19.ウスヴァの部屋―saza

「あなたはここに居てもらいます」


「え……」


 日か落ちる頃にカーモス城に到着したサザがウスヴァとサヤカ、警備の兵士達と共に連れて来られたのはウスヴァの部屋だった。牢屋に入れられると思っていたサザは思わず言葉を失った。

 ウスヴァの部屋は国王の部屋として申し分ない造りだ。日が沈んでいるので室内は所々に置かれた美しいガラス細工のオイルランプで照らされている。部屋は最奥が見えないほど広く、豪奢な装飾彫りの天蓋が付いた大きなベッドと、足元には花の図案が見事なふかふかの絨毯が敷かれている。バルコニーに続く大きな窓に掛かったゴブラン織の絢爛なカーテンと調度品の随所に木彫りの装飾がある。


 相変わらず後ろ手に縛られた状態で警備の兵士に囲まれ唖然とするサザの傍らで、サヤカが口を開いた。


「ウスヴァ様。その娘をいつまでもお側に置くことは出来ません。一刻も早くこの娘にイスパハルを捨てる契約をさせるべきです。この娘はイスパハルに身を売っている。まずその一切を捨てさせないと話になりません。この娘は激しく抵抗するでしょう。拷問しても駄目なら男に相手させるとか、手荒な扱いは避けられません」


「駄目だ。そんな目に遭わせるなんて絶対にしない。だってこの人は」


 ウスヴァがサザとサヤカの間に割って入り言葉を遮った。顎辺りで綺麗に切りそろえられたサヤカの真っ直ぐな濃紫の髪が揺れる。軍服の上に着た白い魔術士のローブは部屋の薄闇の中でも一際よく目立った。サヤカはウスヴァを突っぱねるように話を続けた。


「ええ。この娘は血縁上はあなたの姉に当たります。第一位の王位継承権も発生します。しかし、君主となるのはこの娘が自分の意思でカーモスに来た場合のみでしょう。無理矢理捕らえてきた娘を君主に充てるのが難しいことくらいお分かりになりませんか?」


「三日くれ。その間に僕が王子妃を説得する。それまでは手僕の部屋において欲しい」


「……」


 サヤカはウスヴァの言葉に目を細め、大きくため息を着いた。


「分かりました。その間に王子妃が同意しないなら、私達宰相はその娘を強制的に従わせることにします。ウスヴァ様。あなたはまだ幼い。本物の姉を目の前にしたら迷いが生じたのですね。幼いから考えが揺れてしまうのです。それをご自覚下さい。私達に従えば全て上手くいきます」


「……」


(勝手なことを言って……)


 黙るウスヴァの傍で二人の会話を聞いていたサザは怒りを隠さずに言った。


「私は何をされても絶対に従いません。無駄です」


 サヤカがこちらに冷ややかな表情を向け、サザの目線を受け止める。


「王子以外の男に手をかけられても、そう言えますか?」


「……!」


 サザはサヤカの言葉が意味する所に思わず、悔しさと恥ずかしさで俯いた。サヤカはサザの様子を見てにこりと笑みを見せた。眼鏡の奥にある藤色の瞳が不敵に光った。


「そういうやり方の方があなたには効果がありそうですね。まあ、ウスヴァ様のお慈悲の三日目までに考えを改めれば、そんな目に合わずに済みます。どうかご検討を」


 俯いて震えるサザを前にそう言うと、サヤカは足早にウスヴァの部屋を立ち去った。


 ―


 サヤカが出ていってウスヴァの部屋で、サザとウスヴァは二人きりになった。馬車から部屋までの移動のために一度足の拘束を外されていたが、先程兵士にもう一度足を縛られてしまった。身動きの取れないサザは大きなバルコニー付きの窓からほど近いところに置かれた椅子に座らされている。椅子は背もたれと肘掛け、真紅のビロードのふかふかしたクッション引きの豪勢なものだ。椅子と言うよりも一人がけのソファに近い。

 サザは任務の時のままの服装なので、黒い革のパンツに黒いシャツ姿、後ろで雑に纏めた髪型のままだ。それが豪勢なこの部屋に何とも不釣り合いで、惨めだった。


 ウスヴァはサザの正面にあるソファに背筋を伸ばして座っている。二十歳と聞いたが、こうして改めて見るとウスヴァは確かに年齢よりも幼い雰囲気があった。長い亜麻色の髪を後ろで緩く一つ結びにした、若者にしてはやや古風とも言える髪型のせいで少し年上そうに見えるが、そんな格好をしていなければもっと年下と勘違いしてしまうかもしれない。灰色の軍服もやはり、顔の幼さからすると少し不釣り合いだ。


(私がこの部屋にいられるのは、あと三日。どうにかしてその間に逃げないと状況はもっと厳しくなるな)


 先程のサヤカとウスヴァの話からすると、三日後にはサザはサヤカの監視下なるはずだ。今度こそ牢屋に入れられるかもしれないし、何にせよ今よりも逃げにくくなる筈だ。それまでに何としても脱走を決行しなければいけない。サザは心の中で密かに決意を固めていると、目の前のウスヴァが静かに口を開いた。


「先程の話の通り、僕がサヤカ達を止めていられるのは三日です。三日を過ぎたら、サヤカはあなたへ苦痛を与えることを強行します。僕は止められないかもしれない」


「私がそんなに簡単にイスパハルを捨てるとお思いですか。何度も言わせないで下さい。私の答えは変わりません」


 サザは苛立ちを隠さずに早口で小さく言ったが、ウスヴァは食い下がるように言葉を続ける。


「お願いです。僕はこれ以上あなたを傷つけたくない……」


(一体何様のつもり)


 サザの苦しみの根源は何もかも全部、ウスヴァのせいなのだ。ウスヴァがこの悪事を仕掛けて来なければ、サザはユタカやリヒトと共に、ごく幸せに生きることが出来た。母親のことなんて知らなければ、それで幸せにだったのだ。今まで以上に大きな秘密を抱えなければいけなくなったサザとユタカが苦しみ、怒り、涙したこと全てを、目の前の男が引き起こしたのだ。


「じゃあ何故こんなことをしたの⁈」


 一気に頂点に達した怒りのままに、サザは大きく声を荒らげた。急なサザの変化にウスヴァがびくりと体を震わせた。感情の発露と共にサザの瞳からぼろぼろと涙が溢れて膝の上に落ちたが、サザは構わずに大声で続けた。


「傷つけたくないと言うなら、こんな事しなければ良かったのに‼︎ あなたのやったことで私とユタカがどれだけ傷ついたか!」


 そこまで一息に言うと、昂り過ぎる感情に息が上がって、サザは何度か大きく深呼吸した。縛られていて拭えない涙をそのままにして、ウスヴァをきつく睨みつけた。


(泣いてる所なんてこれ以上見せたくなったのに)


 ウスヴァがサザの言葉に、ごくりと息を飲んだ。サザは首を横に振って涙を振り払った。


「……ごめんなさい」


(まただ)


 ウスヴァ馬車の中と同じ様にサザに言った。謝る位なら最初からしなければいい、なんて子供に対しての言葉だ。サザはウスヴァの言葉をあからさまに無視してぷいと横を向くとずるずると鼻を啜った。


「僕はあなたに話していないことが多すぎました。あなたが怒るのは当然です。まず、僕達がこの作戦を取った理由を、ちゃんと話します」


 サザの目を真っ直ぐに見ながら、ウスヴァはきっぱりと言った。薄荷色の瞳がサザを捉える。


「あなたがカーモスに居てくれたら、カーモスは今よりも絶対にいい国になります。僕はそう確信しているからです」

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