18.金貨の使い道―saza

 ウスヴァとサザは互いに沈黙したままただ馬車に揺られ続ける。


(ユタカは、カズラは、アンゼリカは、国王陛下は。今頃どうしているかな。きっと物凄く心配してる。全部私のせいだ)


 皆、サザが囚われた状況を知り頭を抱えてるだろう。任務に失敗したのは全て自分の責任なのだから、助けて欲しいと望めるような立場でないことはサザは十分に分かっていた。それでも、これが皆との今生の別れであると思うと視界が潤んで霞んできてしまった。それに、留学から意気揚々と帰ってきたリヒトが母は捕らえられて死んだと告げられたらどんな顔をするだろう。サザは絶対に生きてイスパハルへ帰らないといけないのだ。


(何とか、逃げる方法を考えなきゃ)


 身体が完全に拘束されている今は逃げ出すのは絶望的だ。しかし何とかして状況を打破する糸口を見つけなければ、サザは本当にカーモスで死ぬことになる。サザは手を縛られて拭えない涙をそのままにぐっと息を飲み、心の中で自分を奮い立たせた。


(そういえば、ウスヴァはあのサヤカって魔術士とは意見が食い違っているみたいだ。そこをもう少し探ったら何か役立つかもしれない)


 サザは窓からの景色を眺めつつ、横目でウスヴァの様子を伺った。ウスヴァは背筋をすっと伸ばしてサザとは反対の馬車の窓から景色を無表情で見つめている。

 ウスヴァはカーモスの灰色の軍服を纏ってはいるが、近くで見ると思ったよりもずっと華奢そうだ。流石に男性なのでサザよりは身長はあるが、サザは同じ年頃の女でなら身体は鍛えている方だし、身体の線の細さで言えばサザとそう変わらないかもしれない。長い睫毛の影にある美しい薄荷色の瞳は後悔とも怒りともつかない色を湛えている。


 横を向いたウスヴァの首筋にすっと流れる真っ直ぐな髪はサザと全く同じ亜麻色だ。その理由は父が同じだからである。そしてサザが癖毛なのは恐らく母の由来なのだ。その事実にどきりと心臓が大きく脈打つのを感じ、サザははあ、と息を吐いて粟立った心を落ち着かせた。

 改めてよく見るとウスヴァの軍服は何となく肩に違和感がある。どうやら肩幅が大きく見えるような詰め物をしているらしい。そんなに自分の体格に劣等感があるのだろうか。ウスヴァは魔術医師だし国王なのだから自分で武器を振るう訳ではないし、どうしてそんなことをする必要があるのか、サザにはよく分からなかった。



 馬車は着々と歩みを進め、森の多い郊外からカーモスの城下町へと入って行った。サザは窓の外の景色を見た。この景色は見覚えがある。どうやらこの間ユタカとカーモスに来た時と同じ道を走っているようだ。恐らく、もう暫くすればカーモス城に到着するだろう。

 馬車は商店が立ち並ぶ市場の区域へと差し掛かる。道々には酒場やパン屋、生活用品を売る店が立ち並ぶが、やはりイスパハルの王都トイヴォに比べると人出はずっと少ない。品物のやりとりで笑顔を見せる人々もいるが、売っている品物の数も少なく見えるし、人々の身なりにも苦労が伺える。きっと皆、苦しい生活をしているのだろう。


 ついサザは彼らの為には何が出来るかを考えてしまうが、サザには何も出来ないのであった。ここはイスパハルではないからだ。サザがその事実に胸がすっと冷えたのを感じた時、市場の薄暗い一角に集まっている子供達が目に入った。人気のない路地の片隅で、十歳そこらの子供達三人は市場から出たものらしい食べ物のごみが投げ捨てられている木箱を漁っていた。

 ごみの周りに虫がたかるのを手で払いながら、少しでも食べるものを探しているその光景にサザは思わず息を飲んだ時、ウスヴァが急に従者に向かって声を張った。


「止めて」


 馬車はウスヴァの言葉通りに直ちに停車した。

 ウスヴァは座席の傍らに置いてあった雨よけの黒いローブを羽織ってフードを被ると、サザを一瞬横目で見た。

 その表情には僅かに後ろめたさのようなものが感じられたがサザはウスヴァの真意を汲み取れずにいると、ウスヴァは小さくため息をついて、足早に馬車を降りていった。その様子に何かの含みを感じたサザは馬車の窓からウスヴァを伺う。ウスヴァは一直線に子供達の所に向かって歩いて行った。


(ウスヴァはあの子達に何する気? 捕まえるとか?)


