した貴族から声を掛けられたので二人がそちらを見ると、かなり身体つきの良い二十五、六歳の男が立っていた。


「あ、あらスキレット様。……ご無沙汰しております」


 スキレットは、二人でいる女性の一人がサラーメとは気づかずに声を掛けたようだった。


「知り合い?」

 隣に立つレイナがサラーメに顔を寄せて小声で尋ねた。


 すると今度はサラーメがレイナに顔を寄せて小声で答えた。

「私を婚約破棄した男よ」

 それを聞いたレイナが興味深そうに男を見た。


「!? え? サ、サラーメ!? しばらく見ないうちに随分とその……雰囲気が変わったな……」

「スキレット様も雰囲気が変わられましたね」


 数年ぶりに会ったスキレットは見た目が大きく変化していた。

 あのころにあった青年特有の爽やか笑顔は、自信に満ち溢れたゆとりのあるものに変化し、貴族には少ない引き締まった体に短く刈られた髪は、荒事を頼れそうな力強さを感じさせた。


 馬車に乗り飽食に明け暮れる貴族が多い中で明らかに鍛錬を積んでいるその見た目は、八年前の同一人物とは思えないほど肩回りが大きく、もしこの会場で騒ぎが起こったなら近くに立つ警備兵よりも彼の方を頼りたくなるだろう。


 今更スキレットに未練など微塵もないサラーメは、それでもかつて愛した人が八年という歳月で別人のように男らしく変化していることから、以前の彼とは少し違うと感じていた。


「しかし、家を出て平民と同じ生活をしていると聞いていたが、よもやこのような場で出会えるとは……」


 スキレットの表情には言葉で主張する内容と異なり、美しく成長したサラーメの変化に対する驚きと興味が混じっていた。

 それは彼だけの反応ではなく、会場の出席者たちからも同様の視線が向けられていた。

 特に男性よりも見る目の厳しい同性の令嬢たちが、突如社交界に現れたサラーメの存在感の強さに驚いて遠慮をするほどで、今も遠巻きに彼女の様子を探る集団がいた。


 二十一歳になったサラーメは、赤い生地に黒のアクセントが入ったエレガントなドレスを身に纏い、ドレスを摘まんだその手は、肘まである濃く明るいスカーレットの手袋に包まれて淑女の礼すら気品に溢れていた。


 ドレスの色と同じ赤い髪は、背中まで伸びる艶やかで主張の強いロングヘアではあるが、左右から後ろに結われた小さな三つ編みが優しく柔らかい雰囲気を与えていた。


 髪の色に合わせられた赤の衣装は華やかで一見派手だが、彼女の装飾品に派手なものはなく、唯一付けている貴金属は銀の髪飾りだけだ。

 左右から後ろへ結われた小さな三つ編みを後ろでまとめるその銀の髪飾りは、中央部分に髪の色と同じ赤い宝石が嵌められていて、一際綺麗に輝いていた。


 赤い瞳に赤い唇、ドレスまで全てが赤で統一された彼女の姿は本当に美しく、周囲の空気を彼女色に染めるその立ち姿は、まさに真紅の令嬢と形容するのにふさわしいものだった。



 気品と美しさを兼ね備えたサラーメの姿に、一瞬で心を奪われたスキレットは、視線が彼女へ釘付けになった。




 こ、こいつ!

 こんなに美しくなっていたのか!




 彼はサラーメを断罪してから、二十五歳になる今日まで婚姻どころか婚約すらしていなかった。

 それはつまり、目を付けていたクロスティーニ伯爵令嬢からも距離を取られて、誰からも相手にされなくなったことを表していた。


 あの日魔法学園の中庭で、噂だけでサラーメを断罪して婚約破棄した令息として周囲に認知されてしまい、令嬢たちが近寄らなかったためだ。


 彼は人生が思うようにいかなくなり自暴自棄になって数年を過ごした。

 その頃には彼女の魔法『真っ赤な噂』の効果はとうに切れていて、爵位を得るために必須だったサラーメとの婚約を、なぜ平民の噂程度で破棄してしまったのかと後悔していた。


 そして蓄積したのは、かつて愛したサラーメへの憎しみであった。




 あいつの所為で俺はここまで落ちぶれた。

 あいつから得られるはずだった爵位も領土も泡と消えた。

 あいつを殺して伯爵令嬢と再婚する俺の計画は台無しになった。

 全て、全てあいつが悪い!

 絶対にもう一度、俺にかしずかせてやる!!




