41.リヒト

 空高く晴れた秋の今日は、カーモスからの帰路の馬車に乗っていた日と同じような素晴らしい秋晴れだ。


 業務のために国王の執務室を訪れたユタカに、アスカが尋ねた。


「リヒトが留学から帰ってくるのはそろそろだったな。サザは最近どうだ?」


「元気そうです。最近はリヒトに会えるのを楽しみにしてますね」


 一連の事件があってから丁度一年が過ぎようとしている。

 事件の間は過労で倒れ療養中ということになっていた王子妃サザ・イスパリアが元気を取り戻したと言う知らせは国民を安堵させた。イスパハルは変わらない平和な日常が営まれている。


 カーモスは一連の事件以後、一切の動きを見せず沈黙していた。予想通りウスヴァに代わってサヤカが君主となったことに対する公式の報告はもたらされたが、それ以上のことは分からなかったし、アスカとユタカはこれ以上事を荒立てず静観することが最も良いと判断していた。

 事件の後イスパハルに戻って暫くはアスカの計らいで休んでいたサザも、一ヶ月程後には元通りに業務に復帰してカズラとアンゼリカと共に任務をこなすようになっていた。


「あれから一年か」


 アスカは小さなため息を付いて、つぶやくように言った。


「おれはサザがサヤカを殺そうとした時、サザを止めたんだ。でも、サザの目を見たらそれ以上の言葉が出なかった。おれはサクラが殺された時に同じことを思ったからな。お前とカズラとアンゼリカは本当に、よく止められたと思うよ。お前は本当に強いな、おれよりもずっとずっと」


 アスカの言葉は喜ぶべきかもしれないが、ユタカの心の内に浮かんだのは違う考えだった。


「……本当に一番強いのは、サザだと思います」


 ユタカの答えが意外だったらしいアスカは、少し考え込むように顎に手を当てて暫し沈黙し、もう一度口を開いた。


「そうだな。確かにその通りだ。あれだけの苦難を乗り越えて生きてきたのだからな」


 他愛の無い日常は、サザとユタカが苦難の末に勝ち取ったかけがえのないものだ。

 しかし、夜に寝室で揺らぐオイルランプの炎を見つめている時やふと空を見上げて風の音や鶫の歌声に耳を澄ます時。ふとした瞬間にサザが息を飲むくらい悲しそうな瞳をしている事があった。

 そんな時に思わずユタカが声をかけるとサザははいつも「何でもないよ」と言ってすぐに微笑む。悲しみの色はそうして一瞬で消えてしまうのだが、ユタカはサザがウスヴァとナギへの悲しみの残滓を確かに抱えていることを感じていた。そして、それはユタカも同じだった。


 しかし、ウスヴァの求めた和平についてこれ以上出来ることがあると思えなかった。ウスヴァの死によって解決の術は永遠に失われたのだ。

 ユタカとサザはできることは、ウスヴァとカーモスの一切を忘れること、心の奥底に全てを仕舞い込むことだと思った。


 そうしてサザとユタカの日常は表向きには何の問題もなく過ぎて行ったのだった。


 −


「父さん、母さーん」


「リヒト‼︎」


 ユタカとサザは海に面した領地ソーホの港にいた。遠く離れたタイカ王国に長く魔術を学ぶために留学していたリヒトが帰ってくるのを、二人は迎えに来たのだ。

 ソーホはイスパハルで最も大きな港のある街で、外国から着く貨物を積んだ船でいっぱいだ。その中でも一際大きな帆船から降りてきたリヒトの影を認めると、走って行って飛びつくように抱きしめた。


 リヒトは黒く柔らかな布で出来た旅用のローブを羽織って、大きな鞄を引き摺るようにして持っている。きらきらした銀色の髪が潮風に煽られ、ふわりと揺れて輝いた。


「恥ずかしいからやめてよ」と頬を赤くして言いにくそうに言うリヒトにサザが「久しぶりなんだからいいじゃん」と渋々身体を話すと、サザに遅れてリヒトに駆け寄ってきたユタカが笑った。


「お帰り、元気だったか?」


「うん。ばっちりだよ」


「随分背が伸びたね、びっくりした」


 リヒトはもうすぐ十四になる。サザよりもずっと小さかった筈の背はサザと同じ位になっていた。顔つきも鼻筋や輪郭がすっと整い、少年というよりも青年の雰囲気を纏っている。

 少し会わないだけでこうも変わるのかとサザはリヒトの成長に驚いて何だか急に涙ぐんでしまい、二人に気付かれない様にそっと鼻を啜った。


「へへ。僕、だいぶ成長したからね。魔術だってすっごく上達したんだ。学年で一番だったんだよ」


「すごいな。本当に頑張ったんだな」


 三人は王都トイヴォへと戻る馬車に乗り込む。ユタカとサザが並んで座り、リヒトがそれに向かい合うようにして座った。


「魔術の学校ってどんな感じなの? 先生は怖い? 友達は?」


 待ちきれないサザが矢継ぎ早に質問をするのでリヒトは困った顔で笑いながらも一つずつ丁寧に答えてくれた。


「あのさ、僕、会ってみたい魔術士の人がいるんだ。同じ学校の卒業生で、どの先生もここ百年で一番優秀だったって口を揃えて言ってた人なんだ」


「へえ……それはすごいね。是非会ってきたら」


 サザの返事とは裏腹に、リヒトは銀色の睫毛を伏せて表情を曇らせた。


「でも母さんと父さんは、会っちゃ駄目って言うかも」


「どうしてだ? そんな事言わないよ」


 リヒトは躊躇うように唇を舐めると二人の瞳を交互に見つめてから口を開いた。


「……ウスヴァ・カーモシア国王陛下なんだ。カーモスの」


「え……」


 自分の答えに両親が明らかに動揺したのを見て、リヒトは心底申し訳無さそうに口角を上げた。リヒトのそんな表情もすごく大人びて感じるが、サザとユタカの考えはそこでは無かった。


「ごめん、やっぱり駄目だよね。やめとく」


 リヒトが気まずそうに目を伏せて言うと、ユタカが大きく首を振る。


「いや、違うんだ。リヒトがいない間にカーモスとの間に色々なことがあって」


「色々なこと? 何?」


 リヒトが心配そうに眉を寄せる。サザは一気に蘇ってきた記憶にどくりと心臓の脈打つのを感じ、自分を落ち着ける為に深呼吸をした。


「少し長くなるけど、話をしてもいい?」


「……うん」


 サザとユタカの真剣な表情にリヒトが神妙な顔で頷く。馬車の中で二人は事のあらましを少しずつ話し始めた。

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