第2章 祝旅館

1 中川名二三

S字状の坂を降って祝旅館まで戻ってくる頃になるともう日は暮れかけていた。


ん・・・?

祝旅館の前に人影が見えた。

何だか落着き無さげにウロウロ歩いていたり、時折ふと思いついた様に手鏡を取り出して、ツインテールの髪型を整えたりしている。


弥栄さんでは無い。

女子高校生らしき制服を着ているので恐らく彼女は━━━


「ナっちゃん、久しぶり!」


マナミさんが声を掛けるとその少女は待ち人来たれり、と言った様子でパッと明るい表情になるとマナミさんにいきなり・・・抱きついた!?


「マナ姉さま!お久しぶりです!」


「聞いたよナっちゃん。今年も高校女子剣道個人戦、インターハイ圧勝で出場決定したんだって?」


「はい、今年こそは全国大会の優勝をマナ姉さまに捧げてみせます!」


「がんばってねナっちゃん。去年の全国大会は準優勝だったけど、私に言わせれば実質ナっちゃんの勝ちだったよ、あれは。やっぱり凄い子だよ君は」


「いえいえそんな。私なんてマナ姉さまの足元どころか、靴底にすら及びません!でもでも~!もっと誉めてください~!」


ナっちゃんとマナミさんが呼んでるので、彼女が中川 名二三なつみなのだろう。


マナミさんはまるで猫をあやすように中川名二三の頭を撫でている。


対する名二三は・・・マナミさんの顔に頬ずりしている!?


祝旅館から弥栄さんが出てきた。


「おかえりマナミ・・・って、私お邪魔だったかしら?」


弥栄さんは出てきたかと思ったら再び玄関先に隠れてしまった。

けど、顔半分だけ出してマナミさんと名二三の様子を伺ってる。

例によってその目はキラキラしている。


もしかしてこれって・・・。


「私偶然、たまたまここを通りかかっただけなんです。そしたらマナ姉さまと運命の再開を果たせるなんて・・・!きっとこれは私とマナ姉さまが運命の赤い糸で結ばれている証です!!」


絶対嘘だ・・・。

だってさっき旅館の前で挙動不審気味にウロウロしてたぞ、この子。


玄関先に隠れていた弥栄さんはここぞとばかりにマナミさんと名二三の間に割って入る。


「いけないわ!ナツミちゃん。女の子同士で赤い糸だなんて・・・!ああ、ダメよ!そう、それは決して許され無い、禁断の愛の物語なの!!」


弥栄さんはオーバーアクション気味に名二三をたしなめているが、絶対楽しんでるだろ、この人。


僕はこの場の空気の中、ちょっとどうすれば良いのか分からず、立ち尽くしていた。


と、ここでようやく僕の存在に気が付いた名二三は流石に気まずそうな表情になる。


「す、すみません私お客様の前で見苦しいマネを・・・し、失礼しました」


名二三はマナミさんの後ろに隠れるようにしながら僕達に謝った。


「ナっちゃん。この人はお客さんじゃないよ。この夏、祝旅館でバイトしてくれる人だよ。ホラ、お互い挨拶。挨拶」


「あ、僕はこの夏祝旅館で働かせていただく事になった本間鐘樹と申します。よろしくお願いします」


年下の子に敬語で自己紹介するのも変かなと思ったが、第一印象を良くした方がいいと考え丁寧に挨拶した。


「あ・・・。わ、私は寒戸関村の住人の・・・な、中川名二三と言います」


名二三はマナミさんの影に隠れながら少し警戒するように僕を見ている。


「カネちゃんはね、この夏の繁忙期の助っ人なんだ。私が東京行ってる間母さん働きっぱなしだったからね。少しでも休ませてあげようと思って連れてきたんだ」


マナミさんは名二三に説明するが、名二三は怪訝そうな表情を浮かべる。


「カネちゃんって呼んでるんですか・・・?えーと、マナ姉さまと本間さんは元々お知り合いなんですか?」


「そうだよ。同じ大学なんだ」


「そ、そうでしたか・・・」


名二三はマナミさんと僕の顔をキョロキョロ見比べている。


と、そこで弥栄さんが話に入り込んでくる。


「そうよ。ナツミちゃん。それでね、鐘樹さんとマナミは同じ屋根の下で暮らし、お互いに下の名で呼び合う仲なの」


「あっ」

「あっ」


僕とマナミさんは同時に同じ台詞をつぶやく。


そして一瞬の沈黙。


”火種投下”

何故か分からないが僕の頭にそんな単語が浮かんだ。



「ちょ、ちょ、ちょっとアンタ!マナ姉さまの何なの!?泥棒猫なの!?」


アンタ!?

泥棒猫!?

さっきまで敬語だったのに・・・。

僕は名二三の豹変にポカンとするしかなかった。


「いや、僕はマナミさんとタマタマ同じ大学で、たまたまアパートの部屋が隣同士なだけで・・・」


何で僕は言い訳っぽくこの子に釈明してるんだ?

