第一話 




 ―――当時、日本は戦後の経済成長期にあり、私は二十代なかばでした。



 恩人から引き継いだ仕事が、戦後の特需に乗って広がりを見せた矢先、悪い人間に騙されました……。ささやかな工場も何もかも取られて身ぐるみはがされ、どうにもならない多額の借金だけが残ったのです。




 いわゆる天涯孤独の身で、嫁や子供がいなかった事が唯一の救いだったでしょうか。


 死のう――、そう思いました。



 身寄りも、金も、将来の希望すらもなくなった男が一人、この世から去ったとして誰が困りましょう。




 父は、私が幼児の頃に戦死し、顔もはっきりとは覚えていません。

 母とも十二歳の夜、豪雨のような空襲のなかを逃げまどう内にはぐれ、その後の行方はようとも知れない。どうなってしまったのか……今もってして、わからぬままです。



 探しました……お母ちゃんお母ちゃん、と叫びながら必死に。しかし―――今の平和な時代に生きるあなたのような若い方には信じてはもらえぬでしょう……。そこら中に転がっているのです……黒コゲになってしまった同じような死体が、あるいはバラバラになってしまった骸が……。誰が誰かなんて……わかりはしない。男か女かすらも―――。


 

 だから見つけようなど……なかった……。


 


 子供ごころにも、母と生きて再び――とは考えていなかったでしょう。年端のいかぬ子供がそんな風に思ってしまうぐらい、死が――いつも隣り合わせにありました。それが戦争というものです。



 


 私のような子供が山ほどいました、泣きながら親をさがし、食べる物とてなく、明日のことなどわかるはずもなく、路頭に放り出され彷徨う子が―――。



 そんな子たちは、皆どうなってしまったのか……。



 大人たちも皆、自分やその家族が生き延びる事だけに必死でしたから。どこの馬の骨ともわからぬ薄汚れた子供に、やさしい手を差し伸べてくる人など、ごく稀な例を除いてはとても―――。


 

 ただ――、それも無理もない事です。



 負けるとわかっている戦争に無理に突き進み、「お国のためだ」を錦の御旗に国は、無理無体に国民を蹂躙し続けました。そして毎日毎日、尽きる事なく人の命が無残に散り続けた。本来、やさしかったはずの人たちの心が、醜く荒んでしまっても責められるものではなかったでしょう。



 そして――ようやく戦争が終わったら、一面が焼け野原です。



 働き盛りの男の多くが戦死し、家も、家財道具も一切が空襲で焼かれ、食べ物もわずかな配給を除いては、ロクすっぽありはしない。それを国は、自分たちでなんとかしろという。無茶苦茶な話です―――。




 私は――まだ幸運でした―――。



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