28.鳥は国境を知らない―saza

(ん……)


 サザは薄らと聞こえた小鳥の囀りに目を覚ました。

 身を捩ってベッドから上半身を起こす。捕まってから服を着替えていないのでサザはまだ黒いシャツとズボンのままだ。


 鳥の声のする方へ目を遣ると、ウスヴァが窓を開けてバルコニーに出て小鳥に餌をやっていた。サザが最初に謁見した時と同じ、カーモスの軍服にマント姿だ。

 つぐみが美しく囀りながら、ベランダのウスヴァの周りを楽しそうに飛び回って餌をせがんでいる。


 つぐみはイスパハルでもよく見られる鳥だ。

 鳥は国境なんて関係ないのだから何処でも自由に飛び回れる。そんな当たり前のことが、今のサザの心には酷く重々しく感じられた。

 サザがウスヴァと小鳥達を見つめいていると、ウスヴァもこちらに気がついたらしい。餌の小鉢をベランダの床にと置くと部屋の中に入って来て、ベッドサイドにある木彫のスツールに腰掛けた。


「眠れましたか?」


 声を掛けて来たウスヴァをサザはベッドに腰掛けた状態で警戒心むき出しで睨みつける。そこで全身をぐっと強張らせると、縛られた手首に昨日とは違う不快さを感じて、サザは思わず身体の力を抜いた。


(手首が、痛い……)


 後ろ手に縛られているので自分で傷が見えないが、ロープが解けないかと昨晩ずっと擦り合わせていた手首がロープに擦れた傷がぐずぐずと熱を持っているのだ。

 どうやら膿んでいるらしい。さして清潔では無いロープが傷にずっと食い込んでいたのが良く無かったのだろう。サザの様子がおかしいのを感じたらしいウスヴァはサザの背側を覗き込んだ。サザは見られない様に身体を捻ったが手足を縛られていてはどうにもならない。

サザの手首の傷を検めたウスヴァはため息を付いて、もう一度スツールに座り直した。


「その手首の傷、逃げようとしたんですね?」


 ウスヴァがサザの手首を見て言った。


「……」


 サザは気まずくなり無言で顔を背けた。ウスヴァがもう一度ため息を付く。ウスヴァの亜麻色の長い髪が吐息で揺れる。


「回復魔術を使えば痕跡でサヤカ達に気づかれてしまう。そうなると面倒です。薬で我慢してください」


「そんなの必要ありません。止めてください」


 恩を掛けられたくないサザはそう言ってウスヴァを睨みつけたが、ウスヴァはそれには動じずにベッドの脇にあるサイドテーブルの引き出しを開けた。

 

 ウスヴァは小瓶をいくつかと白い小皿取り出してサイドテーブルに並べる。小瓶はどれも装飾は無いシンプルなもので、掌に乗る程の小ささだ。それぞれに薬草が漬け込まれている。アンゼリカなら直ぐ分かるのだろうが、サザにはさっぱりだ。

 ウスヴァは小瓶から出した薬液を小皿で少しずつ調合していく。調合を暗記しているらしく、驚くほどの手際の良さだ。薬液を入れるごとにウスヴァは指先で軽く小皿を混ぜる。薬液は混ぜるたびに藍色、紅色、薄紫色と色を変えて最後には薄桃色の軟膏になった。


「手首、貸してください」


 サザは警戒して首を横に力強く降って身体を強張らせた。ウスヴァがその様子にため息を付く。


「毒じゃありませんよ。ほら、丁度僕も傷がありますからこれを塗っておきましょう」


 ウスヴァは軟膏を小指に取り、自分の手の甲にあった小さな擦り傷に塗り込んだ。確かに、本当に毒ならこんな事は出来ないだろう。それに、正直な所、手首の傷はこのまま何もしなければ悪化するばかりだ。サザは抵抗を止めてそのままにしているとウスヴァは察したらしく、ベッドに腰掛けたサザの後ろ手を手にとった。

 軟膏を指に取り、少しずつ丁寧にサザの傷に乗せていく。薬を塗りつけながら、ウスヴァは口を開いた。


「前にも話しましたが、僕は魔術医師として勉強する為に留学していました。留学先は周辺に紛争地域があったので、実習で兵士の治療もしましたからね。だから怪我の手当てには慣れているんです。回復魔術が使えない状況でも怪我人の治療を出来る様に薬学と医学の勉強もしたのです」