 ウスヴァの行動に不安を覚えたサザは子供達とウスヴァの様子を馬車の窓から凝視した。子供達は急に現れた高貴な身なりの青年を前に、寄り添い合って酷く怯えた表情を見せている。やはり捕えられるとでも思っている様子だ。

 しかしただ震えているだけの子供達の様子だと、どうやらこの青年がこの国の王だとは分かっていないらしい。ウスヴァは震える子供達の前にしゃがみ込んで目線を合わせると、軍服のズボンのポケットに手を入れた。

 ウスヴァは子供達を前に少し口角を上げて子供達と何かを喋っている。三人の子供に手を出させると、順番にポケットから出した何かを握らせた。ウスヴァと子ども達の指の隙間から、鈍く反射した明るい色が見える。金貨だ。

 子ども達の表情が一気に輝く。飛び上がっている子もいる。ウスヴァは喜び合ってお礼を言っているらしい子供達に軽く微笑むと、直ぐに踵を返してこちらに戻ってきた。馬車に乗り込んだウスヴァは複雑な表情をしているサザ見て、無表情で口を開いた。


「僕がこんなことをしたのが意外でしたか?」


 ウスヴァの問いが図星だったサザは、思わず目を伏せた。ウスヴァはサザの様子に小さくため息をついて、もう一度サザの正面に腰掛けた。ウスヴァは悔しそうにも、苦しそうにも見える、なんとも計りきれない表情をしていた。従者はウスヴァが馬車に乗り込んで着席したことを確認すると、手綱を引いてもう一度馬車の歩みを進め始めた。少しの沈黙の後、ウスヴァが口を開いた。


「でも、こんな事をしても実際は無意味です」


「無意味?」


「あの子たちはあの金貨で、今夜だけは屋根のある所で寝たり、好きな食べ物を買ったりして、楽しい夢を見られるでしょう。でも、明日からはまた元と全く同じ惨めな生活の中で生きることになる。何の解決にもなりません。あの子達が今の生活から抜け出すには、教育、資金、社会的なモラル……根本的な変革が必要です。そして、その一切が今のカーモスには足りていません。僕の父が長年に渡り、軍事力の強化と戦争に国の資金を注ぎ込んだからです」


「……」


 サザはウスヴァの言葉の意外さに内心、動揺していた。まさかウスヴァの口からそんな話が出てくるとは微塵も考えていなかったからだ。彼もまたムスタと同じ様に、単純にイスパハルの征服が目的だとばかり考えていた。それきり黙ってまた窓から景色を眺め始めたウスヴァを前に、サザは胸の中にある想いが浮かび上がってきたのをはっきりと感じ取った。


(私は矛盾しているのかもしれない)


 辛い生活を強いられている子供を助けたいかと聞かれれば、勿論サザは「助けてあげたい」と答える。それはウスヴァと意見の一致する所だ。ユタカだってそうだろう。ユタカは同じ様な想いがあって、戦争中に自分が傷つきながらも出来るだけカーモスの市民ををイスパハルに難民として逃したのだ。

 眼の前にいる不幸な子供を助けてあげたい想いはあるのに、それは絶対に出来ない。何故ならサザは絶対にカーモスの人間になりたくないと思っているからだ。子供達を助けてあげたいと思う気持ちとイスパハルに帰りたい気持ちの矛盾は、サザの中で大きな不快さを伴いながらも共存しているのだ。


(一体どうしたらいいんだろう。でも、どうしようも無いんだ……ごめんなさい)


 サザは答えが出ようの無い問題を胸の奥底に無理矢理押し込んで、絶望を吐き出すかのように深いため息をついた。

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