23.信じるーyutaka

 日が傾き始め、森の中に届く光が段々と赤く色づき始めた。ユタカは警備についてから何回も持ち場を往復したが、やはり特に不自然な点は見られないし、もちろんイスパハルからの侵入者も居なかった。日暮れに集合とカズラとアンゼリカと決めたから、そろそろ野営の場所へ向かって歩き始めれば丁度良い時間だろう。警備の最初にユタカが感じた気配はその後は感じることはなく、ただ森の美しさに触れるばかりの時間だった。

 ユタカが野営の場所へと歩みを進めようとした時だ。


(……何だ?)


 ユタカは朝に感じた違和感の再来にはっとし、思わず振り向いた。人の気配がする。


(誰かいる。おれをの様子を伺っているのか?)


 しかし、ユタカはただ警備として歩いていただけで怪しい行動は取っていないはずだ。それにこちらから相手に攻撃をしかければ正体がばれてしまう。相手が危害を加えてこない限りは気配に気づかないふりをしておくべきだろう。ユタカはそのまま野営場所に戻るべく、もう一度歩みを進めようとしたその時だった。ユタカの背後の空気がふっと震えた。

 その瞬間、人影が前触れ無く木の上からユタカに飛びかかって来た。ユタカは咄嗟に剣を抜くと、横に振って正面から来た相手の攻撃を受け止めた。がきん、という刃同士のぶつかる重たい金属音が森に響いた。


(危なかった)


 相手は女だった。男の様な短髪に深緑色の淀みない双眸が、剣に力を込めるユタカを真正面から捉えている。

 女はユタカが剣で受け止めたナイフを力を込めて押し返しながら、ぐっとこちらに顔を近づけて来た。

 歳は四十前後か。女にしてはかなり上背がありユタカとさして変わらなそうだ。その身長と風貌からユタカは咄嗟に相手は男だと思ったが、小さくない胸の膨らみが目に入った。女は細身ながらも鍛えられた身体の線を写し取る黒いぴったりとした革のズボンに黒いシャツ姿で、丁度最後に見たサザと同じ様な格好だ。見るからに暗殺者である。


「やっぱりな。並大抵の奴じゃ今のはかわせない筈だ」


 女の言葉にユタカは思わず息を呑んだ。正体を勘付かれた焦りを胸の内に押し込めながら、女と拮抗する剣に一層力を込める。真横に薙ぐように剣を振った。

 相手の獲物がナイフならこうすれば横からの力に耐えられずに取り落とす筈である。しかし女はユタカの動きを予期したかのように上手く力を抜いてユタカの攻撃を受け流した。女はそのままナイフでユタカと何度か切り結ぶと、一時戦闘から離れる様に後ろに飛び退いた。ユタカは長剣を女に向かって構える。一方で女はナイフを持った手を構えずにぶらりと下ろし、無表情でこちらを見つめた。ユタカは呼吸を整える為に深く息を吸って吐いた。


「お前、私に気がついてただろ」


「……」


 無言のユタカに、女は片頬だけを上げた笑みのまま続ける。


「ここで警備に当たるのはみんな戦いに不慣れな奴だから、警備なんて言ってもただほっつき歩いてるだけだ。でもお前はそうじゃない。お前には気配でちゃんと敵を察せる力がある。だから今朝、お前は私の気配を察して振り向いた。焦ったよ。その後はもうちょっと距離取るようにしてつけてたんだけどよ。下っ端のくせにえらく勘が冴えてるな。まあお前が本当に下っ端ならの話だけどな」


(ばれた)


 ユタカは女に正体を感づかれた焦燥感に駆られながらも、女に向き直った。


(まだ作戦は失敗した訳じゃない。冷静に考えるんだ)


 国境付近でユタカを襲ってくる以上、この女にウスヴァの息がかかっているのは間違い無い。サザについて何かしらの事情を知っているはずだから、殺さずに捕らえて聞き出すべきだろう。そして相手は暗殺者、しかも一人だ。面と向かって戦うのであれば剣士のユタカの方が有利だ。


