21.潜入―yutaka

 カーモスへの潜入の準備はカズラとアンゼリカの正確な指揮により、滞りなく進んだ。


 ユタカが暫し不在になることをカーモス側に怪しまれないように、カズラとアンゼリカはユタカの影武者を充てることにした。まず、イスパハル軍の腕の立つの剣士からユタカに最も背格好の似た黒髪黒目の青年を選び出し、髪を整えさせた。アンゼリカは顔の陰影がユタカに似るように青年に化粧を施すと、口の固いメイド長の年配の女性に入念に化粧の方法を教え込んだ。

 ユタカはまるで鏡を見ているような青年の変装の出来栄えに驚いてしまった。これだけ似ていればアスカが同席していれば彼が影武者だと気が付かれることは無いだろう。カズラとアンゼリカはユタカと同じように軍の中から自分に背格好の似た女性を選び出し、影武者を充てた。


 カーモスの軍服も仕立て屋の寝ずの作業によって無事に出来上がり、潜入の為の全ての準備が整った。カズラとアンゼリカが王都トイヴォに戻ってから三日目の早朝、三人はカーモスの軍服の上にローブを羽織って馬に乗り、人知れずイスパハル城を出発した。サザを見失ったイーサの森の中の国境へと辿り着くと、一緒に付き添っていた兵士に乗ってきた馬を託し、枯れた国境の川を徒歩で渡って越境した。慣れ親しんだイーサの地にこんな形で足を踏み入れることになるとは思いもしなかった。

 

「王子、陛下にサザの秘密を全部話しちゃうのかと思いました」


 アンゼリカがユタカの傍らを歩きながら言った。アンゼリカは顔の両脇の金髪のお下げを後頭部で一つに纏めている。魔術士を装っているので見える位置に武器は装備していないが、ナイフを服の中に隠し持っていると言っていた。


「流石にサザの母親がやったことまでは言えなかったんだ」


「心中お察しします」


 カズラが左の隣からユタカに言った。ユタカはカズラの気遣いにありがとう、と小さく微笑んだ。この事がアスカがもし知ることになったとして、サザは一体どうなってしまうのだろう。考えても答えの出ない問いをユタカは首を振って頭から追い出した。

 カズラはカーモスの軍服を着て、アンゼリカと同じ様に髪を高い位置で纏めている。背に長剣をたすき掛けにし、右肩に野営用の荷物を入れた革製の肩掛け鞄を下げている。ユタカが持つと言ったのだが礼儀正しい彼女は頑なに断ったのだ。

 カズラの長剣はほんの少し湾曲した剣身に片刃の非常に珍しいものだ。鍛造にはカズラの故郷の朱雀国だけに伝わる高度な刀鍛冶の技術が必要で、イスパハルではまず手に入らない。朱雀国では「日本刀」と呼ばれる種類のもので、カズラが実家に帰った際に父親から譲り受けて来たという。

 三人は周囲の気配を気にしながら、ゆっくりとカーモスの森の中を歩みを勧めた。森は徐々に深くなり、木々で日光が遮られるようになってきた。植生は白樺や松などで、これはイーサの森と同じだ。この森はイーサと繋がっているので当たり前なのだが、ユタカは一瞬、イーサに帰って来てしまった様な錯覚を覚えた。


 カズラ達の偵察任務の時の状況から逆算して、カーモスの国境見張りの兵士たちの交代は今日の朝の筈だ。三人一組になって持ち場に移動してから、ばらばらに持ち場を移動しながら警備することになる。


「見張りの兵士たちは二日後に交代の為にカーモス城に帰還するはずですが、その時に全体の人数だけ確認されます。私達が入ったことで人数が増えていると怪しまれますので、適当な兵士を脅して成り代わりましょう」


「分かった」


 三人が森の中を歩みを進めていくと、遠く木の陰にカーモスの軍服の人影が見えた。三人組はまだ二十歳に届かない位の若い男のようだ。三人共腰に長剣を下げているのが見える。三人の男は野営をする場所を決めたらしく、森の中のやや広めの空間でごそごそと荷物を取り回している。この偵察は確かに危険の少ない任務ではあるが談笑する様子はまるで緊張感が感じられず、ピクニックにでも来たような気軽さである。


「手頃なのがいますね。あの緩さは素人に毛が生えたレベルでしょう。最近まで一般市民だったクチでしょうから酷く傷つけるのは可哀想なので、がっつり脅すだけにします。それに正直こいつらだけなら王子……じゃなかった、シズさんの手を煩わせることはありませんね。あたし達二人で十分なんで、ちょっと休んでて下さい」


「分かった。任せるよ」


 アンゼリカはユタカの返事を聞くと首を傾げてにこりと微笑み、カズラは持っていた荷物をユタカの傍らに置くと折り目正しくユタカに向かって敬礼した。二人は互いに見つめ合って頷きあうと、ここからは十分に離れた場所にいる男達に向かって足早に歩を進めた。

