24.決断ーyutaka
ユタカは剣を素早く鞘に収めると、女に背を向けて全速力で駆け出した。まさかユタカが背を見せて逃げ出すとは思っていなかったであろう女も追って来ているが、流石に二十代の男の全速力の走りには少し遅れを取っている。
夕闇が忍び寄りつつある仄暗い森の中で、ユタカは息を切らして駆け続けると、遠く梢の合間に見覚えのある場所が遠くに見えた。今朝カズラとアンゼリカと野営の場所に決めた焚火の跡だ。
(この辺りまで来れば剣戟の音が聞こえるはずだ)
ユタカは急激に足を止め、同時に抜刀した。振り向きざまに大きく剣を横に振る。それとほぼ同時にユタカに追いついた女が間髪を入れずにユタカに斬りかかる。激しい斬撃音が森の中に響き渡る。音に驚いた小鳥達がばたばたと羽ばたいて飛び去っていった。
「お前、何のつもりだ?」
ユタカは女の問いに答えず、そのままナイフを跳ね返す様に何度か斬り結んだ。そのたびに刃物と刃物が激しくぶつかり合う音が辺りに響いた。ユタカと同様に女は息は上がっているが、さっきと比べてもその攻撃の重さが殆ど劣っていない。やはり驚くべき身体能力だが、それ以上にこの女は自分の能力を正しく理解し、どこで力を適切に抜くべきかを長年の経験で熟知しているように思えた。その時、ユタカに一心に向けられていた女の攻撃が急激に途切れた。それと同時に女の背後からカズラが音もなく現れ、跳躍して日本刀で切り掛かった。女が振り向きざまにナイフでカズラの攻撃を受け止める。
「観念しろ!」
カズラがユタカと並んで女に斬りかかる。しかし驚くべきは女は二人を相手にしてもまだナイフで太刀打ち出来ているのだ。女はユタカとカズラの攻撃を交わしながらも唇をきつく噛み締めた。
「助太刀しまーす!」
その時、女の背後の木々の合間からアンゼリカが走りながら現れ、女の腰辺りに向かってナイフを投げつけた。一番避けにくい位置の筈だが、女は器用に身体を後ろに反らしてぎりぎりのところでナイフをかわす。しかし、そこで女の体勢が一瞬不安定になった。
(今だ!)
ユタカその一瞬をついて、女のナイフを持った手に向かって正確に剣を振り下ろす。ユタカの剣の側面が女の手の甲を強かに打ち付けた。
「あ……!」
ユタカの不意を打った攻撃に女は対応出来なかった。女が取り落としたナイフがユタカの剣の勢いに乗せられて放物線を描いて放り出されると、近くの白樺の幹にどすん、と音を立てて深々と突き刺さった。
ユタカとカズラとアンゼリカは、女の周囲を取り囲んで女に至近距離から武器を突きつける。女は舌打ちをするとそれだけで人を殺しそうな位の形相で見回すようにユタカ達を睨みつけた。
しかし、流石に武器が手元に無ければ抵抗できないだろう。ユタカはどうにか女を制圧出来たことに胸を撫で下ろし、カズラとアンゼリカの目を見て頷きあった。そこでユタカは始めて自分の全身が汗でぐっしょりと濡れ、汗が顎を伝ってぼたぼたと流れ落ちていることに気がついた。本当に危なかったが、やはりこの手段を取って二人に頼って正解だった。
「残念だけど、この剣士様には暗殺者の仲間がいたの。剣士様は逃げたり助けを求めたりしないって言う既成概念に囚われてたんじゃない? ご愁傷様」
アンゼリカがふふん、と笑みを見せながらもナイフを突きつけたまま女に言った。女は上がった息を整えるように何回か大きく呼吸をすると、それまでの激しい怒りの表情を緩めて無表情になった。どうやらもう、抵抗しても無理だと観念したらしい。
「アンゼリカ、この女を拘束してくれ」
「はーい」
ユタカの言葉にアンゼリカが軽く返事をし、野営場所に置いていた荷物からロープを取って走ってきた。カズラとユタカに剣を突きつけられた女の後ろにアンゼリカが回り込み、手にロープを架けようとしたその時だった。
その時、女が武器を持たないままにユタカに向かって正面から急激に跳躍した。
(な……!)
ユタカが思わず剣を女に向かって振ると、女はあろうことに回し蹴りの
(避けられない……!)
