20.真意と思慕―saza

「どうしてそう思うのですか? そんなことは絶対にありません」


 ウスヴァの言葉の不快さにサザは思わず身震いした。眉をひそめたサザの気持ちを察したらしいウスヴァが言葉を続ける。


「あなたが僕の実の姉、つまり、ムスタの実の娘で王位継承権を持つのだとすれば、カーモスが取るべき手段は一つです。あなたを手に入れる。僕はサヤカ達と作戦を立てました。作戦の第一段階が、あなたが自らカーモスに渡るように促すこと。第二段階が、あなたを強制的に手に入れることです」


(……ちょっと変だな)


 ウスヴァは「サヤカ達と作戦を立てた」と言ったが、先程の様子だとウスヴァとサヤカは意見が割れていた。もしかするとそこがウスヴァの弱みなのかもしれない。


「あなたとサヤカは意見が食い違っています。そして、あなたは国王でありながらも周囲から孤立している。違いますか?」


 弱みを突いて話を引き出せばそれが脱出の足がかりになるかもしれない。サザは頭の中で言葉を選び、やや責めるような口調でウスヴァに尋ねた。


「……仰る通りです。僕とサヤカ達は同じ目的を持つにも関わらず意見が相容れない。でも、僕は自分のやり方を信じている。そして、サヤカ達を説得するためは、是が非ともあなたが必要なのです」


「私を何に利用する気ですか」


「サヤカ達は、あなたを有能な暗殺者として、また、イスパハルへの抑止力として利用することを考えています。平たく言えば人質です。あなたがカーモスにいればイスパハルの王子と王はカーモスに無闇な手出しが出来なくなる。それはイスパハルの征服への大きな一歩とも言えます。それも勿論、あなたを手に入れることでカーモスが得られる大きな利点です。でも、僕があなたに期待するのはそこではない。僕があなたに期待しているのは、貧しい人たちの暮らしを良くする力です」


「……え?」


 予期せぬウスヴァの言葉に、サザは思わず気の抜けた声を出してしまった。それには構わずにウスヴァは話を続ける。


「街角でごみを漁っている子を見たでしょう。酷い暮らしだ。あんな思いをする子は僕の祖国にこれ以上絶対にいてはいけない。その為にはカーモスにはあなたの力が、どうしても必要なのです。馬車の中でも話しましたが、貧しい人達の暮らしを良くするために必要なのは教育や社会的モラルであって、必ずしもイスパハルの征服ではない」


(ウスヴァがサヤカと食い違ってるのは、私を利用する目的なのか……)


「僕とあなたの父は独裁者で、当然の報いを受けるべき男でした。しかし、サヤカや多くの国民はイスパハルの征服こそがカーモスの未来に必須であると信じ切っている。そして不幸にもムスタは死によって永遠となり神格化されてしまった。僕は長いこと留学していたのでその考えに毒されずに済んだのです。でもあなたが君主になり、貧しさを救う為に必要な事は父のやり方ではないと実際に見せつければ。皆は父が間違っていると理解してくれます。だから僕は絶対にあなたに君主になって欲しいのです。僕はサヤカとは意見が違いますが、あなたを手に入れるという目的は同じなのです。その為にサヤカ達と共に今回の作戦を実行しました」


「……」


 サザはウスヴァの言葉が自分の予想と全く違ったことに動揺し、思わず俯いて黙り込んだ。

 サザはウスヴァに対して大きな勘違いをしていたと思った。確かに貧しい人達、どうにもならない生活をしている人達を助けたい気持ちは強くある。しかし、サザはイスパハルの王子妃だ。大切な人も皆、イスパハルにいる。何があってもサザがカーモスの君主になる未来など決して有り得ないのだ。


(一体どうしたらいい?)


 答えは無いのだ。サザは内側からひりひりと湧き上がって来るような絶望感に苦しくなってごくりと唾を飲んだ。涙が乾いてきた頬に、こめかみから汗が流れてきた。


「勿論今話したことは僕の心からの想いです。でも、それを建前にした上で、僕があなたを手に入れたい理由がもう一つある」


 そこでウスヴァは目を伏せ、これから話すことに対しての意を固めるかの様に小さなため息をついた。日が落ちた薄暗い部屋の中で、ウスヴァ薄荷色の瞳がオイルランプの光を反射する。宝石の様だ。揺れた眼差しがもう一度サザに向けられた。


「僕が、あなたと会いたかったから。一緒に暮らしたかったからです」


「……」


(会いたかった?)


 ウスヴァの投げかけに、サザはさらなる戸惑いを隠せなかった。


「……僕は」


 ウスヴァは少しうつむき加減でぽつり、と口にしてしばし口籠もると、もう一度口を開いた。


「あなたが僕の実の姉だと分かった時、僕はユタカ王子のことが心の底から憎くなったのです」


「どうしてですか」


「あなたはこの世でたった一人の、血が繋がっている姉なのです。ユタカ王子は僕の両親を殺した上に、実の姉すら独り占めしている。どう考えてもおかしい。あなたと血が繋がっているのは僕の方なのに。僕は、ちょっとした運命の狂いであなたのことを独り占めしているユタカ王子が許せなかった。どうしてあなたは僕と一緒にいる運命にならなかったんだ、って。どうして僕だけが、ずっと一人ぼっちで……」


