25.『息子』ーyutaka
「本当か?」
全く予想しなかった女の言葉に、ユタカは思わず聞き返した。
「ああ。私が捕まえたからな」
「……」
日の沈みゆく森の暗がりの中でもはっきりと分かる程に、カズラとアンゼリカの表情が険しくなる。女は肩の傷を押さえつつ二人のの目線をしっかりと受け止めたまま、こちらを確りと見て話を続ける。
「イスパハル軍の腕の立つ暗殺者だと。私はその娘を気絶させて縛り上げて馬車に乗せた。馬車はカーモス城に向かった筈だ」
「その娘は怪我をしていただろう? 無事なのか」
「無事だ。身分の高そうな若い男が回復魔術を施した。男は肩下の亜麻色の真っ直ぐな髪に薄荷色の瞳。随分若そうだったな。服や靴の高さで年上そうに見せてるのが妙だったよ」
容姿から察するに男はウスヴァだろう。やはりサザはウスヴァの元に囚われているらしい。とりあえずその時点まではサザは無事であったらしいことに三人は胸を撫で下ろした。
「私が知ってんのはこれだけだ。職業暗殺者が知り得るのは標的と仕事内容だけだ。そこの女二人はよく分かってるだろ。お前らも手練れそうだからな」
「十分だ」
サザが生きていて、カーモス城にいるということだけでも分かれば大きな収穫だ。この警備の仕事が終わればユタカ達は交代のために城まで送還される。そこから城ヘは侵入できるだろう。
「でも、お前らは何でそこまでしてその娘を取り戻そうとする? イスパハルの人間がカーモスに侵入して見つかったらどういう事になるか分かってるんだろうな? それに、その娘が幾ら腕の立つ暗殺者だと言っても、軍人としてなら多少の替えは効くはずだ。でないと組織が成り立たないからな。そんなに大きなリスクを負っても連れ戻さないといけない人物なら、その娘は単なる軍人じゃないんだな?」
「……」
(本当に、大した洞察力だな)
女の分析力と暗殺者としての戦闘力はユタカが今までに出会った人物の中でもずば抜けている。これだけの能力の人物が組織に飼われている理由が、息子の命なのだ。
ユタカはその質問には答えず、女に質問を返した。
「お前の息子は何処に捕まっているんだ」
「……何を考えてる」
「協力しないか」
「何だと?」
ユタカの言葉に女は片眉を釣り上げ、はっきりと嫌悪感を示した。
「悪い話じゃない筈だ。お前は息子が奪還出来さえすれば、組織に未練は無いんだろう。その腕前でも組織に飼われているなら恐らく、仲間が全く居ないんじゃないか? おれたちみたいな暗殺者と無関係な人物と関わる機会だってほぼ無い筈だ」
女はユタカの言葉を頭の中で反芻するように、首をかしげて暫し沈黙してから刈り上げた後頭部をぼりぼりと掻きながら口を開いた。
「お前はまあまあ頭の働く奴だな。ご尤もだ。だがな、私は乗らない。私はお前らをそこまで信用してないし、そんなことをしても無駄だからだ」
「何故だ?」
「息子の居場所は全く分からない。組織が厳重に隠蔽しているからだ。戦力があったとしても助けに行きようが無い。だから、お前らと協力しても旨味はねーんだわ。私が息子について分かるのは名前と歳と、目と髪の色だけだ。私が十六の時の子だからな。サザはもう二十四になってるはずだ」
「サザ?」
全く予期しない名前が女の口から出たことに、ユタカは思わずその名前を鸚鵡返しに口にし、思わずカズラとアンゼリカと目配せした。二人も戸惑いを一気に表情を強張らせる。
三人の思いがけない動揺に、女が静かに目を細める。
「そんなに驚くような名か? よくいるだろ」
確かに『サザ』は決して珍しい名前ではないし、男女共に有り得る。現にサザとユタカが先日行ったレストランの息子がサザという名だった。
しかし、奇妙なことに女の息子もサザも同じ二十四才だ。サザと女の息子の名前が被ることにユタカは驚きを感じずにはいられなかったが、そもそもサザは息子ではなく娘だ。いくら何でも自分の子の性別を間違えるのは有り得ないだろう。
「おれ達の探している娘の名前と同じだったんだ。歳も」
「へえ。そりゃ大した偶然だな」
「息子の髪と目の色は何色だ?」
ユタカは聞いても意味がないとは分かりつつも何となく胸騒ぎが収まらず、女に質問した。
「深緑の瞳に亜麻色の癖毛だ。そういえば、あの娘と同じだな」
「……」
容姿もサザと一致している。アンゼリカとカズラも怪訝な表情で互いを見つめ合っている。ユタカ達三人が考えていることは同じだろう。だが、それでも性別が違うことが解決出来ない。ここまできても、やはり偶然の一致と見るべきなのだろう。