 それからというもの、何かに憑りつかれたようにサラーメに執着した。

 そして彼女を逆恨みして行動するうちに、その憎しみが愛憎へと変化していった。


 サラーメが敬愛した故ファブリアーノ男爵が軍人であったことから、男爵と同様の道を進めばサラーメが心惹かれるだろうとの下心と、一度立ち上った悪い評判も王のために命を掛けることで打ち消されるのではという目論見と、そしてあわよくば幹部としての地位を手に入れて周りを認めさせる狙いと、それらの打算を胸に王国軍の門を叩いて職業軍人になったのだった。


 得意でなかった武術に励んで体を鍛え上げ、決して甘えの許されない世界でただサラーメへの執着を糧に五年の月日を過ごした。


 そして動機はどうあれ確かな実力を身に付けた。


 彼に発現した固有魔術は身体強化に関するもので貴族には活用し難いものであったが、軍人となった彼にはうってつけの能力で、子爵家出身ということもあって五年で大尉階級にまでスピード出世を果たす。


 そんな彼の前に真紅のドレスを着て皆の視線を集めるサラーメが、気品と美しさというオーラを纏って登場したのだ。


 膨れ上がったサラーメへの憎しみと執着は、今まさに魅力的な彼女を思い通りにしたいという濁った支配欲へと変質した。


「ど、どうだ今の暮らしは? 平民と同じ生活をするのは相当に辛いものだろう。やはり、俺がいないと困るのではないか?」


 自ら婚約破棄をしているため自分の元へ来て欲しいとは言えず、なんとか彼女からそれを言わせようとしていた。



 スキレットからの意外な問いに、サラーメは少しも動揺せずにあくまで貴族らしくさらりと躱す。


「いいえスキレット様。過去の出来事の結果で平民とそう変わらない生活をする私が、高貴なあなたのそばに居るとなれば、それこそ世間の目が貴族とはかようなものかと嘲笑することになりかねません」

「そ、そうか。ま、まあそれもそうかもしれんが……」


 そう返事して彼女を見つめるスキレットは、自分が過去に婚約破棄した手前か、これ以上何も言えなくなった。

 が、それでも彼女に異常に執着するがゆえなのか、まとわりつくような視線を送ってきた。


「それではごきげんよう、スキレット様」


 スキレットの自分への執着を感じ取ったサラーメだったが、今やるべきことを思い出すと、形だけ丁寧に辞去の挨拶をして立ち去ろうとする。

 しかし、サラーメを再度我がものにしたいスキレットが、なんとか彼女を引き留めようと声を掛ける。


「お、お前の実家はどうなのだ? 今も市井で暮らしているのなら、ファブリアーノ家の現状は厳しいのではないか? 俺なら何とかしてやれるのだぞ」




 この人は私が平民同様に暮らす理由を、生活が苦しいからと思っているのですね……。




 いくらファブリアーノ領の運営管理が一時的に大変な状態になったとはいえ、サラーメが平民同様の暮らしをしなければならない程、経済的に追い込まれていた訳ではなかった。


 あのときサラーメが男爵家を出て市井での暮らしを選んだのは、女性ながらに残されたファブリアーノ家の存続を願い、自分が信頼した義弟にすべてを託すとともに、婚約破棄という汚名が実家の再興に影響しないようにと考えた上でのことだった。


「ファブリアーノ家は三年前に無事、義弟が男爵位を継ぐことができました。領地管理も軌道に乗り出したところです」


 八年という歳月を経てファブリアーノ領は昔の様な豊かさを取り戻しつつあった。

 それはこの八年間、サラーメが何とかして義弟に爵位を継がそうと奔走し、続けて訪れる親類たちの陰謀や策謀を退けつつ、領地経営のために有用な情報を実家に届け続けた結果だった。




 お父様は偉大でした。

 あれだけ広大な領地を軍人という命がけの職務につきながら、的確にまとめ上げて運営管理されていました。

 この八年間は本当に苦労しましたが、三年前に義弟おとうとが爵位を継いで正式な領主になり、ようやく領地管理が軌道に乗り始めました。


 私が目指す先は、お父様が健在であった頃の豊かなファブリアーノ領。

 あと少しであの頃に戻るのです。




 彼女は自分がなぜ家を出たのかその本当の理由を告げる必要はないと考えて、領地管理が順調であることだけ伝えるとそのまま立ち去ろうとした。


「い、いや待ってくれないかサラーメ! こ、これからまた貴族の世界に復帰するにしても、確かな後ろ盾がなければ苦労するだろう? 俺を頼れ! 今の俺は王国軍で大尉の立場だぞ! この国は何をするにも軍の権威があれば優位に立てる。俺がその後ろ盾になってやると言ってるんだ!」



次回、「最終話 婚約破棄に感謝を込めて」

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