Ⅲ:同じ血が流れるということ

15.秘密 ―yutaka

 ユタカは協定の締結から帰国したアスカから話を聞くため、アスカの執務室を訪れていた。


 アスカの出かけていた北の小国は、人間の生きられる北限とも言われる厳しい環境の島国だ。祖先は狼であるという伝説を持つ人々は狩猟を主とした伝統的な暮らしの中で生活しているというが、豊富な鉄鉱石や宝石の産出国だという側面もある。そのため、過去にその資源を狙った他国からの裏切りと侵略を受けたことから前君主は極めて保守的で他国との国交をほぼ完全に遮断していた。


 しかし、前君主の崩御により新たに君主となった若い女王は、国の方針を大きく変えて国交を取り戻し始めたのだ。『狼娘』の二つ名を持つ女王は他国から法務に優れた者を集めて極めて厳格に精査した契約書を作っている。

 そして協定を締結した国への資源の輸出を許す代わりにその国が持つ医療や土木技術、作業人員を提供するよう求めているのだ。イスパハルも今回の契約により資源の輸入の代わりに魔術医師と土木工事のための人員を派遣することになっている。女王は国民からの反発にも遭いながら、自らの声で丁寧な説明を繰り返しているという。何とかして国をより良い方に向かわせようと新たな道筋を必死で模索しているのだ。ユタカは同じ君主という職務に着く身として、女王に素直な敬意を抱いた。


「協定の締結は特に問題なく済んだけど、女王陛下がお前に会いたがってたよ。手紙を書いてくれるか?」


「おれも残念です。直ぐに書いておきます」


 その時、ドアがノックもせずに蹴り飛ばすような勢いで開けられた。その音に驚愕したユタカとアスカが振り向くと、転がり込む様にカズラとアンゼリカが部屋に入ってきた。


「お……お疲れ様。どうしたんだ?」


 二人は肩で息をしながらもつれ合う様にしてユタカ達のまで歩み寄った。


「……サザが」


 息を切らしたアンゼリカが呼吸と一緒に一言だけ口にした。


「サザ? 一緒じゃないのか?」


「……サザ・イスパリアが任務から帰還しませんでした」


 アンゼリカの一言に、同じく息をきらしたカズラが付け加えた。


「え?」


 ユタカはその言葉に、心臓がどくんと大きく脈打ったのを感じた。


(サザが帰ってこない?)


 最も危惧していたが、しかし同時に最も現実離れしていた状況だ。聞いた言葉が脳に上手く染み込んでいかない。ユタカは一度深呼吸した。二人の只ならぬ雰囲気を感じ取ったアスカは目を細め、部屋にいた召使いに席を外させた。


「詳しく聞かせてくれるか?」


 四人は執務室にあるソファに向かい合って腰掛けた。カズラとアンゼリカの頬は涙が流れた跡がそのままになっていた。カズラとアンゼリカからあらましを聞いたユタカは思わず、座ったまま俯いて頭を抱えた。状況から考えて、馬に付いた血は十中八九サザのものだろう。血が滴り落ちるほどであればそこそこの深手だ。

 話を聞くうちに「サザが帰ってこない」というふわふわした言葉が、どんどん現実の重さを伴ってユタカの胸に迫って来た。心臓の鼓動が一秒ごとにどんどん激しくなっていく。ユタカのこめかみを汗が流れ落ちていった。


「でも、サザがこの任務で負傷するなんてどう考えておかしいんです」


 沈黙するユタカとアスカに、アンゼリカが沈鬱な表情で呟いた。


「その通りだ、何があったのか見当がつかないな」


 ユタカとアスカはいつもの様にサザ達から事前に十分に作戦の説明を受けている。この偵察で戦闘になることは考えられない。勿論、どんな任務でも「絶対に安全」は存在しないが、この三人の日頃の仕事ぶりならそれを本当に「絶対に安全」に出来る筈だ。サザは恐らく、それを上回る全く予期しない方法で襲われたのだ。

 そして、先日のウスヴァが関係している可能性が高い。あの時のように巧妙な手を使ってサザを陥れたのだろう。


「どうにかして、サザを助けに行かねばなりません。このままだとサザは犯罪者にされるでしょう」


 カズラがユタカの目を見て、不安げな表情を隠さずに言った。


「そうだ。一番の問題はそこなんだ」


 サザがイスパハルの王子妃としてでなく、イスパハルの密偵としてカーモスに捕まったのなら、不法侵入者としての裁きを受けることになる。つまり、カーモス側から見てに犯罪者とされてしまう。今回はウスヴァ側が先にサザを負傷させているのだから、サザを犯罪者にするのはこじつけではあるが、ウスヴァならそれをねじ伏せて正当な行為だと訴えてくる頭がある筈だ。確実な勝算があっての行動だろう。