咄嗟にユタカは歯を食いしばる。しかし、女の拳はユタカの頬に届く直前で急に勢いを無くし、女が短い悲鳴を上げて崩れ落ちた。その真後ろにカズラが血のついた剣を手に立っていた。カズラが間髪入れずに女の背を日本刀で切りつけたのだ。
「大丈夫ですか⁉」
アンゼリカが青ざめた様子でユタカに声をかける。
「……ああ、何ともない。危なかったけど」
ユタカはさっきに増してどっと溢れた汗で濡れた額を手の甲で拭いながら答える。
「まさか武器を持たずに抵抗するなんて。油断も隙もありませんね」
カズラはそう言いながら地面にうつ伏せに倒れ込んだ女に馬乗りになるようにして、女の背の上に体重を乗せて屈み込むと、顎でアンゼリカに合図する。アンゼリカはロープで女の腕を後ろ手に素早く縛り上げた。女は抵抗して暴れようとしたが、カズラは器用に体重を掛けてそれを上手く押さえ込んだ。今度こそ完全に拘束できた筈だ。
ユタカはカズラが抑え込んでいる女の側に近寄った。まるで野生動物の様な鋭さの瞳で女は荒い息をしながらユタカを睨み返す。ユタカは女のすぐ前まで歩み出ると、カズラにうつ伏せに抑え込まれている女の首筋にぴたりと貼り付ける様にして地面に長剣を突き立てた。
女は肩の裏の刀傷から流血し、血で濡れた地面が夕日に照らされてぬらりと光った。致命傷では無いがそこそこの深傷だ。このまま手当をしなければ失血で力尽きるのは時間の問題だが、話を聞き出す為には最低限の止血だけはしておいた方が良いだろう。そんなユタカの考えを察したかの様にアンゼリカは軍服の内ポケットから乾燥した大判の葉を取り出して、女の傷にぺたりと貼り付けた。止血の薬草だ。
カズラに馬乗りになられたうつ伏せの姿勢のまま、憎々しげにユタカを見上げて口を開いた。
「……男。お前、イスパハル人だな? お前の語尾の発音は北イスパハルの方言だ」
(これだけの会話でそこまで分かるのか)
ユタカは女の尖すぎる推察に内心舌を巻いた。確かにイスパハルの北の領地イーサで生まれ育ったユタカはイスパハルの王都で育った父のアスカやその他の人と発音が違うことは自覚があった。「伊達に三十年も暗殺者をやっていない」の台詞は強ち嘘では無いのかもしれない。
「お前の質問には答えない。人を探している。深緑の瞳に亜麻色の癖毛の娘だ。知っているだろう」
「知るか」
女は吐き捨てる様に短く言ったが、ユタカはそのことが少し不自然に感じた。女はウスヴァかサヤカか、いずれにせよ誰かに暗殺者として雇われている身だろう。ユタカ達に恨みを持って殺そうとしている訳ではないのだから、聞かれたことを話してとっとと逃げることも出来るはずだ。
しかも、よくよく考えればあれだけの腕前を持ちながら与えられている仕事が簡単すぎる気がする。この女の能力なら要人の暗殺だとか、もっと高度な仕事を受けるはずだろう。この女はあのサザよりも強いかもしれないのだ。
「何故、雇い主に強い忠誠を見せるんだ? 秘密なんてとっとと話して、雇い主からも逃げてしまえばいい。それだけの腕が有れば他に仕事なんてすぐ見つかるだろう。簡単な筈だ」
「そんな簡単なもんだったら、とっく全員ぶっ殺してる」
女が先程までとは打って変わった強い口調で、ユタカに言い放った。ユタカはその言葉に只ならぬ圧を感じ、思わずぐっと押し黙った。
「……息子が組織に人質に取られてる。私が逃げれば息子が殺されるからだ」
「子供を……?」
女はユタカの呟きに小さな溜息を付いた。その深緑色の目が疲れたように細められた。この状況であれば女の話は嘘だと考えるべきだろう。しかし、ユタカの中の直感とも言える何かがそれを猛烈に否定しようとした。そういえば、この女はサザと同じ色の瞳をしている。そのせいだろうか。女はうつ伏せで顔の半分を地面に付けたまま、話を続ける。
「拷問でも何でもすればいい。私は絶対にお前らに何も喋らない。ここで死ぬだけだ」
女は早口にそう言うと、口をつぐんだ。
「どうしますか?」
カズラが女を押さえ込んだままユタカに尋ねた。
「おれは拷問はしない」
「は……! どんだけ腰抜けなんだ? そんなんでよく剣士やってられるな」
女がユタカを馬鹿にするように半笑いで声を張り上げた。
