36.たった一つの願い―yutaka

 翌日の昼の十二時に、もう一度ユタカ達はナギと密会した通路にやってきた。相変わらずの秋晴れの気持ち良い昼下がりだ。三人は昨日と同じように灰色の軍服を着ているが、公休で非番の兵士達は実家や家族の元に帰っている者が多いらしい。日中だが宿舎の周りはいつもより随分静かで、小鳥の囀る声と風が中庭の木々を揺らす音が心地よい。ナギはその辺りも考慮していたのかもしれない。


 三人は人目を気にしながら通路の鉄格子状の隠し扉を開けて中に入ると、少し進んだ暗がりに昨日と同じようにナギがいた。ナギは丸刈りの後頭部を掻きながら、よお、と会釈した。ナギは細身の黒いズボンとタンクトップの上に黒い革のジャケットを着ている。肩の怪我を目立たなくするためかもしれない。


「地位が高そうな奴の周りに重点的に聞き耳立ててたんだけど、やっぱサザはウスヴァの部屋にいるらしいな。食事も二人分運ばれてるし」


「やっぱり……ウスヴァは何を考えているんでしょう」


 ユタカが眉間に皺を寄せると、カズラが首を傾げた。


「何か考えがあるんでしょうが、あのサザがなびくとは思えません」


「そうそう! サザが寝返るはずないじゃん」


 アンゼリカが相槌を打ち、ナギが二人に頷きながら話を続ける。


「しかも今丁度、アスカ国王陛下がカーモス城に謁見に来た所だ。ウスヴァは部屋にはいないだろう。チャンスだ。この通路をそのまま奥に進んでウスヴァの部屋に入ればいい。サザをカーモスの軍服を着替えさせてしまえば、お前らの力ならもう後はどうにでもなるだろ……」


 ナギがそこまで言った時、急に通路の入り口の鉄格子が扉が開いた。


「な……」


 ユタカ達は青ざめて通路の入口の方を振り向く。そこには五人の男女がいた。皆比較的小柄で、年はナギと同じ位か。五人ともナギに近い細身のズボンに革の上着を羽織っている。真ん中の最も背の高い金髪の男が微笑んで話しかけてきた。


「よおナギ、こんなとこで何してんだ?」


 男の言葉にナギが目を見開く。しかし、それ以上に明らかに狼狽した表情を見せたのがカズラとアンゼリカだった。


「組織の……」


 アンゼリカが一言だけ呟く。


「カズラとアンゼリカ、二人とも元気そうだな。お陰様で組織も大分元に戻って来てさ。サザとレティシアに会えなくて残念だけど」


 アンゼリカとカズラが一歩後ずさった。男は口元に笑みを浮かべたまま話を続ける。


「ナギ、お前はまんまと泳がされてたんだ。その怪我のせいで油断してたな。後少しのところで残念だけど、お前らには全員ここで死んでもらうよ」


 そう言い放った男の前に、ナギがユタカ達の前に立ち塞がるようにして身を乗り出した。


「お前らの相手はこの私だ。ここは絶対に通さない」


 ナギの動きに男が目を細めた。


「ナギ。お前、手負いで俺ら全員相手出来る訳無いだろ。舐めてんのか?」


「舐めてんのはそっちだ。サザをダシにして散々騙しやがって」


「ナギ。そもそもこれはお前のの結果だ。自分の腕前を呪うんだな」


 男の言う失敗とは、ナギが赤子のユタカを殺せなかったことだ。ナギはその言葉には何も言い返さなかったが、その新緑の瞳に静かに燃える怒りの色が灯るのをユタカははっきりと見た。


「お前ら、早くサザの所に行け」


 ナギがユタカ達三人の前に立ち塞がって静かな口調でそう言うと、おもむろに腰に下げていたナイフに手を掛ける。それに合わせてユタカとカズラとアンゼリカもそれぞれの武器を抜刀した。


「一緒に戦います」


 ユタカが言うと、ナギは間髪入れずにきっぱりと言った。


「駄目だ。そんな時間はもう無い。それに、こうなったのは私の責任だ」


「でもっ……」


 アンゼリカが叫ぶように言った。ナギの言葉に渋るユタカ達に、ナギは首だけでわずかに振り向いた。通路の暗がりの中で、ナギの新緑の瞳が入口から差し込む僅かな日の光に鮮やかにきらめいた。ユタカはこの色を知っている。サザと全く同じ色の瞳だ。ナギは諭すように言った。


