14.帰ってこないなんてことが、あるはずがない

 意識を失って落馬したサザを背の高い女が横抱きに抱きとめた。先程サザに手刀を食らわせた人物だ。サザの馬はイスパハルの国境へ向かって、主人を乗せないままに走り去って行った。女は怪訝そうな顔つきでサザの顔をしばし覗き込んだ後、地面に横たわらせた。


 その女は男と見間違うような背の高さと豊満な体つきに深緑の瞳で、頭はごく短い金色のショートヘアだ。腰に暗殺者がよく使うサザと同じようなナイフを二本下げている。女は見た目からすると四十手前と思われるが、先程サザに対する正確な攻撃から考えると、およそその年齢とは考えられない身体能力だ。

 男物と思しき黒いシャツと所々に穴が空いた黒い革のズボンの上下は、ぼろぼろであること以外はサザ達が仕事の時に着ているものによく似ている。

 顔や身体には多くの刀傷と鞭の跡があるが、気にしていないのかそれしか服がないのか、特に隠そうとする様子はない。女はどうやら暗殺者のようだ。

 そこへ、馬に乗ったウスヴァとサヤカが合流してきた。二人は馬を降り、横たわるサザの傍らへ歩み寄った。


「容態は……」


「生きてる。気ぃ失ってるだけだ」


 慌てた様子のウスヴァに女がつまらなそうに応える。ウスヴァはサザの傍らにかがみ込むと呪文を詠唱し始めた。回復魔術をかけているようだ。背の高い女がその間にサザの身体を横向きに転がし、腰に下げていたロープでサザの手を後ろで固く縛り上げている。この状況を最初から見越して持ってきていたようだ。

 女は腰に下げていたナイフの一本を抜くと手際よくロープの端を切った。女は次にサザの脚を縛り上げると立ち上がり、ウスヴァとサヤカに向き直って言った。


「この小娘、なんかふらふらしてると思ったら、既にすげー怪我してんじゃん。手加減したよ。こんなんじゃ私が攻撃する必要なんて無かっただろ。酷い怪我してる奴をさらに痛めつける気だったのか? 悪趣味すぎるぞ」


 サヤカが女の正面に向き直り、一睨みしてから口を開いた。


「この娘は非常に腕の立つイスパハルの暗殺者だ。どんな抵抗をされるか分からないから念には念を入れた。カーモス随一の腕の暗殺者のお前なら、確実に止められるだろうからな。お前にはもう一仕事、続けて依頼をしている。イスパハルからの不法侵入者の駆逐だ」


「面倒くせえな……息子さえ人質に取られてなかったら、組織なんか全員皆殺しにして脱走してるわ」


「お前、さっきから何という口の聞き方を!」


 サヤカが遂に堪えきれなくなったらしく、暗殺者の女に向かって声を荒らげた。女は特に驚く様子も無く、サヤカを怪訝な顔で見つめ返す。サヤカはため息を付き不服そうな表情をありありと残しながら、もう一度女をきつく睨みつけた。


 サヤカと女が無言で睨み合う中でウスヴァの回復魔術の詠唱の淡々とした口調だけが静かに森の木々の間に流れている。

 程なくして、魔術の詠唱を終えたウスヴァが膝についた草を払い落としながら立ち上がった。サザはまだ意識のないままで手足を縛られて地面に寝かされているが、先程よりは苦しげな表情が和らいでいる。無事に回復したようだ。

 ウスヴァに向かって腕組みをした女が口を開いた。これ以上サヤカと会話をするのは無益だと思ったらしい。


「てか、イスパハルでは暗殺者はめちゃくちゃ嫌われてるんだろ? 暗殺者はやってけないんじゃ無かったのか?」


「最近は時代が変わって、遂にイスパハルにも暗殺者部隊が出来たんですよ。彼女はそこの長です」


「こんな小娘が暗殺部隊の長だと? まあ、これだけの怪我してんのにまだ逃げようとすんのは相当な精神力だな」


 女の物言いが気に入らないらしいサヤカが、ウスヴァとの会話に割って入るようにウスヴァに一歩近づき、口を開いた。


「ウスヴァ様。宰相達との打ち合わせでこの娘は城に戻り次第地下牢に繋いでおく手筈になっております」


「地下牢? そんな話は聞いてない」


 ウスヴァはサヤカの言葉に表情を曇らせた。特に動じた素振りを見せずにサヤカは大袈裟にため息をついてから、話を続ける。


「言うまでもなく、当たり前でしょう。この娘は今はただの不法侵入者です。罪人であれば牢屋に入れるべきでございましょう。あなたは国王としての十分な判断を下すには、まだ若すぎます。私達宰相の意見に従うべきです。ご自身でも分かっておいででしょう」


「……駄目だ。この人は僕の姉なんだ。牢屋になんて入れられない。僕の部屋においてくれ。手足を拘束していれば牢屋でも僕の部屋でも逃げられないのは同じだ」


「ウスヴァ様。先日の王子と王子妃の来訪の時ムスタ様を『民を蹂躙した』と仰いましたね。私達宰相は青ざめましたよ。ムスタ様こそがカーモスを導いてくれた素晴らしい君主なのです。この世で唯一ムスタ様の血を引くウスヴァ様の目標となるお方です。あなたが目指すべきなのはムスタ様と同じく、イスパハルの征服で、これはその第一歩なのです。イスパハルが手に入れば民の生活も潤ったものになります。これは、ムスタ様の意思を引き継いでカーモスの進むべき道を判断しております宰相達の判断です。私にお従い下さい」


