46.奇跡の眷属

 サザがユタカと別れ、サヤカとナギと共にカーモスを立て直す大仕事を終えたのは、サザがカーモスに残って一年後の事だった。二人が離れ離れだった間にサザは二十六、ユタカは二十九になった。


 サザはナギとサヤカと共に彼女が最初に領地イーサでやったやり方と同じ様に、街の人の所へ出向き徹底的に話を聞いた。サザはどんなに辛い言葉をかけられても辛抱強く決して諦めなかった。くじけそうになっても、ウスヴァが遺した想いを胸にして、サヤカとナギの強力な後ろ盾を拠り所にしてサザはやり抜いた。

 それはイスパハルとカーモスの両国で唯一、明らかにサザにしか出来ないことだった。サザはたとえ遠回りに見えても結局それ以外のやり方は存在せず、そして大切だと、領地イーサと王都トイヴォで同じ事をして散々理解してきたからだ。

 サザが戻った後も元々頭脳に優れた優秀な魔術士であったサヤカは弛まぬ努力でカーモスを纏め、後世のカーモスの歴史に名の残る君主となった。全てはウスヴァの遺した想いによるところだ。


 サザ達が奮闘するのと同じ頃、ユタカとアスカはひたすらに、サザがカーモスへ行った本当の理由、サザがやろうとしていることを国民に説得することに徹した。

 リヒトはウスヴァの遺した研究資料をサヤカに求め、それを分かりやすくイスパハルの国民に伝える事に徹した。


 全ての弛まぬ努力によって、イスパハルとカーモスの国境は和解の証としてついに全てが自由に開かれた。人々はカーモスとイスパハルの何処を行き来するも自由となった。今までの両国の長い争いの歴史からすれば、到底考えられない未来だった。


 サザ達が行動し始めた当初は裏があるとひたすらに訝しんでいた両国の国民はそうなってから初めて、それが最も自分達の求めていた平和だと理解したのだ。自分達の最も求めていたことはこんなに近くにあったことに自分達自身も驚き、喜んでいた。


 −


 遂にサザがイスパハルへ戻った翌日、無事を報告するために、サザはアスカ、リヒトと一緒にユタカの母である女王の墓参りに来ていた。公式の場では無いのでユタカとリヒトとアスカはシャツにズボン、サザは綿のワンピースという普段着だ。


「全員揃ってここに来るのは久しぶりだな」


しみじみとアスカがつぶやく様に言った言葉に、サザは懐かしい気持ちで応えた。


「ええ。私がカーモスに立つ前日でしたね」


 女王サクラの墓はイスパハルの王都トイヴォからは少し離れた、代々続くイスパハル王族の墓地とされている森にある。ユタカとアスカはそれぞれ馬に乗り、サザはリヒトが馬に乗せてくれるというので一緒に乗せてもらった。少し見ない間にまた広くなった背中はそれだけで頼もしくて、サザは嬉しさとほんの少しの淋しさが胸に湧き上がるのを感じた。

 墓地は、ずっとずっと昔、サザがまだユタカに暗殺者である事を隠していた頃にアンゼリカとカズラと共に隠し持っていたナイフを捨てようとした池の傍らにあった。


 サクラの墓に順番に祈りを捧げた後、四人は暫く池の周りで休憩をした。

 イスパハルで信じられている神である森の乙女が水浴したという伝説があるその池は木漏れ日の合間から注ぐ日の光が筋になって、何処までも澄んだ湖面の中心に降り注いでいる。池の水はひたすらに澄み、その単純な美しさにサザは心が洗われるような神々しさを覚えた。


 その時、リヒトが唐突に声を上げた。


「あれ、ちょっと待って。近くで赤ちゃんが泣いてる声がする」


「え? 私達以外に誰も居なかった気がしたけど、居たのかなあ?」


 リヒトが目を細め首を傾げる。小さな音に神経を集中する時の彼独特の仕草だ。


「うーん、でも何か変なんだ。赤ちゃんはずっと泣いてるのに、あやしてる大人の声がしないんだ。赤ちゃんはひとりぼっちみたい」


「え……?」


 ユタカとサザは思わず顔を見合わせた。アスカが慌ててリヒトに言った。


「こんな森で赤ん坊を一人にしておいたらすぐに死んでしまうぞ」


「……あっちの方」


 リヒトが森の奥を指差した。確かにそう言われてみると、森のざわめきと鳥の声に混ざって、微かに何処かで小さな赤ん坊の声がするのが分かった。


「行ってみよう」


 ユタカの言葉にサザ達は頷く、木々の間をゆっくりと進みながら森に入っていった。歩き進めるたびに、赤ん坊の泣き声がだんだん近づいてくる。

 四人は一際大きな白樺の木の下で、真珠色の柔らかな布に包まった何かがもぞもぞと動いているのを見つけた。

 走り寄ったサザが布を捲ると、中にいたのは声の主の赤ん坊だった。ばたばたと手足を動かしていた。亜麻色の髪に大きな薄荷色の瞳の男の子だ。


「赤ちゃん……捨て子? こんな所に?」


 サザが思わず抱き上げると、想像よりもずっと軽い赤ん坊の身体に驚く。しかし、サザ達はついさっきまでこの近くにいたのだ。誰かが赤ん坊を置いていったのであれば気がつかない筈ない。


「あのー! 誰かいますか!」


 リヒトが周りを見渡して声を張り上げるが、返事はない。四人を包むのはただ、優しい木々のざわめきと木漏れ日、小鳥の囀りばかりだ。赤ん坊の状況からして捨てられているとしか思えないが、周りに人の気配は感じられなかった。


「置いていく訳にいかないから、一緒に帰ろうか」


「そうだね」


 リヒトはサザの腕の中で相変わらず手足をばたつかせる赤ん坊の頬を指先で優しくつついて言った。


「笑ってるよ、可愛いね」


 赤ん坊は花が咲いた様に笑って、四人は釣られて思わず笑顔になった。その時ふと、サザは思った方があった。


「この子、ウスヴァとおんなじ目と髪の毛の色してる」


「……本当だ、すごい偶然だな」


 赤ん坊は動くのが信じられないほどの小さな小さな手でサザの指をぎゅっと掴んだ。サザは握手する様に手を揺らすと赤ん坊は笑い声を上げた。


「あの、この子と一緒に暮らしてもいいでしょうか」


サザがアスカに訊ねると、アスカは微笑んで言った。


「ユタカとサザがよければ勿論、おれが言う事は何もない。こんなに可愛い子だ」


「……ああ、おれもそう言おうと思ってた。リヒトは?」


「うん、この子は僕の弟だ。決まりだね」


「良かった。じゃあ赤ちゃん、一緒に帰ろうね。早く名前を考えなきゃ」


 赤ん坊をそっと抱き止めたサザをリヒトが馬の上に引き上げる。四人はサザの腕の中の赤ん坊を見守りながら、ゆっくりとイスパハル城への帰路に着いた。


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