「……」


 確かにそれならウスヴァの手際の良さは頷ける。サザは黙っていたが、構わずにウスヴァは話を続けた。


「あなたに施した時間の魔術の応用も、戦地で思いついたのです。攻撃魔術士が使えるのは攻撃魔術だけ。魔術医師が使えるのは回復魔術だけ。これがこの世界の摂理です。ですがそれ故に、自分の目の前で消えゆく命を救えなかったと激しく自分を責める攻撃魔術士を戦地で数え切れない程見ました。彼らの痛烈な訴えに僕は心が酷く痛みました。だから僕は考えたのです」


 ウスヴァは一呼吸をおいて、もう一度口を開いた


「もし攻撃魔術士が回復魔術を使えれば、攻撃魔術士が激しい後悔に苛まれることもなくなる。それで考えたのがあなたに対して使った、時間の魔術の応用です。負傷した人に攻撃魔術士が取り急ぎの治療として、時間の魔術で怪我をする前の姿に戻します。適切な治療が出来る場所にその人を移動してから、魔術医師が回復魔術を掛けながら攻撃魔術士が緩やかに時間の魔術を解いていけば適切な治療ができます。僕は本当にすごい発見をしたと思ったのです。でも、この魔術は先日貴方に施したような酷い使い方も出来る事に僕はその時は気が付けなかった。魔術の善悪は表裏一体で、人間の思惑次第でどんな恐ろしいものにも化ける。それに気が付けない僕はサヤカの言う通り、幼稚なのでしょうね」


 ウスヴァはサザの手首に軟膏を塗る手を止めること無く、抑揚の無い声で淡々と語った。サザにはそれは感情を外に出さないように注意して抑え込んでいるようにも感じた。


「あなたにこんな話をしても仕方がありませんでしたね」


「……じゃあ何故話したのです」


 サザは思わず聞き返したが、苛立ったサザの答えにもウスヴァは淡々と応える。


「……誰かに聞いて欲しかったのだと思います。母が居れば母に話したのでしょうけど。あなたと違って僕の両親は死んでますからね。この世で血が繋がっているのは完全に、あなた一人なんです。戦争でイスパハルで最も腕の立つ剣士に斬られて死んだそうですが」


 その剣士が誰なのかをサザは知っている。ユタカ・アトレイドだ。サザは思わずごくりと唾を飲んだ。

 そしてサザは絶対に止めるべきだと思いつつも、あり得なかった未来を想像してしまった。

 目の前の亜麻色の髪と薄荷色の瞳の青年と、姉と弟として育っていた未来。そしてイスパハルを敵として、自分の手で殲滅しようとする未来。カーモスがイスパハルの戦争に勝利したとしたら、そこにはまた別の物語があったのだろうか? 


(私としたことが……馬鹿な事考えるのはやめよ)


 あり得ない未来なんて存在しないのと同じで、サザが辿った運命だけが真実だ。サザが考えを軽く唇を噛んで暫し黙っているとウスヴァがもう一度口を開いた。


「ついでにもう一つ、どうでもいい話をしますね。僕は本当は、まだ十六なんです」


「え」


 黙していたサザだったが、突拍子もないウスヴァの告白に思わず小さく声を出してしまった。


「宰相や大臣たちが、国王が未成年ではイスパハルの君主に舐められると僕の年齢を二十歳と偽るようにと言ったので。僕は十六にしては大人びた顔をしているらしい」


 確かにウスヴァの顔つきも風貌も二十歳には幼くは感じていたが、まさか十六だとは思わなかった。

 確かに、長い髪を後ろの低い位置で束ねた髪型は高貴な身分特有のもので大人びて見えるが、今の時代では些か古風だ。少なくとも若者が自分から望む髪型ではない。そう見ると軍服の肩には随分と詰め物が入っている理由も納得するし、こうやって国王とマントや刺繍の軍服が飾り物のように見えてしまう。


 サザはユタカの屈託の無い笑顔の中に少年のような輝きを見出すことはあるが、それはユタカが幼いからではない。彼は子供の様な純朴な心を持ったままで大人になった人で、それが笑顔に現れているだけだ。ウスヴァは言葉の通り、本当の意味で幼い。本物の若さ故の初々しさやあどけなさが隠しきれていないのだ。


(何でこの人、たった十六なのにこんなに重いもの背負わされてるんだろう。どうしてこうなったの? ……戦争のせい?)


 サザは絶対にウスヴァを許す気は無かった。

 ウスヴァに懐柔するのはサザのプライドが許さないし、カーモスの人間になるなら死んだ方がましだという気持ちは揺らがない。


 それでもサザは、ウスヴァに対する憎しみの形が確実に変化している事に、一人、大きく戸惑っていた。


 その時、唐突に部屋のドアがノックされた。

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