13.陰謀

「イーサに来たのは久しぶりだけど、やっぱ自然が溢れていいとこねえ。老後はこういうど田舎で送るっていうのもいいなあ」


「アンゼリカ、それは褒めてないぞ。サザ。元イーサ領主様に言っておけよ」


「はは……ユタカはそれくらいじゃ怒らないよ」


 サザはカズラとアンゼリカと共に予定通り、カーモスの国境付近の偵察の任務へ出かけた。

 朝早くに出発したサザ達三人は二日かけて国境までたどり着くと、三日かけて少しずつカーモスの国境の偵察を行った。南の領地リモワから北の領地イーサに渡るのが、イスパハルとカーモスの国境の全域だ。今回は所々でカーモス側に侵入したが、万が一見つかっても確実に逃げられる範囲を厳守しているので危険は無い。主に馬を使って移動したので重労働も少なく、普段三人が受ける他の任務と比較するとかなり軽いものだ。


 カーモス側には特に動きは無いようで、特に警備が増強されている様子は見られなかった。

 また、戦時中はサザ達がイスパハルに逃げてきた時は国境のカーモス側にはイスパハルに逃げる市民を殺すための暗殺者が配備されていたが、それも見られなくなっていた。ウスヴァは暗殺者の配備を止めたようだ。しかも、警備に当たっている兵士も身振りの様子からほぼ素人に感じられる者も多い。人手不足なのだろうか。


 野営はイスパハル側でしたのでそれもまた危険はなく、ただの野営の感覚だった。焚き火を囲んで「最近王子とはどうなのよっ」とにやにやしながらアンゼリカが聞いてきた。

 アンゼリカが期待している話が何か察しはついたが、サザは昨夜の酒に酔ったユタカのことが引っかかっており、思わず反応してしまった。サザは、ユタカが心配そうな表情で「大好きだよ」と言っていつも以上に何回も抱き締めるので何だか恥ずかしくて顔を直視出来なかったが、そういう時はどうしたら良かったのかと二人に聞いてみた。

 それを聞いたカズラとアンゼリカはじたばたと身悶えして、「酒がないと話せない、酒がある時に続きを聞かせろ」と語気を強めた。


「今日で任務も終わりだね。国境はあと三十キロくらいだから、今まで通り十キロずつ分担しよう。半日もあれば終わるよね」


 サザはカズラとアンゼリカを見て言った。二人は頷く。


「おっけー! じゃ、こういう誰でも出来る仕事分担はいつも通り……じゃーんけん、ぽん!」


 三人はふり被って手を前に出す。サザがパーで、カズラとアンゼリカはチョキだ。


「また負けた……!」


 サザは自分の出したパーの手をわなわなと震わせながら馬の背の上で項垂れた。


「寧ろ勝ったことある? サザは人が生まれ持てる能力の全てを暗殺に全振りしてるわよねえ」


「サザ、それだけナイフが強いんだからじゃんけんの勝負運くらいは諦めろ」


「うう……二人とも冷たいよね。じゃあ、負けた私が一番遠い国境を担当するよ。まあ、イーサは私が一番慣れてるしね」


 カズラとアンゼリカがじゃんけんをすると、カズラが勝った。


「じゃ私はサザとカズラの間の国境十キロを見るわね。この辺は平地だから楽ね」


「私はこの場所から十キロを見るな。終わったらここに集まろう。イーサの教会の鐘の音が聞こえるな。今八時だから集まるのは十二時だ。あと、念の為だが確認だ。もし待ち合わせ時間に誰かがここに現れなかった場合、残りの二人はイスパハル側からその人物が担当した国境を確認する。それで何も分からなければすぐさま帰還する。決してカーモス側には渡らない。全滅を避けるためだ」


「うん大丈夫。これまでと一緒だしそれでいこう」


「まあ、そんな心配無いと思うけどね。早く帰ってご飯いこー!」


「今度はぱんけーき屋みたいに並んでる店は断固拒否するからな」


 三人はそれぞれの馬に乗って互いの目を見て敬礼し合うと、それぞれの担当した国境に向かって馬を走らせた。


 ―


 領地イーサにあるイスパハルとカーモスの国境は森の中にある。森の中を流れる川が国境となっているのだ。サザ達がカーモスから逃げ出した時は丁度雨が降った後で増水していたが、普段はごく浅い川なので馬で歩いて渡れてしまう。サザ達は追手を巻くためにあえて雨の日を選んだのだ。

 サザは馬のままで川を渡って越境した。川の水を飲み込みながらただひたすらに泳ぎきったあの時の記憶が蘇ってくる。レティシアと会えたのもここで最後だった。サザは身体を自分で抱きしめると大きく首を振り、無理やり頭の中の記憶を振り払った。


 サザはゆっくりと馬を歩かせながら耳を澄ませ、周りの気配に精神を集中する。遠くにカーモスの警備の兵が何人か目視で確認できたが、昨日までと同じで特に怪しい動きは見られない。


(やっぱり特に問題なさそうだな。でもウスヴァは何を考えてるんだろう)


 国境に沿って馬を歩かせていると、サザは遠くで馬の駆ける音がすることに気がついた。


(段々近づいて来てる?)