「違う。おれがされたことがあるからだ」
「何だと?」
ユタカの言葉に女の瞳が大きく見開かれる。
かつてヴァリスに激しく傷つけられたユタカは、酷く疲れた時などにその時の記憶に
ユタカとサザの怪我が直ってイスパハルに平和が戻っても、あの一夜の出来事が消え去るわけではない。まだ二人の中に重りの様に確かに存在し続けているのだ。
それでもユタカが震えて嗚咽した夜を乗り越えられるのは、何も言わずただ隣で微笑んでいてくれるサザの温かさがあったからだ。ここでもユタカはサザのことを思いださずにいられなかった。でも、そんなサザもユタカの背中の傷跡を見るといつだって泣いてしまうのだ。
「相手が敵だろうと何だろうとあんなことは人として絶対にするべきじゃない。それにお前はともかく、何の罪のないお前の息子を悲しませたくはない。おれにも息子がいる」
言葉を続けたユタカの脳裏に浮かぶのは留学へ出かける為に馬に乗り、大きく手を振ったリヒトの姿だ。この女は命を掛けて戦おうとした理由が息子なのだ。この女はただ、息子のために戦っているのだ。それは勘としか言いようのない何かだったが、ユタカはこの女の言葉が真実だと思ったし、それと同時に息子を囚われているというこの女を殺すべきではないと思った。
ユタカはそこまで言って深呼吸をすると、女の首に貼り付けていた剣の鋒を離し、口を開いた。
「アンゼリカ、女の縄を解いてくれ」
「い、いいんですか?」
アンゼリカが戸惑った様子でユタカに聞く。女が信じられないという風に目を見開いた。
「……お言葉ですが」
女に馬乗りになっているカズラが口を開いて、正面のユタカを見上げた。
「私はこの女はこの場で殺した方がいいと思います」
カズラはユタカの目を真っ直ぐに見てきっぱりと言った。
「この任務は絶対に失敗できません。それに、死体さえ注意して片付ければこの女を殺してもこちらが不利になることはありません。もしあなたがこの女を手をかけるのに抵抗があるというなら私が代わります」
カズラの言葉に女が強く唇を噛んで項垂れた。
「……」
この作戦を進める上で普通に考えれば、絶対にカズラの意見の方が正しい。ユタカ達を襲ってきたこの女はここで殺しておくべきだろう。カズラはサザを確実に助けるためにそう言っているのだ。ユタカもカズラの考えは理解できた。
ユタカはため息をつく。ユタカが「お前は軍人に向いていない」「故郷に帰れ」と散々言われてきたのは、こういう所なのだ。それでも、自分のやってきたやり方を信じたい、とユタカは思った。
アンゼリカは心配そうな様子でユタカとカズラのやり取りを見守っている。しばしの沈黙の後、カズラが静かに口を開いた。
「私は軍に入る時あなたに忠誠を誓っています。
ユタカはカズラの中にやりきれない強い気持ちがあるのが痛いくらい分かった。しかしカズラはそれでもユタカを信用してくれているのだ。ユタカはカズラの視線を真っ直ぐに受け止め返して言った。
「カズラ。その女の拘束を解いてくれ」
「分かりました」
カズラは頷いて馬乗りの姿勢から立ち上がると、女の手首を束ねたロープに向かってすとん、と日本刀を振り下ろした。ぱらり、とロープが解ける。女は手首を確かめると、肩の傷を押さえよろめきながら信じられないと言う表情で立ち上がった。
「このまま解放する。ただし、もう二度と顔を見せないでくれ。これ以上邪魔するようだったら容赦無く反撃させてもらう」
「どう考えてもその女の判断の方が正しいだろ。正真正銘の馬鹿なのか?」
「じゃあおれ達を襲う気なのか? それなら反撃するまでだ」
「お前本当に、何なんだよ……只の剣士でも無いな?」
女は大きな溜息を付いて、苛立った表情で口走る。
「質問には答えない。早く消えてくれ」
ユタカは女に向かって淡々と言い放った。しかし女は立ち去ろうとせずにただ、黙ってユタカを凝視した。
「……おい、男」
女は一呼吸置いてユタカをきつく睨みつけると、意を決したように口を開いた。
「探している娘を、知ってるぞ」
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