いや、よく分からないけど多分これが一番の最善策だと本能が告げている・・・様な気がする。


懸命に釈明している僕に弥栄さんがスッと近づく。


危険!

危険!!

本能が僕に最大級のサイレンを鳴らす。


「そうよ。誤解しないでナツミちゃん。二人はたまたま部屋が隣同士なの。けど・・・若い男女が同じアパートの隣同士・・・。そこで何もおこらない訳が・・・。

ああ、いけないわ。私!神様。ハレンチな想像をしてしまう弥栄をお許しください!!」


弥栄さんの確信犯的セリフを聞いた名二三はキッ!と僕を睨みつける。

元々猫っぼいツリ目をさらにツリあげている。

マナミさんとイチャイチャしていた先ほどは猫みたいでかわいい顔だと思ったが、今はあからさまに攻撃的な顔をしている。


「いやいや、本当に!僕とマナミさんは何でも無いから!!」

「信用できないわ!マナ姉さまに悪い虫なんて近づけさせないんだから!!」


名二三はいつの間にか近くの自転車に積んであった竹刀を向けてくる。

え?何?これってどういう状況!?


「ああ!マナミを巡って二人の恋敵が争うなんて!!私の娘はなんて罪な子なのかしら!!」


もういい加減自重しれくれ弥栄さん!!