 急にこちらに向かってカーモス側から森の中を一直線に馬を走らせて近づいてくる人物が現れたようだ。足音からして、馬は二頭だ。明らかにこちらに気がついていての動きだろう。何故見つかったのだろう。


(……逃げよう)


 サザが今いる場所はイスパハルとの国境から一キロも離れていない。馬を走らせればすぐにイスパハルに戻れる。それに、謎の人物達とはまだかなりの距離がある。サザは馬を振り向かせ、イスパハルに向かって一気に全速力で走らせた。

 その時、サザの遥か後方で、短く魔術の詠唱する声がした。その瞬間に空間が歪んだような目眩とともに、どん、とサザの腹にものすごい衝撃が走った。


(な……!)


 胃が潰れるような激しい痛みと共に、喉の奥から血が溢れてきた。


(何が起きた……!?)


 絶対におかしい。強い攻撃魔術は呪文の詠唱に時間がかかる。あんな短い呪文の詠唱ではこんな攻撃が出来るはずがないのだ。自分の身体に何が起きているのか全く分からないままサザは必死で体勢を直すが、謎の攻撃の衝撃が大きく、体が震えて落馬しそうになる。サザはどうしようもなくなり、馬の速度を緩めた。


「う……」


 サザは何とか馬の背に両腕をついて上半身を持ち上げると、口の中に溢れてきた血を吐いた。

 サザの馬の速度が緩んだのを見て、馬に乗った人物が叫んだ。


「言ったでしょう、あなたは絶対にカーモスに戻ってくるって!」


 サヤカだ。


(何で……!)


 馬にまたがりながり震えるサザの真横まで、サヤカが馬で追いついた。サヤカのやや後ろにいるのはウスヴァだ。二人はこの間と同じ様にカーモスの灰色の軍服姿だ。

 サザのすぐ横でこちらを見つめるサヤカが、笑顔で言った。


「王子に蹴り飛ばされて私に回復魔術を施された時、傷の治りが妙に早いとは思いませんでしたか?」


「……?」


 サザは辛うじて肩で息をしながらサヤカの方を見た。サヤカは変わらず笑顔でサザを見つめながら続ける。


「私は本当は魔術医師ではなく攻撃魔術士なのです。魔術医師はウスヴァ様です。騙していて失礼しましたね。でも、王子妃も戦いの中で私達を欺こうとしましたし、おあいこですよね」


「サヤカ、早く……王子妃を回復させないと……」


 ウスヴァが慌てた様子を隠さずにサヤカに声を掛けるが、サヤカはウスヴァを振り向いて軽く会釈しただけで、そのまま話を続けた。


「ウスヴァ様はご留学先で回復魔術と攻撃魔術の応用方法について研究されておりました。これはその成果の一つを、私達宰相が更に応用した結果なのです。攻撃魔術士は、回復魔術が使えません。逆も然り。これはこの世界の魔術において絶対に覆せないルールです。でもウスヴァ様は、それを既存の魔術を応用することで部分的に可能にしました」


「ど、どういう……」


「あの時負傷したあなたの身体にかけられていたのは、回復魔術じゃなかった。私はあなたを回復させるふりをして時の魔術をかけ、あなたの身体を怪我をする前の姿に戻していただけです。時の魔術を解除したから、あなたの身体はあのとき王子の回し蹴りを受けた直後に戻ったんですよ。魔術の痕跡があなたの身体に残ったままだったのであなたが偵察をしに来たのもすぐ分かりました。王子妃自らがこんなに体を張って働いている国は、古今東西を探してもイスパハルくらいでしょうね」


 サヤカは目を細め、意味ありげに笑顔を深めた。


「私達は本当は、あなた達の腕前を見るために戦わせたんじゃない。あなたに死なない程度の重症を負ってもらうためだったんです。暗殺者と剣士が面と向かって戦わせられたら、絶対に剣士が勝ちます。誰でも分かることです。でも、あなたは王子にみすみす殺されるような腕前の暗殺者ではないでしょう? それに、あの王子が本当に妻を殺すとは思えませんし。イスパハルの王子は愛妻家だと有名ですからね。あなたはその驚異的な技術と判断力で、器用に命に別状のない重症の傷を負ってくれましたね。流石としか言いようが無かったですよ。思い通りに事が進みすぎて笑いそうになりました」


「……!」


 サザはサヤカの言葉を聞き終わる前にもう一度手綱を握り直し、イスパハルの国境に向かって全力で走りだした。ここでウスヴァ達に捕まったらもう逃げられない。


(捕まったらイスパハルに帰れなくなる……!)


 サザはもはや精神力だけで何とか手綱を握り、何とか国境に向かって馬を走らせ続けた。


(あと数秒だ! 数秒耐えれば、イスパハルに戻れる……!)


 国境を抜けさえすれば、もう安全だ。その瞬間、木の上からサザの真上めがけて人が飛び降りてきた。


(な……!?)


 その人物は飛び降りざまに、正確にサザの首筋に手刀を叩き込んだ。サザの意識はそこでぷっつりと途絶えた。

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