「しかしまあ、どうせお前も同じタチだろ」


 女がこちらを見据えて片手でナイフを構えたまま、半笑いで口を開いた。


「何の話だ」


「私は剣士が一番嫌いなんだよ。全員が全員、暗殺者はまともに戦えば剣士に勝てないと思い込んでやがる。そう思って舐めてかかってくる奴は今までに全員殺した」


 考えをそのまま言い当てたような女の物言いにユタカは内心大きく動揺しつつ、女に向かって剣を構え直した。しかし、この女が何と言おうと、ユタカは絶対にここで負けるわけにはいかないのだ。

 女が一歩を力強く踏み込み、もう一度正面から跳躍して切りかかって来た。ユタカはもう一度女のナイフを剣で受け止めた。女の攻撃は武器がナイフだとは思えないくらいに重い。サザと戦った時とは比ではないとユタカははっきりと感じ取った。


「伊達に三十年も暗殺者やってねえんだよ」


「……」


 女は唇の片端を上げてそう言うと、ユタカの長剣とかち合ったナイフにぐっと力を込めた。ユタカは跳ね返すようにして女のナイフを切り返すが女はそれにきちんと追随してくる。

この女がこんなにまともに自分とやり合えることがユタカには俄に信じ難かった。長剣とナイフではリーチが違いすぎる。明らかにナイフが不利だ。まともな考えを持った者ならこんな馬鹿な戦いをする事は考えもしないだろう。

 しかも、女はナイフを使ってくる分、ユタカが剣士と戦った時と太刀筋が明らかに違う。信じられないくらいに曲線的で、ユタカは女が次にどう斬りかかってくるのかが上手く読めなかった。まともな剣の修行を積んでいたら絶対に出てこない動きだ。


(……天賦の才、か)


 ユタカはカズラがサザに対して言った言葉を思い出した。

 何回か切り結んだ後に女は一度間合いを取るためにユタカから離れるように後ろに飛び退いた。女は女で、想定よりもユタカに苦戦していると感じているのかもしれない。女は無表情でこちらを見据えながら大きくはあ、と息を吐いた。


(それでも、おれはこの女に絶対に勝つ。勝てる筈だ)

 

 但しユタカはそれがであることを悟っていた。ユタカはこの女に勝つことが出来る。しかしそれは、負傷まで含めればの話だ。

 この女は才能がありすぎる。この暗殺者の女の腕前から、無傷で勝つのは無理だとユタカははっきりと悟ったのだ。しかし、今の状況ではユタカは負傷しても回復魔術を施してもらうことが出来ないし、カーモスの軍服に少しでも血がつけば確実に不審がられるだろう。手負いになればこの後の作戦に支障が出るのは明らかだ。


(おれはこの女に無傷で勝たないといけない。絶対に。どんな手を使ってもだ)


 ユタカは剣を構えながら考えを巡らせる。ふとこの間のサザとの戦いが思い起こされた。剣術学校を出て剣士になった人間なら、真後ろから斬りかかることと、敵に背を見せて逃げることを避けようとする。それらは剣士の精神に最も反する行為であると最初に教えられるからだ。だからサザはあの時、敢えてユタカに背中から切りかかって来たのだ。どんな手を使っても。自分の常識を捨てるのだ。


(サザに倣おう。おれがこの女を暗殺者として判断した様に、女はおれを剣士として見ている。だから、普通の剣士は絶対にやらない手を使うんだ)


 そして、もう一つユタカには強みが残っている。女はまだ、カズラとアンゼリカが腕の立つ暗殺者であることには気がついていないのだ。そして、ユタカはいつも「大変な時はもっと周りに頼って大丈夫だよ、ユタカは頑張ってるから」と言ってくれるサザの言葉を思い出した。


(やってみよう。信じるんだ。カズラとアンゼリカを)


 ユタカは深呼吸をすると、女に真っ直ぐに向けていた長剣の刃先を下げた。


「お前、何のつもりだ」


 急に戦意を引っ込めたユタカに女が怪訝そうに声を上げた。ユタカはそのまま踵を返して女に背中を向けると、全速力で森の中を走り出した。


「……は? って、おい! 待て!!」

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