44.再会
サザとユタカは翌日早速、カーモスへ謁見を希望する旨の信書を送った。中々返事が来ずに焦る心を抑えながら待ち続けたサザだったが、ひと月ほど経って冬が顔を覗かせ始めた晩秋のある日、受け入れる旨のサヤカからの返答があった。
返事を受けると直ぐにサザはリヒトとアスカ、カズラやアンゼリカにカーモスへ向かうことを告げて準備をした。一生分より多いくらいの沢山の抱擁と共にサザは送り出された。
ユタカとサザは馬車に乗り込みカーモスへと向かった。そして今、晩秋のある正午、カーモスの城の王の間に通された四人は玉座に座るサヤカと対峙していた。
サヤカはウスヴァが着ていたのと同じデザインの灰色の銀糸の刺繍が施された軍服を着ている。淡い藤色の瞳と、顎で真っ直ぐに切り揃えられた濃い紫色の髪は以前より見慣れた風貌だったが、その表情は最後に見たサヤカよりもだいぶ歳を取っているように感じられた。
広い王の間は、サヤカの玉座の下に両脇に警備の兵の剣士が待機している。秋の終わり、冷え込んできたカーモスの王の間で奥にある暖炉の火が静かに爆ぜる音だけが聞こえていた。
サザはイスパハルの群青色の軍服姿、ユタカは王族の白い軍服だ。
まさかサザとユタカが三度にもここに来る事になるなんて、この世の誰に想像出来ただろう。最初はウスヴァがイスパハルの兵士を人質にサザとユタカを呼んだ時。サザとユタカが最初に戦った時だ。二度目は、ウスヴァが亡くなった時。サザはユタカともう一度戦うことになった。
現実はいつだって、想像を易々と超えてしまう。
一年前にこの場所で起きた事、ウスヴァの言葉とその血のあたたかさを思い出さずにはいられなくてサザは身体がぶるり震えた。負けないようにサザはぐっと奥歯を噛み締めて拳を握った。それを察したらしいユタカがそっとサザの背中を支えてくれた。
(私はやるって、決めたんだ)
サザは心の中で自分に向かって言い聞かせる。サザはユタカと並んでサヤカの前まで歩み出た。
「お願いがあります」
サザがそう言うとサヤカは眉を上げて目を見開いた。これから起きる事に恐怖を感じているのかもしれなかった。
「ご用件をお伺いします」
「……サザをカーモスに渡す為に来たんだ」
ユタカがそう言うと、意図を理解しかねるという風にサヤカは息を呑んで沈黙した。こちらの出方を伺っているのかもしれない。
サヤカと、それを前に並んだサザの間に流れる長い沈黙の後で、玉座の上から静かにサヤカが口を開いた。
「……一体何をお考えで? カーモスを征服する気ですか。それであれば私達は抵抗するのみです」
「違う。ウスヴァの考えた方法で全てを終わらせたいと私達は考えている」
サザが力強く答える。サヤカは不思議そうに眉を寄せた。
「ウスヴァ様の……?」
「私達は全員正しくて、全員間違っていた。私達が失った大切な人たちは本当は生きることが出来ていたかもしれない。でも過去を変えることはできないから、私達はこれから平和な未来を作っていくしかない」
サザはそこまで言って、次の言葉を紡ぐために息を吸った。
「ウスヴァの一番最初の作戦の通り、私をカーモスの君主として迎えて下さい」
サヤカは目を細めて険しく眉を寄せた。
「本気で言っているのですか? それがどういう事か分かっておられます?」
「イスパハルと同じように、あなたと共同君主としても構いません。私はウスヴァの考えに基づき、カーモスとイスパハルの和平を結び、カーモスを立て直すために最善を尽くします。時間はかかると思う。けど成し遂げられるまでは決してイスパハルへは帰りません」
「……」
サヤカは顎に手を当てて、深く考え込むように目を伏せた。両隣の兵士は微動だにしないが、表情からしてかなり動揺しているのが見て取れた。
「……ウスヴァ様がやろうとしたのと同様に、法的には私の一存で、あなたをカーモスに迎えることが出来る。しかし、あくまで法の上でです。あなたはイスパハルの人間だ。カーモスの者の殆どはあなたを信じないでしょう。少なくとも、カーモスにいる間に王子妃には武器は持たせられませんし、一切の護衛を付けられません。王子妃が少しでも怪しい動きをしたら無事を補償出来ないかもしれません。それを承知の上でおいでですか?」
「勿論です」
サザが頷く。サヤカがごくりと息を呑んだのが分かった。サヤカはゆっくりと言葉を頭の中で反芻しているようだ。サザが永遠とも感じられるほどの長い沈黙のあと、サヤカがもう一度口を開いた。
「ウスヴァ様亡き後、カーモスの政治は私含めムスタ様の支持の一派のみになりました。イスパハルの侵略を目指す一派です」
「それはサヤカが目指していた状態だった筈だ」
ユタカの言葉にサヤカは頷く。
「そうです。ウスヴァ様の死以外は。不謹慎ながら側近の中にはウスヴァ様の死を喜んでいる者もおりました。しかし私はどうしても心に引っかかって離れなかったのです。あの後私は、ウスヴァ様の言葉を一つ一つ思い出して、自分がどうすべきだったか考え続けました。私はウスヴァ様を更生せねばならないとずっと思っていました。でも、それが間違っていたと、ウスヴァ様の死を以て、やっと気がついたのです」