「兎に角、何とかしてサザを連れ戻さないといけない。ただ、戦争も回避しなければいけない。何かいざこざが公に露呈すれば、それが戦争の火種になるかもしれない。表沙汰にはできないな」


「ええ。慎重に行くべきでしょう。そしてサザは多分、ウスヴァの所にいると思います」


 ウスヴァ達はサザがカーモスの人間になることを望んでいる。この間の謁見で首を縦に振らなかったサザを無理矢理手に入れようとしたのだろう。今回の事件がウスヴァの主導であることはほぼ間違いない。しかし、ユタカのその言葉にアスカは片眉をぴくりと動かした。


「ユタカ、どうしてお前はそう確信できるんだ? 確かにその可能性はあるが、本当にウスヴァが噛んでいるか、今ある情報だけでは分からないだろう」


(そうだ。ウスヴァがサザをカーモスの君主として欲していることを陛下は知らないんだ……)


 サザの母親がアスカの妻を殺したことは絶対に隠しておかないといけないが、ウスヴァがサザを欲していることは隠したままで救出作戦を立てるのは難しい。殊更慎重に進めるべき作戦で、国王と綿密に意思の疎通ができなければ失敗もあり得る。

 ユタカはアスカに悟られないように咄嗟に頭の中で言葉を選び直した。


「先日のカーモス行きの一件で、陛下に伏せていたことがあります」


「伏せていた? 何のことだ?」


 ユタカの言葉に、アスカはぐっと眉を顰めた。カズラとアンゼリカが目を見開いて息を飲む。


「王子……それは」


 アンゼリカがユタカの言葉に思わず立ち上がろうとしたのをユタカが手で制した。


「責任は全部おれが取る」


「……」


 アンゼリカはユタカの言葉に押し黙ると不安げな表情のまま、もう一度ソファに座り直した。


「一体何のことだ?」


 ユタカは隣に座るアスカに向き直った。


「カズラとアンゼリカは既にそれを知っています。サザが直接話したんです。陛下に隠していたのはおれとサザの責任です。どうかこの二人を責めないでもらえないでしょうか」


「……分かった」


 アスカはユタカの言葉から只ならぬ雰囲気を感じ取ったらしく、静かに頷いた。


「ウスヴァはあの時、ある条件を飲めばサザを母親に会わせてやると提案したんです」


「サザの母親!? 生きてたのか!?」


「ええ、腕の立つカーモスの暗殺者だそうです。そこでサザは、自分の父親がカーモスの前国王のムスタであると告げられたのです」


「そんな……」


 ユタカの言葉にアスカが目を見開いた。


「ウスヴァはサザが王位継承権を駆使して君主としてカーモスに戻れば母親に会わせてやると言いました。しかしサザはそれを拒みました。サザはイスパハルの国民やおれ達、そして何より、陛下を裏切ることだけはしたくないと。そして、おれとサザはこの事実を秘密にし一切忘れようと考えました。このことが陛下と国民の知るところになれば、サザはイスパハルに居られなくなると考えたからです」


「それは本当なのか?」


「はい。黙っていてすみませんでした」


「あの子は、どれだけの血と涙を流せば、運命に愛してもらえるんだ? 神は一体どうして、こんなにサザを苦しませるんだ……」


 アスカはソファに腰掛けたまま、手で両目を覆って上を向き、大きなため息をついた。暫しの沈黙の間、ユタカとカズラとアンゼリカはアスカの次の言葉を息を飲んで待ち構えた。


「運命がサザを見放すなら、おれ達が守ってやるしかないだろう。一刻も早く作戦を立てるんだ。カズラとアンゼリカ、やってくれるな?」


「はい」


 カズラとアンゼリカはアスカの言葉に力強く頷く。その横でユタカは静かに一人、胸中に一つの疑問を抱えていた。


(陛下は、妻を殺したのがサザの母親だと知っても、サザに同じ事を言ってくれるんだろうか)


 ユタカはアスカの言葉を聞いてふと、思った。サザの安否が危ぶまれる今こそアスカに真実を告げる好機なのではないか。しかしユタカはその思いをすぐに打ち消した。


(……駄目だ。このことは秘密にするとサザと約束したし、もし陛下がサザを見放したら)


 ユタカが言えなかった真実を、もし、アスカが知ったら。想像の付かない未来があまりに恐ろしくて、ユタカはそれ以上は考えるのを止めてしまった。

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