第三話 豊家転覆の大作戦

天正17年12月。ついに豊臣秀吉が小田原征伐の大号令を下す。

翌年2月には総勢27万にも及ぶ大軍勢が関東に来襲して事に当たることであろう。

北条方の猛抵抗が予想されるため決戦は二、三か年に及ぶものと考えられる。

これまでの実績と経験ともに申し分の無い堅牢な小田原城のことである。これまでの定石通りならばまず落ちることはない。

そう。定石通りならば。


黒田官兵衛孝高は地図とにらみ合い、卑屈に笑みを浮かべた。

稀代の演出家秀吉はそれを盤上からひっくり返してしまうのだから。

五十万石にも及ぶ万全の兵站、そして秀吉自身が一手に引き受け結束を強めるこの天下の軍勢に歯向かうことなど、もはやできはしない。


彼は本音を密かに漏らす。乱世こそ我が道であるというに、世はそれを許さないと。

世が世ならば、我こそがその野望を示さんとしたものをと行く日も行く日も思いめぐらした。それを知ってか知らずか、殿下は露骨に私を避け始めた。信用はされていないかもしれないが、利用されているのかもしれない。


薄々なれども彼は悟り、同時に目をつむった。


なぜ小田原征伐は進撃せざるを無い状況になったか。

それは天正十四年、1586年へとさかのぼる。


この年ついに豊臣秀吉は東日本へと勢力を伸長すべく徳川家康との正式な同盟を結んだ。

このことは当初徳川家と同盟状態にあった北条家を震撼させ、両勢力の間に極度の緊張と軋轢をうむ事態となる。

以降徳川家康は両勢力の折衝役を買って出て交渉に当たるのだが、どうやら家康はこの板挟み状態に大変苦心したらしく、彼の苦労が北条氏政との沼津での面会と贈答品の贈呈や三枚橋城の破却などからよく読み取れる。


その後は関東の取次ぎ役を上杉景勝が務め、関東の一難過ぎ去ったかに思えたが、突如として家康へと変更されてしまうのである。

それ即ち豊臣秀吉との対等な関係の維持が不可能であると示すにたやすいことであった。


天正十六年、1587年の時点にて北条氏直も豊臣との決戦を必定ととらえ、寺社の鐘の供出や各城の改修も進めていく。

刻一刻とその時が迫りつつある。誰もが戦慄としただろう。

だが不思議なことに北条家内はみなそろって意見を同じくしており、全く対立の気配すら見せなかった。


その後は氏直、氏政親子の間に行動の矛盾が生まれややこしい事態となるのだが、彼らとの巧みな外交交渉によって戦わずしてようやく、ようやく関東の地を踏めるのだ。



ざっと思い返してみても、ややこしすぎるその動向に官兵衛すら目を白黒とさせた。

味気ない終焉に不満の官兵衛であったが、苦労に見合う終結にそっと胸をなでおろす。


これでよい。万事、これでよい。


そうとばかりに思っていたために此度の名胡桃城の一件にはどうも謀略の香りを感じとらずには居れなかった。








時は現在へと戻る。八王子城にて、なおも氏照と氏直の軍議が昼夜飲食を忘れて熱心に行われていた。


~基本戦略~


・小田原方面 

小田原~足柄、宮城野~山中~韮山と、縦形に防衛線を構成し本軍の兵力を足止めする。小田原籠城における負担を少しでも減らすため、各自連携を取りつつこれを持ちこたえる。


・北方方面

北条氏邦の率いる精鋭部隊を上野に派遣。一戦交え、ほうほうの体で鉢形城に退き籠城する。

大道寺政繫率いる別動隊が上野箕輪城から出撃し遊撃戦、すなわちゲリラ戦を展開する。

また大規模改修を終了させた河越城を最重要拠点として鉢形~松山~忍~

~岩槻~江戸~八王子の防衛線を維持すべく迅速な内戦作戦を期す。


「要するに、小田原と河越を不落の拠点として、敵方の外線作戦に適応していく、二正面作戦で対抗するおつもりで?」


「さよう。一族家臣の結束の強い北条家ならば二、三年いやそれ以上の時間を稼ぐことができるだろう。」


「.......しかし。」


「ああ。もちろんわかっておる。此度の戦、いくら持ちこたえられようとも必ず負ける。必ずだ。」


「戦略的目的がないのであればすでにこの戦、詰んでおります。時間を稼ぐことによってこちらに有利な形で和平を勝ち取ることも狙えますが、いかに。」


「もちろんわかっておる。ゆえにここで重要となってくることは情報収集力と交渉の力だ。」


「........ということはやはり和平の勝ち取りが狙いであると?」


「否。それだけは断じて違う。わしは必ず豊臣の骨を断ち肉を削ぐつもりだ。ではもう一度問おう。豊臣の臣下に下ったあまたの者らがなんの旨味もなしに彼に付き従うとでも思うか?」


「........あり得ませぬ。今日より続く彼の統治の手腕には必ずからくりがあるはずです。」


「さよう。ならばそれを真っ向から否定すればよいだけだ。即ち離反の誘発である。その勢力の支柱を担う大名たちをこちらへと引き寄せるのだ。それに先ほど、話をつけた大名もおる。」


「.......なんと!?そこまでのことをされるとは........して、その大名とは?」


「信州の真田昌幸だ。」








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