29.ウスヴァとサヤカ―saza
ノックの音にウスヴァがどうぞ、と応えると、徐に部屋に入ってきたのはサヤカだった。サヤカはサザが最初に目にした時と同じ、魔術士の正装である銀色のローブ姿だ。改めてサザはサヤカの様子を観察する。歳は顎下でぱっつりと切りそろえられた濃紫の真っ直ぐな髪と銀縁の眼鏡の奥の薄荷色の瞳が真っ直ぐにサザへ向けられる。
「さて、今日で二日目ですね。私達に従う気にはなって下さいましたか? もうあなたは逃げられないのです」
「絶対に従いません」
サザはきっぱりと言い、サヤカを睨みつけたが、サヤカは特に動じずに唇の端に浮かんだ笑みを深めた。
「一応、この部屋での最終日となる明日も同じ質問をしますね。ウスヴァ様と約束しておりますから。明日以降は牢屋でお話を聞きましょう。さて、ウスヴァ様。これも繰り返しになりますが。私達が目指すべきは私のたった一人の兄弟、兄上であるムスタ様が目指した通りイスパハルの征服です」
(今、兄上って言った?)
サヤカはムスタの妹ということは、サザとウスヴァから見れば叔母に当たる。この女とも血が繋がっているという事実にサザには背筋にぞっとしたものが走った。
(でも、血が繋がっててもそうでなくても関係ない。私は国王陛下ともリヒトとも血が繋がってないけど、大事な家族だもん)
サザはサヤカの言葉の悍ましさを心の中で何とか振り払った。しかしこれは重要な情報でもあった。
サヤカがムスタと血が繋がっているということは、サヤカにも王位継承権があるのだ。サヤカはムスタを「たった一人の兄弟」と言ったから、子であるサザ、ウスヴァの次に権利がある筈だ。
ウスヴァはスツールから立ち上がると、サヤカに向き直った。
「サヤカ。父の目指した事は間違っている。みんな父のやり方に洗脳されているんだ。一から新しい考えを持つのは難しいけど、僕達はやり直さなければいけない」
ウスヴァの言葉にサヤカは大げさにため息を付いて見せた。
「その件で、もう一度お話させて頂きたく存じます。別室へ宜しいですか」
「……分かった」
サヤカはウスヴァの代わりにサザの見張りに兵士をウスヴァの部屋の中に入れると、ウスヴァと共に部屋を後にした。
—
ウスヴァはサヤカと共にサヤカの執務室へと移動した。
部屋の奥には大きな窓があるがカーテンが閉じられているので部屋は薄暗い。部屋は大きな執務机とソファがある。しかし二人とも腰掛けはせず、立ったままで出方を伺う様に互いを見つめ合った。暫しの沈黙の後にサヤカが口を開いた。
「ウスヴァ様。王子妃は優しくしてやった所で態度を改めないでしょう。私達の考えを納得していただけました? あの娘を無理やり服従させるべきです」
「あの人は僕と血が繋がっているんだ。実の姉に酷い事は出来ない」
「それがあなたの弱さと幼さなのです。時には厳しい判断も必要です。それに、先程の話の続きですが。私達が今まで築いてきた全てを手放すというのですか? ムスタ様の行った全てを否定すると?」
「サヤカは国の事を誰より考えてくれているのは知っている。ただ、全ては父の遺したやり方がいけないんだ。父は死んだ事で神格化された。彼の考えは絶対的な信仰として皆の心に残ってしまった。僕は留学していてこの国にいなかったから、その考えから逃れられたんだ」
ウスヴァはそこまで一息に言うと、唇を噛んだ。サヤカは冷徹な視線でウスヴァを見つめている。ウスヴァはもう一度口を開いた。
「父がが間違っていると認めるのがどれだけ困難かは、分かる気がする。でも、僕達は変えないといけないんだ。僕たちがやらないといけないのは必ずしもイスパハルの征服じゃない。国民の生活を考えることだ」
「ウスヴァ様」
正面からウスヴァを見据えたサヤカが、ウスヴァの言葉に被せるように口を挟んだので、ウスヴァは思わず黙った。
「私が国民の事を考えていないと? 私がこんな事を全て、やりたくてやっているとでもお思いですか?」
「……」
サヤカがウスヴァを睨みつける。怒りが明らかに見てとれる鬼気迫る表情に圧倒され、ウスヴァは尻込みして息を呑んだ。
「私にも、家族がおります。二人の娘と戦争で傷痍軍人の夫です。カーモスよりも物理的にも、人的にも資源に恵まれているイスパハルが手に入れば、先程、ウスヴァ様が案じておられたような貧しい民の生活も潤います。先日、ウスヴァ様は貧しい幼子に施しをされていましたね。カーモスを守りたい気持ちは私も同じなのです。この娘の身柄が手に入ったことはそれだけで大きな一歩です。私はムスタ様の意思を継いで、自分の家族を守るなら何でもします。自分の手を汚してもいい。どうして、分かって頂けないのですか。留学先で何を吹き込まれたのか知りませんが、父上の悲願はイスパハルの征服です。私達お従い下さい」
「……」
「ウスヴァ様のご指示の通り、国境の見張りのして素人の若者を多く雇っています。彼らは生活が厳しい者たちですね? 確かに、兵士となれば家族の生活には困らない賃金を得ることが出来ます。ただし、彼らの生活だってイスパハルが手に入りすればもっともっと簡単に潤うのですよ」
「……僕は確かに、幼い。でも、違うんだ。分かってくれ」
ウスヴァは血が出そうなくらいに唇を噛んでそう言うと、逃げるようにサヤカの部屋を出ていった。薄暗い執務室には大きなため息を付いたサヤカだけが残された。
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