 カズラは背の鞘から長剣を抜き、アンゼリカは軍服の内ポケットからナイフを取り出してと森の中を大回りして男達の背後に少しずつ近づいていく。


 二人は男達を挟むように生えている左右の木の陰に隠れて様子を伺っている。かなり近づいているが軍服の若い男達三人はふざけて笑い合っていて、全く気がつく様子が無い。特に若そうな十五、六位の青年が腰に下げた長剣の重みで下がったベルトをぐっと上げ、それを他の二人が笑い合う。青年は金髪の後頭部をぼりぼりと掻いた。

 あの様子では長剣をまともに扱えるとは思えない。しかし、ウスヴァがこんなど素人を国境の警備に付ける理由がユタカには理解出来なかった。お飾りにも程があるだろう。

 ユタカが考えを巡らせている内に、カズラとアンゼリカが木の陰から互いにもう一度目配せした。

 二人は一気に男達の背後へと躍り出ると、カズラが先程の金髪の若い男の首に素早く腕を回し、首元に長剣を当てた。急な出来事に驚愕した残りの二人の男達に向かって、背後からナイフを向けたアンゼリカが口を開いた。


「武器置いて。軍服全部脱いでね」


「な、何だお前ら!」


「従わないならこいつを殺す」


 カズラは男達の言葉を無視して無表情でそう言い放つと、金髪の若い男の首元に当てた長剣に力を込めた。浅く切れた皮膚からうっすらと血が滲む。


「ひ……!」


 それだけの傷でカズラに捕らえられている若い男は卒倒しそうなくらいに青ざめ、涙を流した。他の二人の男達は折角下げている長剣を抜きもせず、ただおろおろするばかりだ。


「ねえ。あたしの言ったこと聞こえた? 早く剣と軍服ここ置いてくれる? そしたら地面に座ってね」


 アンゼリカが二人の男の背後から呼びかけ、相変わらずにこにこしながらナイフを持った手と逆の手で自分の足元を指さした。男達はその笑顔に逆に恐怖したらしく、素直にアンゼリカに従う。剣をベルトから外して上下の軍服を脱ぎ、肌着とシャツ一枚の状態になると指示通りにカズラの前に座り込んだ。

 アンゼリカは懐からもう一本ナイフを取り出すと一本ずつを両手に持ち、座り込んだ男達のすぐ後ろにかがみ込んで後ろ首にぴたりとナイフを当てる。二人の男はアンゼリカのナイフの冷たさにびくりと体を震わせた。後ろからでは相手の様子が見えず、余計に抵抗しにくくなるだろう。それを見届けたカズラは首に腕を回して捕まえていた男を勢いをつけて離した。地面に座り込むように倒れた男に長剣を突きつけ他の二人と同じ様に軍服を脱がせて長剣を置かせると、並んで地面に座らせた。


「お前、実家はどこだ」


 カズラが金髪の男に長剣を突きつけ、唐突に聞いた。


「へ……あ……城下町西の外れの菓子屋です、ルルース菓子店という」


 突然の質問に金髪の男がとぎれとぎれに何とか答える。カズラはその後ろの二人の男にも剣先を突きつけて同じ質問をした。


「三人でこのまま直ちにここを立ち去るなら、生かしてやる。ただ、ここでの事は絶対に口外するな。口外したらお前の家族は無いものと思え。軍とも一切関わるな」


 カズラが表情を一切変えずに冷徹な口調で男に言い放つ。


「ひ……分かりました……絶対に言いません……」


 それを聞いたカズラが無言で剣先を男達から下げる。アンゼリカも男達の背後から首元に当てていたナイフを離した。男達は叫び声を上げながら肌着とシャツのままで森の出口の方に向かって一目散に逃げて行った。


 二人は男達が十分に見えなくなるのを見届けると、ユタカの方に向き直った。


「王子ー! もう来ていいですよー!」


 アンゼリカがこちらに向かって大きく手を振った。遠巻きに一部始終を見ていたユタカは二人のところに駆け寄った。鬱蒼とした森の中でこの場所だけは少し開けていて、確かに野営には丁度良さそうだ。


「見事だな……おれじゃあんなに上手く出来ないよ」


ユタカが関心して言うとアンゼリカははは、と明るい声で笑った。


「はは、王子は謙虚ですね……でもあたし達は逆に長剣を使えませんからね。向き不向きです。しかし向き不向きと言えばあの男達、絶対軍人向いて無いですよ。菓子屋の方が良かったんじゃないですかね? ねえカズラ?」


「全くだ。あんな者たちを警備に付けても何も意味を成さない。ウスヴァは別の意図があると考えざるを得ない」

 

「その通りだな」


 三人は暫し考えを巡らせるも、その意図が何であるのかは見当が付かなかった。


「……まっ、とりあえず無事に侵入できたんで、野営の準備したら警備に入りましょう」


 アンゼリカがにこりと微笑んでそう言った。ユタカとカズラは頷いた。

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