「私の願いはサザに会う事じゃない。サザに幸せな人生を送ってもらう事だ」


 ユタカはその言葉に込められた決意に思わず息を呑んだ。


「それが私の、たった一つの願いなんだ。お前らがサザと一緒に居てくれたらそれは叶う。だから私は、お前らを全員無事にイスパハルに帰さないと行けない」


「ナギさん……」


 カズラが絞り出すような声で名前を呼んだ。


「ほら早く!」


「……ごめんなさい」


 ナギは返事をする代わりに、歯を見せてにっと笑った。

 ユタカとカズラとアンゼリカはナギを残して、通路を奥へと全速力で走り出した。


 —


 背中を見せたナギを置いて、ユタカ達は通路を駆け抜けた。石積みの通路の上部に一定の間隔で魔術の仕掛けらしい光の松明が取り付けられていて、通路は暗がりとはいえ歩くのには苦労しない。王族が確実に逃げる時の利便性を考えた作りになっているのだろう。


「はあ……」


 三人は息を切らしてかなりの距離を走り抜けたところで、どうやら通路は最奥に行き着いたらしい。通路は右と左の二手に分かれ、階段になっている。石に小さく彫り込みがあり、右が王の間、左がウスヴァの部屋に繋がっているらしい。三人は誰からともなく分かれ道の前で床に座り込んだ。


 ユタカは自分達を行かせたナギの無事を考えずにはいられなかった。無傷ならともかくナギは手負いなのだ。いくらナギが腕が立つと言っても、同じ組織の人間ならナギの癖を熟知している筈だ。一人であの人数を倒せるだろうか。ユタカは無意識に絶望的な答えを想像してしまう自分に気がつき、振り払う様にして首を大きく振った。


「ナギさん……私が斬らなければ」


 カズラが上がった息を吐きながらそう呟いて顔を逸らすと、口を手で覆って涙を流した。カズラのすぐ隣に座り込んでいたアンゼリカが、その言葉を聞くと同時にカズラの両肩を力強く掴んで揺さぶる様にして叫んだ。


「絶対に違うわ‼︎ 何言ってんのよ! カズラはいつだって正しいのよ!」


 アンゼリカの鬼気迫る表情に、言葉にカズラは驚いた顔でごくりと唾を飲んだ。アンゼリカはカズラの肩を掴んだまま口を引き結んで、空色の大きな瞳からぼろぼろと涙を流した。二人も残してきたナギの事を考えているのだろう。

 泣きながら無言で見つめ合う二人に、ユタカにも同じように心にある不安を抑え込んで、努めて冷静に声をかけた。


「……アンゼリカの言う通りだ。おれはカズラがいたからちゃんとした判断が出来たんだ。カズラのせいじゃない」


「……ありがとうございます。アンゼリカも」


「カズラが弱気なの可笑しいからやめてよ。喧嘩になる位で丁度いいわよ」


 アンゼリカがごしごしと両手で目を擦りながら口を尖らせて言うと、カズラも指先で目元を拭いながらわずかに笑みを浮かべた。


「ナギさんが作ってくれたこの機会は絶対に無駄に出来ない。もう時間が無い。早くウスヴァの部屋に行かないと」


「……その通りです。行きましょう」


 その時、地下通路の空気がわずかに振動したのをアンゼリカは感じ取った。攻撃魔術が使われた時の痕跡の振動だ。


「伏せて‼︎」


 アンゼリカの叫びに三人は、咄嗟に耳を塞いで床に伏せた。強い攻撃魔術が使われた時の空気の衝撃波だ。

 三人が床に伏せると同時に、地響きと共に激しい爆発音がした。衝撃で通路の石積みの壁からぱらぱらと小石が落ちる。音から考えて、使われたのはすぐ近くだ。明らかにこの先の王の間から聞こえた。


「今のは何だ……?」


顔を上げたユタカが呟くと、カズラが青ざめながら口を押さえて言った。


「王の間には、今はアスカ国王陛下がいる筈では……」

 

「急ごう」


 ユタカの言葉にアンゼリカとカズラも頷いて立ち上がる。三人は通路を奥へと全速力で走り出した。

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