マナミさんも同じことを思ったのか、弥栄さんを慌てて旅館内に押し込む。


「ちょっとマナミ何するの!?ここは母としてこの場を見届ける責務が!」


「あー。悪いけど母さん、しばらく家の中にいて。ね!」


弥栄さんを無理やり押し込むと、マナミさんは乱暴に玄関の戸を閉める。


「二人とも落ち着いて。ナっちゃん、私からもハッキリ言うよ。私とカネちゃんはそういう仲じゃないから」


う・・・確かにそうだけどあんまりハッキリ言われると少し傷つくな・・・。


「はいはい。二人とも仲直り」

「マナ姉さまがそうおっしゃるなら・・・」


何はともあれ、マナミさんが場を立て直してくれた。


「あ、うん。改めてよろしく。中川さん」

「・・・よろしく」


名二三は不愛想に返事を返した。

どうやら弥栄さんのせいで名二三の僕に対する第一印象は最悪になってしまったようだ。


「あ、カネちゃん。この村に”中川さん”は三人いるんだからナっちゃんも下の名前で呼んであげて」


確かにそうだ。


えーと、そしたら・・・。


━━━━━━━━━━━━━━━

1.「改めてよろしく。”ナっちゃん”」

 マナミさんと同じく親しみを込めて”ナっちゃん”と呼ぶことにした。


2.「改めてよろしく。”ナっさん”」

 いきなり”ナっちゃん”と呼ぶのは馴れ馴れしいかと思い、”ナっさん”と呼ぶことにした。


3.「改めてよろしく。”ナツミさん”」

 恐らく考え得る限り一番無難な呼び方、”ナツミさん”と呼ぶことにした。


→1を回答

━━━━━━━━━━━━━━━


「改めてよろしく。”ナっちゃん”」

マナミさんと同じく親しみを込めて”ナっちゃん”と呼ぶことにした。


「やめてよ!私のこと”ナっちゃん”って呼んで良いのはマナ姉さまだけよ!!」


名二三はシャー!!と猫みたいに怒鳴った。


おいおい。

・・・仕方ない。それじゃあ・・・。


━━━━━━━━━━━━━━━

1.「改めてよろしく。”ナっさん”」

 ”ナっちゃん”と呼ぶのが拒否されたので、”ナっさん”と呼ぶことにした。


2.「改めてよろしく。”ナツミさん”」

 恐らく考え得る限り一番無難な呼び方、”ナツミさん”と呼ぶことにした。


→1を回答

━━━━━━━━━━━━━━━


「改めてよろしく。”ナっさん”」

”ナっちゃん”と呼ぶのが拒否されたので、”ナっさん”と呼ぶことにした。


「”ナッさん”って何よ!?それじゃあまるで私がオッサンみたいじゃない!!」


名二三はシャー!!と猫みたいに吠えた。


僕は少しイラッっときたが我慢した。


なら・・・

━━━━━━━━━━━━━━━

1.「改めてよろしく。”ナツミさん”」

 恐らく考え得る限り一番無難な呼び方、”ナツミさん”と呼ぶことにした。


→1を回答

━━━━━━━━━━━━━━━


「改めてよろしく。”ナツミさん”」

 恐らく考え得る限り一番無難な呼び方、”ナツミさん”と呼ぶことにした。


「”ナツミさん”って何よ!?それじゃあまるで私が・・・」


名二三は反射的に拒否のセリフを言おうとしたみたいだが、自分が何を拒否したかったのか分からないみたいだ。

数秒間あれこれ考え込む仕草をした後、キッと僕を睨みつけ、猫みたいに叫んだ。


「ちょっと、アンタ!黙ってないで何とか言いなさいよ!!」


「いやそれ、むしろこっちのセリフなんだけど!?」


もう我慢の限界だ。

僕の中で何か糸がプツンと切れる音がした。


━━━━━━━━━━━━━━━

1.「よろしく、名二三」

 もう呼び捨てでいいや。


→1を回答

━━━━━━━━━━━━━━━


「よろしく、名二三」

もう呼び捨てでいいや。


多分また猫みたいに拒否られるんだろうな・・・。

何だかツインテールの髪が猫耳みたいに見えてきた。

でももうどうでもいいや。そもそも何で僕がこんな年下の子に気を使わないといけないんだよ。


名二三はしばらく考え込んでいたが、


「良いわ。それで勘弁してあげる」


意外な返事が返ってきた。


「え?良いの?呼び捨てだけど?」


「か、勘違いしないでよね!他に選択肢が無さそうだから、気に入らないけど仕方なくそれで勘弁してあげるって言ってるの。有難く思いなさいよね!」


「いやいや。選択肢を縮めたのは名二三自身だろ・・・」


・・・あ、思ったことをつい口に出してしまった。


「ぐぬぬぬぬ!!」


名二三は悔しそうに歯ぎしりしながら地団駄を踏んだ。

”地団駄”と言う言葉はよく聞くが本当に足をジタバタさせてる人間を見るのはこれが初めてかもしれない。

流石に自分が墓穴を掘った認識くらいはあるようだ。


「・・・今日の所はこれで勘弁してあげるわ。けどこれで勝ったと思わないことね。

この村にマナ姉さまをたぶらかす悪い虫が入り込んだ事は村長であるお父様にも報告しておくわ。

せいぜいビクビク怯えて泣きながら眠れぬ夜を過ごしつつ首を洗って待ってることね。

それではマナ姉さま。今日はこれにて失礼いたします」


「ナっちゃん。バイバーイ!また明日ね!」


「ハイ!明日も明後日も明々後日も、名二三の心はマナ姉さまと共にあります!」


名二三は何だか悪役の捨て台詞みたいな事を言っていたが、マナミさんが一言声を掛けただけで上機嫌に戻った。


一体何なんだこの子?


僕達は自転車に乗って去っていく名二三を見送っていたが、完全に見えなくなるとマナミさんが全く予想外なことを言い出した。


「やったねカネちゃん!寒戸関村の6人の村人の内、3人目とも仲良くなれたね!」


「は!?いやむしろ最悪の関係になっちゃったんだけど」


「ナっちゃんはね、本来スッゴク人見知りな子なんだ。最初もカネちゃんと会った時私の後ろに隠れてたでしょ?」


確かに言われてみれば最初に僕に気付いた時はオドオドしてた気がする。


「けどいきなり本音でぶつかり合える仲になったじゃん。それってナっちゃんとの心理的な距離が一気に詰められたってことだよ」


「いやいや、マナミさん。距離を詰めたって言っても険悪な関係になっただけだよ?」


「そう?・・・私には仲のいい兄妹が兄妹喧嘩している様に見えたけど」


前々から思っていたがマナミさんは考え方がポジティブ過ぎる気がする。


「私はね、たまに思うんだ。ナっちゃんは生まれてくる時代を20年位間違えたんじゃないかと。別に何の根拠も無いけどね、ああ言うツンツンした態度で時々デレッとするキャラがブームになる時代が何時か訪れるんじゃないかな~?」


いやいや、全くデレッとした所は感じられなかったけど。


さらにマナミさんは続けて言う。


「カネちゃん。黙ってても後々分かることだから先に言っておくけど・・・。ナっちゃんはブラコンでファザコンの気もあるからね。五兵衛さんやショウ君の悪口をナっちゃんの前で言うのは厳禁だからね」


最早僕は名二三に関しては何も驚かないつもりだったが・・・。

あの子、キャラクターに色々な属性がありすぎだろ・・・。


「まあまあカネちゃん。今日は長旅とナっちゃんとの出会いで色々疲れたでしょ。

旅館に入って休んでいきなよ。今日はお客様としてカネちゃんに対応するから。もちろん今日の分の給料も支払うよ。

明日からはここの従業員になる訳だけど、まずはお客様としての視点でこの旅館を見学して欲しいんだ。で、そこから祝旅館の良い所や、悪い所、色々見えてくると思う。

その意見を是非聞かせてほしい。私もそこから色々改良していきたいと思っているんだ」


なるほど。

マナミさんは経営学科を専攻しているだけあってこう言ったことに関してはとても真面目だ。


僕とマナミさんは旅館に入ろうと玄関先に目を向けると玄関が少しだけ空いていた。

まあ、ある程度は予想していたがそこからは弥栄さんがこちらをのぞき見していた。


「・・・母さん。これでもう満足した?」

「あらまあ。何の事かしらあ。うふふ」


正確に言えば、長旅と名二三と、弥栄さんの暴走で今日は疲れた。

僕はそう思った。

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