「まあ、会ったことは無いけどな」
女は目を伏せ、憂いた表情でぽつりと言った。女の言葉の意図が分からないユタカは思わず聞き返した。
「会ったことが無い? どういうことだ?」
「サザは私が産み落とした瞬間に組織が回収した。流石に私でも出産した瞬間に即暴れて赤ん坊を取り返す体力は無かったからな。だから、産んだのは確かだが、私はあの子に会ったことは無い。何か反抗すれば直ちにサザを殺すと言われていたからだ。私が知ってるのは、産声と、一度だけ遠目に見た姿だけだ。七つの時に何かの罰を雨の日の中庭に出されてた。背の低い痩せた男の子だった」
「ちょっと待って、ねえ、カズラ」
女の話にアンゼリカが慌てた様子で口を開いた。
「ああ……そうだよな」
カズラとアンゼリカが青褪めた表情でうなづき合う。カズラがユタカに向かって焦った表情で話しかけた。
「サザは組織でずっと、一人だけ男の子の格好をさせられていたのです。サザ以外の女の子にはみんなスカートが支給されたのですが、サザだけはいつも絶対にズボンでした。髪の毛も少し伸びたらすぐ男の子みたいに短く切り込まれていましたし。私も初めてサザに会った時、てっきり男の子だと思ったのです」
「え……?」
「おいお前ら、一体何の話をしてる?」
女がユタカたちの会話に訝しげに口を挟む。
「お前の息子の名字は何だ?」
女はユタカ達の三人の内輪の会話に辟易した様子で小さく溜息を付いて、こう答えた。
「アールト。サザ・アールトだ」
「……」
アールトはサザの旧姓だ。女の答えにユタカ達は目を見開いて、今度こそ完全に絶句した。ウスヴァは確かに、「組織の人間はサザの出自を隠蔽して育てた」と言っていた。サザが男の格好をさせられていたのも、その一環だったのだろう。
女は、明らかにおかしい三人の様子に苛立った様子を見せた。
「お前らさっきから何なんだよ。はっきり言えよ」
「……恐らくお前の息子は、おれたちが探している娘と同一人物なんだ」
「お前耳付いてんのか? 娘じゃなくて息子だっつってんだろ」
「じゃあ、産んだ子が男の子だと自分の目で確かめたか? 組織の人間にそう告げられただけだったんじゃないか?」
「それは……」
女はユタカの問いかけにはっとしたように言葉を詰まらせ黙りこんだ。
「おれ達が探しているのはおれの妻のサザだ。イスパハル歴二一五年の九月十四日にカーモスからイスパハルへ逃げてきた。二十四歳で、亜麻色の髪に深緑の瞳の小柄な娘だ」
「確かに、その年の秋にうちの組織の幹部の大半が殺されて、下っ端の四人の娘が脱走したことがあったな。その日は年に一度の幹部会合があった日だったから人が集まってたんだ。私は仕事に出てたからその場にはいなかった。組織は半解体したが、その娘たちが殺しきれなかった数名が組織を立て直した。今は多少規模は小さくなったがほぼ元通りの規模だ」
「……それをやったのはあたし、アンゼリカと、こっちのカズラと、レティシアとサザの四人。レティシアは天国に行ってしまったけど」
アンゼリカの説明に、女はカズラとアンゼリカの顔を交互に見て首を傾げて考え込む様子を見せる。女は暫しの沈黙の後にもう一度口を開いた。
「その話が本当なら、お前らはこの「組織」の本当の名前を知ってる筈だ。組織の人間しか答えられない筈だ。言ってみろ」
カズラとアンゼリカは互いを見合わせると頷いて、女に向かって口を開いた。
「
その答えに今度は女の方が顔を引きつらせて絶句した。
「じゃあ、私の子供は本当は息子じゃなく娘で、私は……自分の子を縛り上げたのか……?」
女がごくりと唾を飲み込み俯いて、肩の傷をを押さえている右手をそのままに自分の左の掌を見つめた。その手は震えていた。
腕の立つ暗殺者のサザを絶対に捕まえるというならこの女の腕前を利用すれば確実だろう。だが、それ以前に彼女はサザの実の母親なのだ。サザは母親にあれだけ会いたがっていたのに。単にその力を利用するとしても、その二人の運命を想えばあまりに残酷すぎる。
「……あなたがサザの母親なら。一緒に、来て欲しいんです。サザを助けたい」
ユタカは女に向かって口を開いた。女は力強く頷く。
「協力する。あいつら二十三年も私を騙しやがって、絶対に許さない」
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