「……そうだったのか」
ユタカが呟くように言うと、サヤカは小さく頷いて話を続けた。
「私は今までのやり方を一切を捨てて、ウスヴァ様のやり方を進めようとしました。でも、もう遅すぎたんです。元々ウスヴァ様の考えを支持する者はカーモスには誰もいませんでした。カーモスの人は皆、ムスタ様の考え通りにイスパハルは滅ぼすべき、搾取すべき相手だと考えている。その中で私が突如ウスヴァ様の様に「搾取ではなく和解を」と説いても誰も耳を貸しません。私は気がふれたと思われている。一人では何もできませんでした。この一切は全て私の招いた結果なのです。私は激しく後悔した。やり直せるものなら全てをやり直したいと思った。でもそれは叶わなかったのです。カーモスがあれからイスパハルに対して沈黙していたのは、そのためです」
そこまで一息に話したサヤカの瞳から、涙がこぼれる。サヤカは涙をそのままに言葉を紡ぎ続ける。
「私達を助けて欲しいのです。私一人の声ではかき消されて、どうしても言えなかったからです。信書に返事を出すだけで精一杯でした」
サザとユタカはサヤカの言葉に、力強く頷いた。
「そのために来たのです。私達が協力すれば、それが出来る」
「協力できる未来が、ちゃんとあったのですね。イスパハルとカーモスの間に」
サヤカが軍服の袖でそっと目頭を抑え、震える声で言った。
「おれたちはずっと、その事に気がつかないふりをしていたのかもしれない。相手を赦すことは、憎んで戦い続けるよりもずっと難しいから」
「その通りです。そして、あなた方の用件をお聞きしてからでないと言えなかったことがあるのです。先程王子妃に護衛は付けられないと言いましたが、それはあくまでイスパハルからの護衛です。カーモスには、護衛に最も適任な人物が一人だけいるのです」
サヤカは傍らの警備の兵に声をかけた。兵は王の間から走り出て行く。
「誰だ?」
ユタカがサヤカに尋ねる。
「アスカ陛下にはその者を王子妃の護衛に付けて良いか、ちゃんと確かめてからの方が良いでしょう」
「え……?」
その時、王の間の扉が開けられた。そこに立っていたのは一人の、ごく短い灰色の髪に背の高い女性だった。女性はサザと全く同じ色の深緑の瞳を見開く。
それが誰なのか、サザは一瞬で理解した。
「お、おかあさっ……」
「サザ!」
ナギとサザはお互いに全速力で駆け寄る。そして走り抜けた身体を勢いに任せて力の限り強く抱きしめた。母の匂いは初めて嗅ぐのにたまらなく懐かしかった。サザとナギは床に膝をついて抱き合った。いっぱいに溢れてきた涙をそのままにナギの腕の中でわんわん泣いた。
「サザ。ずっと会いたかったんだ。忘れた事なんか一瞬も無い、大切な私の娘だ」
ナギの言葉にサザは涙につまって何も喋る事が出来ず、ただただ頷く。ナギは声を上げて笑って、まるで小さな子供にするようにサザの背中をとんとんと叩いた。
「良かった、生きていてくれて」
ユタカがもらい泣きしそうな顔で言うと、サザの手を引いて一緒に立ちあがろうとしたナギが首を振りながら答えた。
「ギリギリで組織の奴らは倒したけど、こっちもかなり負傷してて。こりゃ流石に死んだなって思ってあの通路に倒れてのに、気がついたら手当されて生きてた。サヤカが助けてくれた」
「え……?」
「あの瞬間に唯一私が、ウスヴァ様の言葉に従ってできたことだったのです。ナギを襲ったのは私が差し向けた暗殺者でしたから、ナギが地下通路で暗殺者とあの時間に戦っていたことは分かっていました。私は攻撃魔術士なので回復魔術を使えません。ウスヴァ様が考えた攻撃魔術の応用方法で、ナギの傷を塞ぎました。だから、私がナギを救えたのはウスヴァ様のお陰なのです」
「だってよ」
ナギがサヤカに目配せするように、にっと笑った。サヤカは釣られて少しだけ口角を上げた。
「アスカ陛下が許して下さるなら、カーモスにいる間はサザはユタカの代わりに私が護ろう」
「おかあさ……」
「よしよし。私も手伝うぜ」
ナギの腰に抱きつくようにして涙顔を押し付けたサザの頭をわしわしと撫でながら、ナギは宥める様に言った。
「おれはおれで、陛下とリヒトと協力してイスパハルで出来ることをやるよ。国民はカーモスに対して持ってるのは暗い感情だ。少しずつ、ゆっくりになるけどちゃんと話をしていきたい。サザと離れ離れになるのは二回目だけど、今度はちゃんとサザを信じて、ずっと待っているから。おれももう少し、サザと離れても大丈夫なくらいは強くならないと」
ナギはサザの肩を抱いてにっと笑った。サザは満面の笑みを返す。
「うん。私も頑張る」
「私も、全力でやります」
サヤカが玉座の上から頷いた。
ユタカはサザを残して帰路についた。二人がもう一度出会うことになるのは、それから一年後の事だった。
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