 表情は崩さず、先程よりも強い口調でサヤカが続ける。ウスヴァはそれに負けじと言い返す。


「それは出来ない。それに、父のやったことは間違っている。僕は散々勉強してそれが分かったんだ。

 ……それに、サヤカや宰相達が牢屋に入れるべきと判断したとしても、最終的には国王の僕の判断が下らなければ実行出来ない筈だ」


 サヤカは小さな溜息をつく。暫しの沈黙の後、静かに口を開く。


「……分かりました。ウスヴァ様がどうしてもと仰るのであれば、今回は他の宰相達にはそのように伝えましょう。ただ、我儘がすぎると私達も受け入れられなくなりますので。どうぞお気をつけ下さい」


「……」


 ウスヴァはサヤカの言葉には答えず、ただ唇を噛んで俯いた。


「おい、話終わったのか? 長えんだよ」


 暗殺者の女が苛立ちを隠さずにウスヴァとサヤカの会話に割って入った。サヤカは憎らしげに女に向き直ると、きっぱりと言った。


「鬱陶しい。失敗に囚われた哀れな暗殺者め」


「……黙れよ」


 女はサヤカを睨みつけ、心底憎そうな掠れた声で言った。サヤカは睨みだけで人を殺しそうなほどの女の気迫に唾をごくりと飲み、一瞬たじろいだ様子を見せたが、直ぐに元の表情に戻り、女に言った。


「この娘の仲間の暗殺者二人が、娘を助けるためにカーモス側へ侵入してくる筈だ。森の入口に待機させている兵を使って次はその二人を捕まえる。お前はその娘を森の入り口の馬車に乗せたら、また持ち場に戻れ」


「……」


 女はサヤカを一瞥すると、意識の無いサザを肩に担ぎ上げた。三人は森の出口の方向へと歩き出した。


 —


 遠くイーサの教会の鐘の音が風に乗って、正午を告げる。カズラが集合場所で耳を澄ましてそれを聞いていると、馬を走らせたアンゼリカが帰ってきた。


「お疲れ様。ちょうどだな」


「あれ? サザは?」


「まだだ」


「珍しいわね、サザは大体早め行動なのに」


「サザは一番遠い国境が持ち場だったからな。少し待とう」


 二人はそのまま暫く待ってみたが、一向にサザが現れる様子が無い。


「来ないな。まさか、サザに何かあったとは思えないが。さっき決めた通り、サザの持ち場の国境をイスパハル側から確認しよう」


「そうね。何か胸騒ぎがしてきた……早く行こ!」


 二人は馬を走らせ、サザの持ち場へと急いだ。二人はサザが「雛鳥が巣から落ちてたから戻してやってた、ごめんごめん」なんて言いながら木の上からひょっこり顔を出す事を祈りながらサザの持ち場を走り抜けたが、サザの姿は見つからない。

 遂にサザの持ち場の国境の全域を通り抜けてしまった。


「カズラ! あれ!」


 二人が馬を止めたところで、アンゼリカがカーモスの方向を指さした。一頭の乗り手のいない馬がこちらに向かって走ってくる。二人は国境を超えてイスパハルへ入ってきた馬と並走して追いかけると、アンゼリカが上手く手綱を掴みとり、何とか止めた。


「サザの馬じゃん。何でサザは馬に乗ってないの……?」


「おい、アンゼリカ。これ……」


 カズラがサザの馬の背を指さす。馬の背中に、滴った血がついている。二人は全身の血の気が一気に引くのを感じた。


「カズラ、サザを探しに行こう。カーモスに入らないと!!」


「……駄目だ。さっき三人で決めただろう。誰が帰還しなかったらすぐさま帰るって。私たち二人だけでカーモスに入るのはそれに反する」


「だってサザが……サザが帰ってこないなんて……!」


「そんな事は私だって分かってるんだ!!」


 カズラがアンゼリカに向かって急激に声を荒らげた。

 アンゼリカはその気迫に驚き、びくりとしてカズラを見た。


「私だって、今すぐにサザを助けに行きたい。でも、あのサザが。あのサザが帰ってこないんだぞ。これは罠かもしれない。今助けに行って私もアンゼリカも戻れなかったら、今度こそ、もうサザを助けられないんだぞ!」


 カズラは半ば自分に言い聞かせるように言いながら、涙を流していた。アンゼリカはカズラの真剣な表情に息を呑み、同じくぼろぼろと涙を流した。


「……ごめん。私が間違ってた」


 アンゼリカが鼻を啜り、手の甲で目を擦ってから、カズラを真っ直ぐに見て言った。


「アンゼリカは間違ってない。世間一般には私の判断のほうが鬼畜だろう」


 カズラが頬の涙を拭いながらアンゼリカを見つめ返す。


「とにかく早く城に戻ろう。何より王子に早く伝えないと」


 二人は国境を後にしてイスパハルの王宮へと全速力で馬を走らせた。

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