 繰り返す言葉の中でウスヴァの声が消え入りそうになった。ウスヴァは顔をそむけ、唇を噛んだ。


(そういう風に考えたこと無かったな)


 イスパハルの平和がユタカ・アトレイドの剣の腕によって守られたのは紛れもない事実だ。彼自身は大いに傷つきながらも、多くの人の命を救った。それに、彼がムスタを討たなければ戦況は泥沼化し、もっともっと沢山の命が失われた筈だ。この戦争によってユタカも、リヒトも、アスカも、それに沢山のイスパハルの人達が大切な誰かを失った。でも、それはイスパハルの人達だけではないのだ。戦争がもたらす出口のない答えに目眩を感じ、サザは思わず下を向いた。

 

「……こんなことが言いたかったんじゃないんです」


 ウスヴァはそう言って大きくかぶりをふると、もう一度サザの方へ顔を上げた。


「僕がキスしたのはサヤカ達の作戦の一つです。王子の方に手を出させてこちらに有利な状況を作るためです。キスなら物理的にはあなたを傷付けませんから言い逃れできる。それに、王子にも嫌がらせが出来ますし。でも、あなたの気持ちを無視してしまった。王子のことはどうでもいいのですがあなたを傷つけたなら謝ります」


「あれくらいで傷つくようなやわな生き方をして来なかったので大丈夫です」


 サザは思い切り皮肉を込めてきっぱりと言った。あの時のユタカの怒りに満ちた瞳はすぐに思い出せる。今までにあんな顔をしたユタカを見たことが無かったからだ。


「そうですね。あなたは強い。僕なんかよりもずっとずっと」


 そう言うとウスヴァはもう一度ため息をついて、バルコニーの付いた大きな窓の方に目をやった。思わずサザも同じ様に窓の方を見る。ウスヴァと話し込んでいる内に夜も大分更けてきた。城の中でもかなり高い位置にあるウスヴァ部屋はカーモスの城下町を一望出来る。眼下に広がる景色の中で家々に灯る可愛らしい明かりはイスパハルと何も変わらない。そのことにサザの胸がもう一度どくんと大きく脈打った時、ウスヴァが立ち上がった。

 ウスヴァはサザの前まで歩みを進めると、縛られたまま椅子に座っているサザを横抱きにして持ち上げた。


「ちょ……!」


 突然のことにサザが驚いて身体を硬直させると、ウスヴァはサザを抱きかかえて部屋の中を歩き、大きな天蓋付きのベッドにサザの身体をそっと横たえた。サザの頭の下に枕を充てがうと身体の上に毛布をふわりと被せた。


「あなたはそこで寝て下さい。僕はあなたと同じベッドで寝る訳にいかないのでソファで寝ます。留学していた時はずっと寄宿舎の狭くて硬い二段ベッドで寝ていたのです。それに比べたらこのソファの方がずっと寝心地が良い」


 ウスヴァは唇の端に少しだけ笑みを浮かべると、口をつぐんだ。


「明日には決断して欲しいのです。どうか。おやすみなさい」


「……」


 サザはウスヴァの言葉には応えず、枕に顔を埋めた。

 ウスヴァの小さなため息と、ソファに身体を横たえる布ずれの音が聞こえた後、部屋は静寂に包まれた。


 ―


「駄目か……」


 サザはウスヴァがソファで寝息を立て始めたのを確認し、ベッドの中でずっと縛られた手首を擦り合わせていた。どうにかして手を縛る縄が緩まないかと思ったのだが、全く歯が立たなかった。どうやら手首の皮膚の方が負けたようで、自分では見えないが縄が擦れた手首の痛みが酷くなってきた。

 これだけやって無理なら自力で縄を解くのは諦めるしか無さそうだ。サザの能力をよく理解した者が、絶対に緩まないように入念に縛り上げている。サザに手刀を食らわせてきた人物だろうか。サザは自分にしか分からないくらいの小さな溜息を付くと、諦めて眠ろうと目を瞑った。


「ねえさん……」


「……!」


 サザはウスヴァが目を覚ましたのかと思いサザは思わず体を強張らせた。しかしウスヴァはソファから起き上がる様子は無く、続けて寝息が聞こえてきた。どうやら寝言だったようだ。

 サザは身動きの取れない身体をよじって何とかベッドから半身起こすと、ウスヴァの寝ているソファの方に体を捻った。ウスヴァはソファに横たわり、身体をサザと同じ柔らかな毛布で包んでいる。腹の上で規則的に上下する毛布を見る限り、やはりまだ寝ているようだ。窓から指す月明かりがウスヴァの頬に流れた一筋の涙をきらりと光らせた。


(ねえさん……って)


 ウスヴァが言う「ねえさん」が誰なのか。それに気がついた時、その言葉が何故だか猛烈に胸に迫ってきて、サザは思わず唇を噛んだ。


(……馬鹿みたい。血が繋がっていても絶対に私はウスヴァの姉になんてならない。私はユタカの妻で、リヒトのお母さんで。イスパハルの王子妃なのに)


  サザは枕に顔を埋めてぎゅうと目を瞑り、湧き出てきた感情を無理矢理抑え込もうとした。しかし溢れる水流のようにこみ上げてきてきりがない感情の高ぶりがはなかなか収まってくれない。サザはぐったりと重たく疲れた身体の一方で、その夜はなかなか寝付けなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る