第二話 北条家のご先祖様たち

厳粛たる場の空気を焦がすように氏直は満面の笑みで応える。


対面する氏照は、焦りや苛立ちそして驚きのあまり表情がころころと変化していく。


まるで面白がるかのように彼はその瞳の奥に謀略の匂いをかすめさせていた。


鳥の声が先か氏照が先か。


移り行く城内の様子を眺めつつ、口を開く。


「此度の小田原評定、なにゆえ殿直々に来てくださらなかったのですか?」


「....私がおらぬでも父上がおられるではないか。事実、先の関白豊臣秀吉は父上に上洛の命を下した。知っての通り、私はこの北条家の当主ではあるがその実権は私に全て委ねられたわけではない。父上がしり込みする中さっさと上洛されるがよろしいと申し上げたにもかかわらず一向にその岐路に立たれようとすらしないではないか。私はかねてよりの和平派と思われているようだが父上の決まり切らぬ態度にまことに腹が立ったので一戦交えることにしたのだ。少々、いや相当なわがままではあるが、私は領内を潜伏し主戦派の派閥の増長に努めた。ではなにゆえそなたは私を必要であるとその場で申したのだ?」


氏直はその語気をより一層強めていく。

しかしここはさすがの氏照。まったく引き下がるつもりなく受け応える。


「まことに仰せの通りでございます。今の北条家は氏康公より続く複雑な二重権力体制の中にあって決まり事のえり分けにも一苦労というありさま。私はもっぱらの主戦派ゆえ、いかにしてみなの賛同を得られるかに腐心ておった次第にて気がはやりすぎ余計なことを申してしまいました。..........しかし。」


言い淀む氏照の瞳の奥をその真意まで測ろうと氏直は鋭い眼光を光らす。


昔とまるで違った印象を受け一瞬かっと目を見開いたのち、また呼吸の中に沈んでいく。


「勝手ながらこの氏照、殿の力量を見誤っておりました。」


あまりにも無礼千万な物言いにすかさず照守が主君の過ちを正そうとその膝を立てるが、氏直は手をかざしてそれを制止する。

続けろという意味であろう。


「私もこの二重権力体制にはかねてよりの疑問を感じており、氏直殿がその席の奥に座るべきであると考えておりました。故に此度の評定、戦おうと和平しようといずれにしても氏直殿がその裁定をすることでこの家の権力者として君臨するは殿であると喧伝する好機ととらえておったのです。一族や家臣たちに交渉して回り、実権のすべてを氏直殿に譲られるよう迫る意気であったものでしたので、おられぬと知り苛立ってしまいました。今はそのこと重々反省しておりまする。氏直殿にそれほどまでの認識がおありならば、私の計画は一度破棄し今一度再考いたしましょう。」


喉奥に突き立てられた匕首あいくちを取り払うように言い淀んでいたその言葉を吐き出して氏照はまたいつものように晴れやかな表情へと戻る。

この誠意に圧倒されてか、すかさず氏直も語らい始めた。


「そなたのそこまでの誠意、この氏直にはあまりあるものだ。その厚意を裏切ってしまったこと、悔いの残る思いにて行動を反省しておる次第だ。では、私もそなたを信用して本音で語らおうと思う。覚悟はよいな氏照殿。」


「ハハッ!!」



なにやら試案にふけるような顔をしたのち、北条氏直はその真意を確固たる口調で語り始めた。




それは小田原評定満場一致となったその日よりも前の話しだ。


「氏直殿。お目覚めになられましたか。お久しゅうございますなぁ。」


「!?なんとそなたは。てっきりこの氏直、亡くなられたものかとばかり思っておりましたが。」


「人を亡き者呼ばわりとはむず痒いものですなぁ。もはやこの北条に亡霊となり陰遁しているのは事実ですが。」


「いや、すまない。功労者たるそなたになんといえばよいのか、、、」


「良いのです氏直殿。わしのような年寄りなど決して中央にはいてはならぬゆえ、この城にて往年の日々を思い出しておりました。城主に話はつけておりましたゆえ、ここまで世に存在が認識されることなく年月が流れてしまいました。かくゆう氏直殿もなにやら面影が当時の当主たちに似て立派になられましたぞ。」


「........ああ。祖父氏康に、曾祖父氏綱、そして北条早雲こと伊勢宗瑞など歴戦のご先祖はしかと私にその遺志を継いでくださりました。勿論、あの日、其方と戦場をともにした日々も。覚えておるぞ。」


「!?なんとご当主は御仏の生まれ変わりとでもいうのか!?」


「いいえちがいます。力を授けられたのは御仏であろうとも、歴戦の引きつがれしその戦いの記憶は先祖の威光と意志そのものです。私はご先祖とともにあり、そして戦いの中で鎬を削り乱世にこの三鱗みつうろこの紋をはためかせて名をとどろかせようと思います。以前はその栄光すらも捨て、主家存続のために隷属の危機に甘んじて受け入れようと思っていましたが、考えを改めて徹底抗戦へと踏み切る覚悟ができ申した。」


「まさにそれは血塗られた道。先祖の栄光に縛られて、己がいかなるものか見失った時、それは主家滅亡を意味する。それでも良いのなら、もうわしの意見などかなぐり捨てていかれるがよかろう。」


「では私、今すぐにでも!」


「待たれよ。」


「.........」


「氏直殿が主家を継いだはよいものの、その実権は其方の父氏政殿が握っておられる。その悔しき気持ち重々承知の上だが、今は我慢されるが最適解にございます。」


「.......ではどうしろと!?」


「早まらずとも時は満ちゆく。関東平野に毎度春が訪れ夏がうなり、秋に豊作を祝い冬を越すのと同じく、期は必ずめぐる。よろしい。では八王子の城にあらせられる氏照殿を頼られよ。彼ならば其方の言い分を理解しその力になってくれるでしょう。わしにできることがあればいつでも参るつもりゆえ、拙者首を長くして待っておりますぞ。」


「.......!ああ。助かった。まこと何から何までかたじけのうございます、、綱成殿。」


北条綱成「氏直殿。どうかご無事で。」


「ああ。」



一挙に氏直は話を終え、これまた晴れやかな顔で氏照を見返す。


「いやはやなにから申さばよいか分からぬ次第なのですが、、」


「当然のことであろう。」


彼らは密かにその軍議を始めた。

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